第8話 お仕事のお手伝いです

 斜向かいの家を出て自宅に戻った賢人は、美子とともに玄関をとおって居間に入った。


「コーヒーでも、淹れましょうか?」

「そうだな、遠慮なくいただくとしよう」


 賢人は電子ケトルに水を入れてスイッチを入れたあと、キッチンの棚を漁った。

 そこで使い捨てのドリップパックとギフトと思しき焼き菓子があったので、適当に取り出し、テーブルに並べた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 コーヒーを淹れたあと、おもむろにテレビのスイッチを入れる。

 ふたりはテレビに映されたワイドショーを見るともなく眺め、ぼんやりとしながらコーヒーをすすり、ときおり焼き菓子をかじった。


「ふぅ……」


 ふと、ため息が出る。

 疲れた様子の賢人を見て苦笑を漏らしながらも、美子はなにも言わずにコーヒーを飲んだ。


「これから、どうします?」


 そんなのんびりとした時間がしばらく過ぎ、コーヒーを1杯飲み干したところで、賢人は美子に尋ねた。


「そうだな、これ以上お祖母さまのことを調べるのは難しいだろうから調査は中断、といったところかな」

「じゃあ、帰りますか?」

「む……」


 賢人に問われた美子は、不機嫌そうに眉を寄せた。


「そんなに私といるのがいやかね?」

「ああ、いえ、そういう意味じゃないんですけど……」


 美子と過ごす時間が苦痛というわけではないが、恋人でもない女性とふたりきりというのは、なにかと気を使うものである。

 美子個人にたいして思うところはないが、本音を言えばひとりになって少し休みたいところだ。


「ふむう、あまり婚約者をにあつかうものではないよ」

「いや、ただの設定でしょうが」


 美子が婚約者であると近所に知れ渡っていることもまた、頭痛の種だった。

 彼女にはできるだけ早く帰ってもらい、自身は異世界に逃げ込むのがいいのかもしれない。

 ほとぼりが冷めるまでは、できるだけ近所の人には会いたくなかった。


「でも、とりあえず用は済んだんですよね? なにかほかにやることでもあるんですか?」


 今回美子がここを訪れたのは、賢人と祖母に話を聞くためだと彼女は言っていた。

 その調査を中断するというのなら、この地に用はないはずだ。

 観光をしたいというのなら、少しくらい付き合ってもいいとは思っているが。


「ああ、こちらでできる仕事をちゃんと用意しているよ」

「仕事、ですか?」

「そうだ。というわけで、また車を走らせてもらえると助かるのだがね」

「それは、かまいませんよ。どうせしばらくはヒマですし」

「そうか、ありがとう」

「それで、どこに行けばいいんですか?」

「県警本部だな」

「県警本部……」


 県警本部が県庁所在地にあるのは知っているが、具体的な場所までを知らない賢人は、さっそくスマートフォンで調べてみた。


「高速で1時間、したみちで1時間半か……急ぎます?」


 尋ねられた美子はちらりと時計を見た。

 時刻は14時を少し回ったところだ。


「いや、そこまでは。下道がしんどいなら高速代は出すよ。あとガソリン代もいくらか渡しておこうか?」

「ああ、いえ、別にいいです。じゃあ下道でのんびりいきましょうか」

「ありがとう。ああそうだ、動きやすい格好に着替えてくれてかまわんよ」

「動きやすい格好、ですか?」

「ああ、スーツを着たままというのも疲れるだろう?」

「それは、まぁ」


 動きやすい格好と言われて思いつくのは、祖父の形見のスーツだった。

 だがあれはいまごろクリーニングに出されているはずだ。


「……これでいいか」


 自室に戻った賢人は、デニムのボトムとジャージという服装に着替えた。

 その際、例の防災バッグが目に入る。


「あ、そうだ」


 着替え終わった賢人は、防災バッグを手に、玄関へ向かう。


「おまたせしました」

「それほど待ってはいないよ」


 そこには、着替えなどの入ったバッグと、袋に入った、2メートルはあろうかという長い棒状の荷物を持った美子がいた。


「それ、なんです?」

「なに、商売道具みたいなものさ」

「そんな長いもの、どこに置いてたんですか?」

「居間の端に置いてあったが、気づかなかったのか?」

「……はい」


 帰宅時は思った以上に疲労し、ひとやすみしたあとは下着姿の美子やら事件の話しやらでそちらに注意が向かなかったのだろう。


「それより賢人くん、そのバッグは?」

「ああ、そうだ」


 問われた賢人はバッグから短筒を取り出した。


「それは?」

「いや、ちょっとした伝手で手に入れたんですけどね、これって持ってても大丈夫ですかね?」


 そう言って賢人は、美子に短筒を手渡す。


「ふむ、フリントロック……いや、パーカッションロック式のマスケット銃か」

「よくご存知で」

「前装式だが……まぁ弾は入っていないな」


 短筒の銃口を下に向けて軽く振りながら、美子は確認するように呟く。


「弾丸と雷管は?」

「持ってませんよ」

「ふむ、そうか」


 そこで美子は撃鉄を起こし、銃口を天井に向けて引き金を引いた。


 ――カチリッ!


 雷管のついていないニップルをハンマーが打ち、金属同士が打ち合う軽い音が鳴るも、変化はない。


「まぁ美術品かなにかだろうな。やつきようがないタイプの銃だから、とくに許可などは必要ないよ」

「そうですか」


 返された銃を受け取りながら、賢人はほっとしたように答えた。


「では、行こうか」

「あ、はい」


 一度部屋に戻るのも面倒なので、賢人は短筒を収めた防災バッグを担いだまま家を出た。


「ところで賢人くん、これ、入るかな?」


 棒状の荷物を掲げた美子が、不安げに問いかけてくる。


「ああ、大丈夫だと思いますよ」


 ガレージに着いたところで、賢人はまず後部座席のドアを開き、シートを完全に倒してフラットにする。

 続けてハッチバック式のバックドアを開いた。


「ここから、縦にこう、入れてもらえれば」

「お、助かるよ」


 バックドアから入れられた棒状の荷物は、運転席と助手席の隙間をとおるようなかたちで、なんとか車内に収まった。


○●○●


 一般道をのんびり走りながら、1時間半程度で県警本部に辿り着き、美子の先導で中に入った。


 美子は迷うことなくスタスタと歩き、受付に声をかける。


「失礼、本庁資料係の者だ。話は通っていると思うが」

「えっと、ちょっと待ってくださいね」


 端末でスケジュールを確認したあと、応対した女性職員は内線で連絡を始めた。


「あのー、本庁の人が来てますけど……はい、資料係の……はい、わかりましたー」


 受話器を置いた職員は、顔を上げてにっこりと笑う。


「すぐに担当の者が来ますので、あちらでおまちください」


 彼女の指示に従い、待合スペースにいくと、ほどなく初老の男性職員が現れた。


「やあどうもどうも、お待たせしました。こちらへどうぞ」


 男性はぺこぺこと頭を下げながら、軽い口調でそう言って、ふたりを奥の部屋へと案内した。

 殺風景な部屋に入ったふたりは、彼の用意したパイプ椅子に腰を下ろす。


「いやぁ、わざわざ本庁からすみませんね。遠かったでしょう? あ、これ、名刺です」


 渡された名刺によると、彼は名を板倉といい、生活安全部の部長だった。


「いやぁ、本来なら本部長が応対すべきなんでしょうが、申し訳ない。ちょっと所用でねぇ」

「かまいませんよ。本部長ともなればお忙しいでしょうから」

「そう言っていただけると助かります」


 愛想笑いを浮かべながらぺこぺこと頭を下げていた板倉が、ふと賢人に目を向けた。

 おだやかで人のよさそうな顔をしているが、眼光は鋭い。

 さすがベテランの警察官といったところか。


「失礼ですが、彼は?」

「ああ、協力者です。お気になさらず」

「そうですか。資料係さんがそういうなら」


 鋭かった視線が、ふっと和らいだ。


「それじゃさっそく、こいつが資料なんですがね」


 そこで板倉は、小脇に抱えていた薄いファイルを渡した。


「失礼」


 ファイルを受け取った美子は、ざっと目を通していく。


「目撃情報が、意外と多いですね」

「ですなぁ。人里離れた場所の割には、ちと気になる数ではありますな」

「被害は?」

「いまのところは、なにも」

「ふむう……ですが、そろそろなにかあってもおかしくないですね」

「ええ。ですから、民間の業者に頼もうか、なんて話もちらほら出ていいましてね」

「そうですか」


 最後まで目を通した美子が、ぱたりとファイルを閉じる。

 そんな彼女の様子を、板倉は少し不安げな表情で見ていた。


「まぁ、今回は私のほうで処理しておきますよ」


 彼女がそう言うと、板倉は安堵したように表情を緩めた。


「いやぁ、助かります。この手のヤマは、資料係さんにお願いするのが一番ですからなぁ」

「すみませんね、地方まで手が回らなくて」

「なんのなんの、しょうがありませんよ」


 受け取った資料を小脇に抱えて美子が立ち上がると、それに倣うように板倉と賢人も席を立つ。


「では、あとのことはお任せください」

「ええ、よろしくお願いしますね」


 そう言ってにこやかに頭を下げる板倉を尻目に、美子は部屋を出て行き、賢人もあとに続いた。


 正直に言って賢人にはふたりが何の話をしているのか、ほとんど理解できなかった。

 彼女の隣で資料を見ていたが、山間の風景を写した写真がいくつかある以外に、目撃証言とおぼしき文章が書かれているだけだった。

 そして美子はおそろしく文字を読むのが速く、具体的に何が書かれていたのかもほとんど読み取れなかった。


「賢人くん、悪いがここに向かってくれ」


 自動車に乗るなり、美子はファイルを開き、そこに記載されていた住所を示した。


「これはまた、ずいぶん山奥ですね」


 示された住所をナビに打ち込んだ賢人は、検索結果を見てそう呟く。


「手間をかけて悪いが、頼むよ」

「いえ、大丈夫ですよ」


 到着予定時刻は18時ごろとなっていた。

 この季節、山間だと少し暗くなっているだろうか。


「ふむ、ちょうどいい時間だな」


 助手席に座る美子は、カーナビの示す到着時間を見て、そう呟いた。


 

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