第6話 お寺で話しを聞きました
翌朝、ふたりは賢人の自動車に乗って寺に向かった。
助手席に座る美子は、渋々ながらも自身のスーツに袖を通している。
彼女は下着は替えをいくつか用意しており、シャツを含むスーツには、石岡家にあった消臭スプレーをふっていたようだ。
ちなみに賢人は会社員時代のスーツを引っ張り出した。
寺を訪れるのにあまりラフな格好というのもよくないだろうとの考えからだ。
ただ、そこまでフォーマルに徹する必要はあるまいと、ネクタイは締めていない。
寺に着くとまず出迎えてくれたのは老境にさしかかったふくよかな女性だった。
「あら、賢人くん久しぶりね。大きくなって」
「はぁ、どうも」
おそらくは住職夫人と思われるが、あまり覚えはない。
住職はともかく、夫人に会うとすれば直接寺を訪れたとくくらいのもので、そうなると数年に一度ある祖父の法事くらいしかその機会はない。
前回参加した法事から5年近くは経っており、その際ここではなく近所の葬祭場を借りてやったので、へたをすると十数年は顔を合わせていないことになる。
覚えていなくとも、仕方がないだろう。
「ささ、あがってくださいな」
夫人に促され、賢人と美子は応接間にとおされた。
「お茶、淹れますからね」
「おかまいなく」
答えたのは、美子だった。
普段とはずいぶんかけ離れた、おだやかな声色に、賢人は少し驚く。
「やあ、お待たせしたね」
夫人の用意してくれたお茶をすすっていると、住職が現れた。
豊かな白髪をうしろに流し、眼鏡をかけた住職の顔に、なんとなく見覚えがあった。
ただ、今日は袈裟を着ずラフなポロシャツ姿なので、少し違和感はあったが。
「これは賢人さん、ごりっぱになられて」
「どうも。いつもお世話になっております」
「それで、今日は過去帳を見たいと言うことですが……」
そこで住職の視線が美子を捉える。
「そちらの女性は?」
「あ、えっと」
さて、どう説明したものかと思案していると、隣に立っていた美子がすっと前に出た。
「はじめまして、天川美子といいます。賢人くんとは結婚を前提にお付き合いさせていただいております」
「ほう」
住職が驚きに目を見開き、声を漏らす。
それ以上に驚いたのは賢人だった。
思わず叫びそうになったが、美子なりになにか考えがあるのだろうと、なんとか平静を取り繕った。
幸い、住職は美子を見ていたので、賢人が軽く狼狽したことに気づいていない。
「なるほど、結婚を前提に。では美子さんは、あちらの?」
「出身は関東ですね」
「そうですか。職場恋愛というやつですかな?」
「いえ、彼とは異なる職場なのですが、通っていた施設が同じでして、その縁で」
「ああ、スポーツジム的な」
「まあ、そんなところです」
「そうですかそうですか」
美子の話をかみしめるように、住職は微笑みながら何度もうなずいたあと、穏やかな視線を賢人に向けた。
「いいご縁に恵まれたようですね」
「はぁ……その、おかげさまで」
なるほど、いまの美子を見れば物腰の柔らかな美人に見えるだろう。
まさか始めて訪れた恋人でもない男性の家で下着姿になり、ぷかぷかとタバコをふかすような女性とは、だれも思うまい。
「さて、今日は過去帳を見たいということでしたね」
「ええ、そうですね」
「しかし、なんでまた過去帳を?」
「それは……」
答えあぐねた賢人は、美子に視線を送る。
「私が、お願いしたのです」
「ほう、美子さんが」
「はい。このたび賢人くんの故郷を訪れる機会を得たので、できれば親族の方に顔見せ程度でもいいので挨拶をしておこうかと思いまして」
「なるほど、それはいい心がけですね」
「ですが、お祖母さまのご親戚について、賢人くんがなにも知らないというので」
「お祖母さまというと、イネさんですかな?」
「はい」
「そういえば、彼女のご親族というのは、お目にかかったことがありませんねぇ……」
「どうやら藤吉さんのご家族とは縁が薄かったようなので、せめてご先祖さまの墓前にご挨拶でもとおもったのですが……」
「それで、過去帳を?」
「はい。イネさんはたしか、旧姓も石岡でしたよね?」
「そういえば、そうでしたね。なるほど、それで過去にどこかで分かたれた分家筋の可能性を考えたわけですか」
「そんなところです」
「ふむ、なるほど」
美子の説明に納得がいったのか、住職は何度かうなずいたあと、持っていた過去帳を2人に差し出した。
「ではこちらを。時間は気にせず、ごゆっくりお調べなさい」
ふたりは住職に礼を言って、過去帳を開いた。
過去帳は死者の名を記載するものなので、イネの名はない。
ただ、戸籍からはたどれない過去に、なにかしらのヒントがないかと目を通したが、これといった情報は得られなかった。
さらにふたりは住職と夫人からも話を聞いたが、イネ本人との思い出はあるものの、彼女の親兄弟などは見たことがないとのことだった。
「なにもわからないことがわかった。それだけでも、かなりの収穫だよ」
寺をあとにした美子は、そう言って賢人の車に乗り込んだ。
○●○●
「ところで美子さん、あれはなんなんです?」
「あれ、とは?」
「結婚を前提に、とかなんとか」
「ああ、あれか」
そこで美子は得意げな笑みを浮かべて賢人を見る。
賢人は前方を見て運転をしながら、視界の端に彼女のそんな表情を捉えていた。
「我ながら、ファインプレーだったな」
「ファインプレー、ですか?」
「だってそうだろう? 石岡家とは縁もゆかりもない私に、そうやすやすと過去帳を見せるはずもあるまい。手帳を見せれば話は早いが、それだと先方の態度が硬化するおそれがあったからな。おかげで自然に話を聞き出せたから、少なくとも住職夫婦はイネさんの親類縁者についてそれほど詳しくない、ということに確信が持てたわけだ」
「はぁ……」
「しかし住職はさすがだな。まるで世間話でもするかのように事情を聞いてきたからな。まぁ、それをうまくかわした私もなかなかのものだが」
自慢げにそう言う美子を視界の端に見ながら、賢人はため息をつく。
「いや、あれはただの世間話ですよ」
「なんだと?」
「昔なじみの俺が見知らぬ女性を連れてきたから素性を尋ねただけだし、結婚がどうこう言ったから馴れ初めを聞いただけのことじゃないかなと」
「そうなのか? だが、部外者である私に、過去帳を見せたりはしなかっただろうから……」
「いやぁ、見せてくれたんじゃないかなぁ。だってここ、田舎だし」
「むぅ……」
賢人の言葉に、美子は眉を寄せ、口を尖らせる。
「っていうか美子さんって、この手の事件が専門なんですよね? 聞き込みとか、いつもどうしてるんですか?」
言いながら『この手の事件』が『どの手の事件』かはよくわからないながらも、なんとなくのニュアンスで賢人は問いかける。
「いや、普段この手の聞き込みは後輩に任せているのだ。彼は人当たりもいいし、寺社に顔が利くからね」
「……そういうことなら、今回もその後輩さんに任せておけば……」
「ほう、つまり、私など来ないほうがよかったと?」
少し機嫌を損ねていた美子の表情が、さらに険しくなっていく。
正直に言ってしまえば少し迷惑に思ってはいるが、さすがに本人に対してそんなことを言えるはずもない。
「ああ、いや、でも、美子さんがうまく婚約者を演じてくれたおかげで、住職や奧さんからいろいろと、その、自然に話を聞けましたし、なんというか、さすがです、はい」
そう言われて、美子の表情が緩んだ。
「ふふん、そうだろうそうだろう。少なくとも今回に限っては私のほうが適任に違いないのだからな」
「ええ、ほんと、そのとおりです。おかげさまで助かりました」
「ふふふ……そうかそうか……それにしても、ふふ……婚約者、ね……」
「あの、なにか言いました?」
最後の言葉は小さすぎて室内に響く走行音にかき消されてしまい、賢人にははっきりと聞こえなかった。
「いや、なんでもないよ」
「そうですか?」
ちらりと美子のほうに目を向けたが、彼女は賢人から顔を背けるかたちで、窓の外を眺めていた。
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