第5話 過去帳ってなんですか?

「あの、すみませんけど、過去帳ってなんですか?」

「む、過去帳を知らんのか」

「えっと……はい」

「まぁ最近の若い者は知らんのかもなぁ」


 しみじみとそう言いながら、美子はタバコをふかした。

 若い者といえるほど賢人は若くないつもりだし、それ以前に美子は彼より年下のはずだが、あえてそこは突っ込まないことにした。


「過去帳というのは死者の戒名や俗名、享年などを記す系譜帳のことだ。江戸末期か、家によってはさらに過去まで系譜を遡れるのだよ」

「そんなものが、あるんですか、ウチに?」

「あるだろうな」


 彼女は半ば断言するようにそう言うと、タバコの火を消して立ち上がった。


「そういうわけで、仏壇を見せてもらってもいいかな?」

「それは、いいですけど」


 立ち上がった彼女はハンガーラックにつるしてあった自身の服を手に取り、さっと着始めた。


「なに、下着姿で仏壇の前に行くほど礼儀知らずではないよ」


 訝しげな賢人の視線を感じたのか、彼女はスーツを着ながらそう説明した。

 そしてすぐ、いつものスーツ姿となる。

 いや、いつもどおりのはずだが、なんとなく違和感があり、賢人はつい彼女の姿を凝視してしまう。


「ふふっ」


 そんな彼の視線を受けて、美子は自身の胸を両手で押し上げた。


「まぁ、ノーブラくらいは大目に見てもらうとしようか」

「あ、すみません」


 彼女の仕草と言葉で、自分か美子の身体――とくに胸元――を見ていたことを自覚し、賢人は謝りながら視線を逸らした。


「ははっ、いまさらだろう」


 彼女の言うとおりつい先ほどまで下着姿を晒していたのだから今さらではあるが、それはそれ、これはこれなのだ。


「えっと、こっちです」


 賢人が先導し、ふたりは座敷に入った。


「失礼」


 ひと言そう告げ、美子は仏壇の前に正座し、手を合わせて瞑目した。

 そして数秒後に顔を上げると、じっと仏壇を観察し始める。


「少し、調べさせてもらっても?」

「ええ、どうぞ」

「では、失礼します」


 仏壇に対して頭を下げたあと、美子は仏壇の中や経台の引き出しなどを調べ始めた。

 どうやら彼女は仏壇の作りに精通しているらしく、賢人は彼女がなにをどう調べているのかさっぱりわからなかった。


「ふむう……ない、な」

「そうですか」

「もしかすると、お祖母さまが持っていったのかもしれんな」

「ばあちゃんが? なんでそんなものを……」

「そうだな、お年寄りに多いのだが、旅行などに位牌を持ち歩く、というのを聞いたことがないか?」

「ああ、そういえば」


 亡くなった両親や配偶者などの家族に、旅行先の景色を見せたい、と言って位牌を持ち歩く、というのは、マンガやドラマでたまに見かける描写だった。


「でも、なんで位牌じゃなくて過去帳なんです?」

「それは君、真宗には位牌がないからだよ」

「ああ、そうなんですね」


 そういえば自分の家が真宗だったことを、賢人はいまさらながら思い出した。

 そして真宗には位牌がないことを、このときはじめて知ったのだった。


「まぁ過去帳を持ち歩くというのはあまり聞いたことがないがね。もしかすると別の場所に保管しているのかもしれないが……」


 そこで美子は賢人をしばらくのあいだ無言で見つめたあと、ため息をついた。


「その様子じゃ君は知らなそうだ」

「すみません」

「いや、謝る必要はない。まぁ、少しは自分の家の過去にも興味を持って欲しいとは思うが、そういうご時世でもないしね。しかしこうなると……」


 美子は軽く俯き、顎に手を当てて思案し始めた。

 彼女が気にしていた祖母イネ本人はおらず、頼みの過去帳も行方が知れないとなると、調査はここで終了となるのだろうか。

 賢人にとってこうやって美子と過ごす時間は、決して悪いものではなかっただけに、少し寂しい気もしないではない。

 ただ、それ以上にルーシーと過ごす時間のほうが充実しており、変に調査が長引くことであちらへ戻るのが先延ばしになるのはできれば避けたかった。

 なのでここで調査が終わるのなら、多少寂しいとは思うが、それは歓迎すべき事だった。


「そうだな、では明日、菩提寺を訪ねるとしようか」


 しかしどうやら、まだ調査は終わりそうになかった。


○●○●


 居間に戻るなり美子はスーツを脱いで下着姿となり、駆けつけ1本とばかりにタバコをふかした。

 そして壁に掛かった時計に目をやる。

 時刻は午後7時を少し回ったところだった。


「賢人くん、悪いが住職にアポを取ってくれないか」

「いや、住職の連絡先なんて知らないですよ」

「別に住職個人じゃなくて、寺にかけてくれればいいから」

「……と言われても、寺の番号なんて知りませんし」


 というか、そもそも彼は菩提寺の名前すら知らなかった。

 なので検索をかけることもできない。


「なんとまぁ……」


 そんな賢人に美子は呆れたような声を漏らし、ため息のように大きく煙りを吐き出したところでタバコを消し、立ち上がった。


「なにかあったときに知らないと困るのは君なのだぞ?」


 窘めるようにそう言いながら、居間を出る。


「あの、美子さん?」


 居間を出た美子は玄関を見回し、固定電話の置いてあるあたりの壁に目をつけ、歩み寄った。

 いまとなっては祖母もスマートフォンを使っており、この固定電話はほぼ置物となっているが、一応回線は通っていた。

 そして美子が目をつけた壁には、さまざまなメモやプリントが貼られていた。


「そういうのはな、だいたいこういうところに……」


 ちょっとした伝言、自治会からの連絡事項などが所狭しと張られた壁をなぞっていた彼女の指が、とある一点で止まった。


「……あった、これだ」


 そこには菩提寺と思われる寺の名前と、電話番号が書かれていた。


「ほら、賢人くん」

「ああ、はい」


 美子に促され、賢人は菩提寺に電話をかけた。

 住職はしっかりと賢人のことを覚えているようで、翌朝10時の訪問を取り付けることができた。

 自分は住職の顔すら思い出せないので、なんだか申し訳なかった。


「連絡先、登録しておいたほうがいいぞ。いつか必要になるのだから」

「あ、はい」


 彼女の指示に従い、発信履歴から連絡先を登録しておいた。


 ――グゥ。


 賢人の腹が、鳴った。

 半日以上なにも口にしていないことを思い出す。


「ふふ、ちょうど夕食どきだ、なにか食べないか?」

「なにかって、なににしましょう?」


 そう尋ねながら、賢人は居間を抜けてキッチンに入り、冷蔵庫を開ける。


「あー、なんもないですね」


 祖母が長期の旅行に出かけているせいか、冷蔵庫の中はほぼ空っぽの状態だった。

 冷凍庫には、冷凍食品がいくつか入ってはいたが。


「どこか、食べに行きます?」

「外出するのか……」


 彼女はそう言うと、恨めしげに自分のスーツを見た。

 そんなに服を着るのがいやなのだろうか。


「ああ、そうだ」


 彼女はふと、なにかに気づいたような声を出し、賢人のもとへと歩み寄ってきた。


「あの、美子さん?」


 距離が近い。

 彼女はほぼ密着するようなかたちで、賢人の隣に立つと、軽く俯いた。

 頭ひとつほど背の低い彼女の頭頂部が、目に入る。

 きれいにカラーリングされたライトブラウンの髪が照明を反射し、輝いているように見えた。


「よし」


 なにかを確認し終えた美子は、賢人のそばから離れた。


「それじゃあ、賢人くんの服を貸してくれたまえ」

「えっ?」

「なに、いましがた確認したのだが、どうやら君と私とでは脚の長さがほとんど同じらしいのでな」

「脚の長さが、同じ……?」


 身長は頭ひとつちがうのに、だ。


「えっと……わかりました」


 言い知れぬショックを受けながらも、賢人は自室に戻り、服を漁る。

 さすがにウェストが同じくらいということはなかろうと、アジャスター付きのカーゴパンツと、少し厚手のコットンシャツを手に、居間へと戻る。


「すまんね」


 やはりウェストにはかなり余裕があったようで、彼女はカーゴパンツのアジャスターをほぼ限界にまで締め上げたあと、コットンシャツをさっと羽織って真ん中あたりのボタンをふたつみっつ留めた。

 賢人はジャージの下だけをデニムにはきかえ、玄関で美子と合流した。


「では、いこうか」


 賢人の運転で国道沿いのファミリーレストランへ行き、適当に食事を済ませた。

 賢人が前の職場に勤めていたころの、射撃場での話などで、意外と会話が弾んだ。

 例の事件や祖母のことは、お互い意識的に避けているようだった。


 それから帰りにコンビニに寄り、飲みものや軽食を買って、家に帰った。


「では、おやすみ」

「ええ、おやすみなさい」


 美子には祖母の寝室を使ってもらうことにし、賢人は自室に戻った。

 ジャージに着替えて布団を敷き、その上に寝転がる。


(はぁ……なんか、疲れたな……)


 朝、ダンジョンを出てエデの町に戻り、そのままさらに町を出て森を抜け、日本に戻ってきた。

 すると家にはなぜか美子がおり、とんでもない格好でとんでもない話を聞かされたうえ、最後はふたりで食事に出かけた。

 なんとも濃密な1日だったと、我が事ながら呆れつつも感心する。


(明日は……まぁ住職に話を聞いて過去帳を見るだけ……だよな)


 もしかしたら想定外のことが起こるかもしれないが、それでも異世界に行って冒険者になり、魔物と戦うような、そんな無茶なできごとはないだろう。


 そうは思いながらも、賢人は妙な胸騒ぎを覚えていた。


(なにごともなく、平穏無事に終わりますように……)


 祈るように心の中で独白したあと、賢人は大きく息を吐き出した。

 そしてほどなく、寝息を立て始めるのだった。


 

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