第5話 スーツを着せられました

 納車の翌朝、賢人は例の土地を見に行くことにしたのだが、玄関を出ようとしたところで祖母に止められた。


「あんた、その恰好でいくのかい?」

「そのつもりだけど、ダメかな?」


 服に関してはまだ買いそろえておらず、家で過ごすときはジャージの上下、外出時は下だけをスーツにはきかえるようにしていた。


「かなり木が生い茂ってるんだから、そんな恰好じゃダメに決まってるだろう?」

「んー、でも、服はこれ以外にないしなぁ」

「だったらいいものがあるから、ちょっと待ってな」


 家の奥に入った祖母は、1分もかからずスーツカバーを手に戻ってきた。


「なにそれ?」

「じいさまのスーツだよ。アンタあの人と体型が似てるからね。問題ないさ」

「いや、どう考えても荒れ地に行く恰好じゃないだろ?」

「砂漠じゃ下手な服よりスーツのほうがいいって言うじゃないか」

「どこのマスターの話をしてるのか知らんけど、俺がいまから行くのは砂漠じゃないよな?」

「若いもんが細かいこと気にするんじゃないよ」


 結局賢人は祖母に押しつけられるかたちでスーツを受け取った。

 部屋に戻り、カバーを外す。


「こりゃまた随分立派な……」


 スーツカバーの中には仕立てのよさそうなツイードの三つ揃いが入っていた。

 これまで通勤用のリクルートスーツと安物の喪服しか持ったことのない賢人は、いかにも高級そうなスーツに少しだけ胸が高鳴るのを感じた。

 これから行く場所にはまったくそぐわないが、せっかく祖母が用意してくれたものだし、着てみるのも悪くない。

 そう思い、賢人は高いスーツの扱いに少しばかり緊張しつつ着替えた。


「なんだい、文句を言ってたわりにはしっかりネクタイまで締めてるじゃないか」

「まぁ、せっかくだし?」


 賢人はぽりぽりと頭をかきながら答えた。

 そんな孫の様子に、祖母は柔らかい笑みを浮かべる。


「うん、ぴったりだね」

「ああ。ばあちゃんの見立て通りだ」


 オーダーメイドのスーツを着たことのない賢人だったが、少なくともこれまで使っていた既製服よりはしっかりと身体に馴染んでいると感じられた。

 そのうえ動きやすい。


「靴も用意しといたよ。あとこれも」


 そう言って祖母が渡してきたのは、機械式の時計だった。

 知らないブランドだが、見るからに高級そうだ。


「いや、俺いまから荒れ放題の土地を見に行くだけだよね? パーティーにいくんじゃないんだからさ」

「でも、時間がわからないと不便だろ?」

「スマホがあるから大丈夫だって」

「なぁに。いざというときはこいつを拳に巻いて、ガツンとできるからね」

「なにに襲われる予定!?」

「いいから持っていきな! ああ、それからこれもね」


 続けて祖母は、リュックサックタイプの防災セットを押しつけた。


「いや、いくらなんでもそりゃ大げさじゃない?」

「なにがあるかわからないからね。備えあれば憂いなしっていうだろ?」

「はいはい」


 これも祖母孝行だと思い、バッグを肩にかけて靴を履く。

 用意してくれた靴も、まるで自分の足に合わせて作られたかのように履き心地がよかった。


「じゃあ、いってくるよ」

「はいよ、いってらっしゃい。くれぐれも油断するんじゃないよ?」

「いや、ちょっといって帰ってくるだけだから」


 賢人は笑いながらそう返すと、玄関を出てガレージに向かった。


「この靴も、すごいな」


 祖父の形見の靴は、革靴でありながらスニーカー並みに歩きやすかった。

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