第2話 失恋

世の中顔だ。


もう一度言う。


世の中顔だ。


少し前までは人間顔じゃないと思っていた。

だがそれは誤りだと気づく。


優しさ?愛嬌?能力?

何それ?美味しいの?

圧倒的な美貌の前に、そんな物はゴミだとはっきりと理解する。


真っ白な天井を眺めながら、そこに彼女の顔を思い浮かべた。


黄金に輝く美しい髪。

吸い込まれそうなほど深い緑の瞳。

ぷっくりとした桜色の唇。


ああ……マイエンジェル……


あの時僕を助けてくれた天使。

僕は天使に心を奪われてしまった様だ。


彼女の名前はリン・メイヤー。

僕の命の恩人だ。

父の話によると彼女は旅人で、たまたまあの場に居合わせたとの事だ。


人はそれを――運命と呼ぶ。


そう考えればあのケルベロスの上位種さえ、僕達の出会いを演出するピエロだったように思えてくる。


ああ、早く彼女に会いたい。

会って自分の気持ちを伝えたかった。


それなのに、自分の虚弱な肉体が恨めしい。

ケルベロスにやられた傷はかなり深刻だったらしく、一命は取り留めた物の、回復には数日の時間を必要とされた。


お陰でこの三日間、彼女への気持ちを悶々とため込む羽目に。


コンコンと扉をノックする音が響く。

その音を耳にした瞬間、どきりと心臓が跳ね上がる。


まさか彼女が!?


思わずつばを飲み込み。

震える声で答える。


「ど……どうぞ」


ゆっくりと開く扉に、僕は熱い眼差しを送る。

その先に居る天使を思い。


「マイキー、怪我はもう大丈夫?」


外れだった。

期待が大きすぎたせいか、駄目だった時のショックは大きい。

僕は思わず項を垂れる。


「どうしたのマイキー!怪我が痛むの!?」


僕の反応を違う意味に捕らえたエミリーが慌てて駆け寄り、心配そうに声をかけてくる。

心配してくれるのは嬉しい。

嬉しいんだけど。


「大丈夫だよ、痛みも殆どないし。医者に止められてなけりゃ、さっさと訓練を再開したいぐらいだ」

「まあ、マイキーったら」


僕の答えに安心したのか、エミリーは微笑みながら僕の手を握ってくる。

そんなエミリーの積極的な行動に焦って手を引っ込めようとするが、それを拒むかの様に、彼女は強く手を握って話してくれない。


「照れなくてもいいのよ、マイキー。私たち夫婦なんだから」

「な……何を言って……」


エミリーの唐突な発言に、思わず言葉が詰まってしまう。

確かに体面上彼女は婚約者という事になってはいるが、それは親が勝手に決めた物。

あくまでも、お互い成人した際にその気があれば程度の約束でしかないのだ。


エミリー……ついに頭がおかしくなってしまったんだろうか?


「私、嬉しかった。いつもそっけないマイキーが私のために命を賭けてくれて。それに……」


僕は将来町を守る戦士を目指して頑張ってきた。

だから危ない時に女の子を守るのは当然の事だ。


ていうか、感謝しているならマイキーって呼ぶな。


「キス迄してくれて」


あ………………忘れてた…………

あの時雰囲気に飲まれて、ついやらかしていた事を……


顔を真っ赤にしながら、恥ずかしそうにもじもじしているエミリー。

その様子を、僕は死んだ魚の様な目で見つめる。


心が地の底に吸い込まれる様な、絶望的な気分に落ちていく。


不味い!不味いぞ!

こうならない様にずっと気を付けて来たのに!


手を出しておいて、今更婚約は無しだなんて絶対に通らない。

とにかくエミリーが周りに言いふらさない様、口を封じないと!


「あ、あのさエミリー。そういう話は外では……」

「皆もね、おめでとうって言ってくれたの!!」


ああ、おわった……


さよなら僕の初恋……

さよなら僕のマイエンジェル……


その夜、マイケルは生まれて初めて泣いた。


失恋の味は、いつの世もほろ苦い物である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る