六 果てぬもの
七十 潜るもの
熊野の民や土蜘蛛達に別れを惜しまれつつも、いよいよ熊野を出発した白星達一行は、暗く深い土中を進んでいた。
広い領地を、巨大な土蜘蛛と共に隠形を施して歩き旅をするのは、いかにも現実的とは言い難い。
加えて、今や熊野は白星の傘下ではあるが、表向きには未だ国の直轄地であり、僻地を巡回する兵全てに事情が伝わっている訳ではない。
それらと鉢合わせ、いらぬ混乱を招かぬよう、こうして地下から東へ抜けてしまおうという算段であった。
五馬曰く、国中の地下には、土蜘蛛が抵抗する過程で掘り抜いた
古く脆くなっている危険な個所も多いが、幸い、地理に明るい打猿と国麿の兄弟が案内として付いている。
暗くうねった道に迷う事もなく、順調な旅路が続いていた。
白星達とすっかり意気投合した大土蜘蛛は、二人をその背に乗せ、のしのしとでこぼこな悪路をものともせずに超えてゆく。
星子も年近い土蜘蛛の子らとの触れ合いで、わずかなりとも元の活発さを取り戻せたらしい。
大土蜘蛛相手に物怖じせずに応対できるまでになっており、場には明るい話題が弾んでいた。
ふとやがて、話の矛先が白星の抱える白鞘へ向いた。
「ねえ、白星。その刀、封印が解けたんでしょう? 刀身を見せてよ」
「それはならぬ」
これまで星子には甘い態度を見せていた白星には珍しく、きっぱりとした拒否を示した。
「なんで? 少しくらい、いいじゃない。それだけ綺麗な鞘だもの。刃もきっと綺麗だよね」
「んだあ。おれたちも、神斬りの刃を見でみてえ」
「姉御、どうしてもだめかあ?」
兄弟も星子に続いて懇願するが、白星は頑として首を縦に振らない。
「これなる鞘に納まるは、我が魂そのものぞ。おいそれと他者に見せるものでなし。それに、あまりにうつくしゅうて、常人が見れば目が潰れようぞ」
多少おどけた態度で断る白星に、星子はなおも言い募る。
「大袈裟だよ、けち。それとも、本当に目が潰れてしまうの?」
「さて。実際に余人へ見せた事がないでな。しかし、天津の神が寄ってたかって、ようやく砕いた我が宿魂ぞ。さらには、かくも頑丈な白鞘にて、厳重に封じていたもの。仮にも神々が、ここまで恐れるのだ。まったく障りが無い、とは言い切れまいて。それな危険を侵してまで、なお見たいものかの」
白星が頭上へ白鞘を掲げて見せる。
今は人目がないため隠形をまとっておらず、立ち昇る圧倒的な妖気は、周囲が揺らめいて見える程であった、
「天津の手による白鞘に納めておって、ようやくこれで済んでおる。我ながら、溜めに溜め込んだものよな」
白星は人事のように一人ごちる。
何を思っての言葉であったかは、星子にはわからなかった。
白鞘をこうしてまじまじと眺めるのは、星子も久しぶりである。
その妖しくも美しい造形に、たちまち意識を囚われた。
抜かずとも見惚れるのだ。
刃を見れば、本当に目が潰れかねない、うつくしくも恐ろしいものが現れるのではないか。
幼子の心にかすかな恐れが過ぎる。
「……うん、わかった。今は見ないでおく」
「それがよかろ」
無念そうに
が、直後に何かを感じ取ってか、すんすんと鼻を軽く鳴らす。
「風向きが変わったの。打猿や、向かう出口が近いか」
「流石は姉御。気付いだか。もう少ししたら、熊野を抜けた先の外に出るぞぉ」
「こっちに援軍に来る時に使った道だぁ。塞がってる心配はねえ」
「着いたら二人にいいもの見せでやる。楽しみにしでてくれ」
「きっとびっくりするぞぉ。星子は腰抜がすかも知れねえなぁ」
「だっはっはっは! 違いねえ!」
交互に悪戯っぽい言葉を発し、最後には一緒になって笑い声を響かせる。
「何よ二人して馬鹿にして! そこまで言って、大したことなかったら承知しないからね!」
星子は触れないながらも、精一杯の気迫を込めて、打猿の背中をぺしぺしと叩く素振りを見せる。
「へっへっへ。誰でも絶対びっくりするさあ」
「白星でも?」
余程の事でない限り、己を崩す事のない白星を引き合いに出して聞き返す星子に、打猿は迷いなく頷いた。
「おうともよ。姉御だって驚くぜ」
「ほう。それは楽しみよな」
熊野芦名より旅の供として持たされた徳利を杯へ傾けながら、白星は心底愉快そうな声をあげた。
道々の珍しきものを見て回る。
それこそが白星の最大の目的である故に。
わいわいと会話を続ける内に、やがて他三人より感覚の鈍い星子にも、かすかな光が前方より射すのを感じ取れた。
「ほれ、あれが出口だ。覚悟はいいがあ?」
「外に出たらすぐに見えっがらな。仰天すっぞ」
「そっちこそ、がっかりさせないでよね!」
売り言葉に買い言葉。
再びからかう二人に負けじと言い返すと、星子はお守りの上に座してその時を待つ。
「ほんに楽しみよな。未知なるものとの邂逅は」
一献干した白星が呟くと同時、土蜘蛛達は洞穴を抜け、眩い陽光に飲まれていった。
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