六十七 映すもの

 大勢の土蜘蛛達が今か今かと待ち受ける中、庭へ降りた白星と健速は、おもむろに池のほとりへと向かう。


「この池であれば具合がよかろ」

「ああ、十分だ。早速始めよう」


 池の大きさと形状を確認した健速は、足早に白星の対岸へと移動した。


 両者目配せをすると、それを合図として同時に柏手かしわでを一つ、ぱしんと空間に大きく響くように打つ。


 するとたちまち厳かな空気に圧され、騒がしかった観衆がぴたりと静まった。

 まるでこれから起こる事を、一つたりとも見逃さぬように、固唾を飲んで見守るのみ。


 次に白星と健速は、互いの左手を向き、一歩踏み出しては立ち止まり、逆足を出してはまた止まり、といった具合にゆっくりと池の周囲を回りだした。


 白星は歩きながら、時折白鞘で池の水面を叩く。

 すると白鞘が触れた部分から、もわりと湯気が上がり始める。


 しばらくして、両者がすっかり位置を入れ替え終えた頃には、池の上には霧の如き湯気がもやもやと立ち込めていた。


 互いが元立っていた場所へ立つと、再び正面に向き直り、先程より大きく柏手を打つ。


 すると、池上の湯気が目に見えて揺らぐのが回りからも視認できた。


 健速が袂から何やら小物を取り出して呪を唱え始めると、白星は湯気の下方へ向け、冷たい吐息を吹き込んだ。


 途端に真っ白だった湯気に何やら色が混ざり、ぐにゃぐにゃと形を変え、ぼんやりと何かの形を成し始める。


 それは初め、桜色が大半を占めていた。


 健速の呪言が一区切りした頃には、最後の花弁を散らす葉桜と、それに囲まれた多くの民、そして門扉を開け放たれた立派な建物が、池の上へと映し出された。


「おお。これはもしや」


 健速の背後で作業を見守っていた五馬が声をあげると、健速は緊張を解いて頷いて見せた。


「察しの通り。今まさに執り行っている、御山の例祭の様子だ」


 その言葉通り、建物の奥では湯を沸かした鳴釜の前で祈祷をする巫女の姿があり、それと観衆をへだてるべく、浅羽の兵が居並んでいるのがわかる。


 像が完全に結ばれると、土蜘蛛達から大きな歓声が沸き上がった。


「ちょうど一番の見所である神事、湯立ゆのだてが始まるところのようだな。年に一度の御開帳だ。しかと見ておくといいだろう」

「これはありがたい。興味こそあれど、我等のなりでは街に入れぬ故、祭りの見物など夢のまた夢であった。何と嬉しい催しか。子供らも大層喜んでいる。どう礼を申したものか」


 映し出される祭りの様子に、感極まった様子の五馬。


「かか。さすがに音までは拾えぬが。華々しさは伝わったであろ」


 そこへいつの間にか対岸から戻ってきていた白星が笑いかける。


「これで、宿賃代わりにはなったかの」

「とんでもない。差し引いて余りある余興。不肖この五馬、感謝の二文字しか思い付かぬ」


 土蜘蛛らが祭りの様子を肴に宴会を始め、盛り上がりを見せる中、五馬は目の端を袖で拭った。


「すごいね、白星に叔父上! これはどういう術なの?」


 白星の胸元にぶら下がったお守りから、星子が興味津々とばかりに問う。


「これは、『しん』というあやかしを元にした遠見の術だ」


 質問に応えるべく、健速が先程袂から取り出したものを見せる。


 それは手の平ほどの大きさの貝殻、それも片面だけであった。

 内側にはびっしりと呪文が書き連ねられており、一目で呪具とわかる。


「『蜃』とは古来より、幻を見せるはまぐりの妖怪として定義されていてな。海などで見える蜃気楼の語源ともなったものだ。この蛤は呪によって、『蜃』の逸話を再現するべく細工をしてある。つがい一組で扱うもので、片割れを持つ者同士、長距離の連絡手段として重宝するものなのだ」

「しかしそのままでは、この手の平分の映像しか得られぬ。そこでわしが思い付いた方法を試したのよ」


 健速の説明を引き継いで、白星が得意げに語り出す。


「そも、水面と水上に温度差が出来ると、空気の間にずれが生じ、歪んだ映像が混ざり込む。それこそが蜃気楼の正体ぞ」


 言いながら白鞘を鋭く振って水気を切ると、地面からじゅわりと湯気が立った。


「熊野に封じられておったわしの首の権能は、熱水を扱うものであった。そこで試しがてら池を熱し、表面を冷やす事で、人工的に蜃気楼と似た状況を創りだした。そこへ健速の持つ蜃の映像を投影し、拡大したという寸法よ。上々の出来であろ」

「へぇ、すごい! ……あれ、じゃあ今もう片方は、御山にあるってこと?」


 素直に関心した後、小首を傾げる星子。


「ああ。観衆の中に、千歳が紛れ込んで映してくれている」

「さすが千歳さん。道理でよく見える場所を押さえてますね」


 星子の感想通り、祭祀の様子全体を俯瞰ふかんできる良い塩梅の視界が確保されていた。

 千歳らしいそつのなさと言える。


「姉御~! ご高説はもういいから、みんなと一緒に飲もうぜ~! もう宴は始まってるぞ!」


 すでに出来上がった様子の阿佐が、打猿の背に乗って徳利を掲げていた。


「おれも姉御と杯さ交わしでぇ。こんな綺麗なもんも見れだし、感謝し切りだあ」


 しわだらけの人面を、さらにくしゃくしゃにして泣き笑いをする打猿が、触覚を器用に使って白星へ杯を差し出した。


「ほら、お酌するぞお。たんと飲み食いしでってくれ」

「かか。ぬしらはまさに健啖家けんたんかよな。見ていて気分がよい」


 白星は杯を受け取ると、遠慮なしに飲み干した。


「うむ。一仕事の後の一杯は格別よな。ほれ、健速もはよう宴席へ向かおうぞ」


 振り返った白星は、健速の異常を察知した。

 先までの笑みは消え、緊張からか、かすかな殺気が漏れている。


「なんぞあったか」

「……似ている」


 白星の問いに、健速は端的に返すのみだった。


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