六十五 暴くもの
五馬の一族と正式に盟約を結んだ白星は、用意された豪奢な客間にて大量の文献に埋もれ、日夜読書に明け暮れていた。
例祭までの暇潰しにと、熊野家の書庫より古文書の類を借り受けてきたのだ。
特に古い書物の中には、絶えて久しい言語で書かれ、所有者である熊野の者ですら読めないものが混ざっていた。
白鞘の封印の一部が解け、熊野の祭神をも取り込んだことで記憶がわずかに戻った白星は、それらの古文書が神代のものである事に気付く。
そこまで古き書物を紐解けば、あるいは己の起源についても手かがりがつかめるやも知れぬ。
そういった思惑から解読を申し出た白星へ、熊野芦名は渡りに船とばかりに、本来門外不出である書物の貸し出しを快諾したのだった。
かくして畳の上へ乱雑に散らばった書物を、とっかえひっかえ読み漁る白星。
それを邪魔せぬよう、部屋の隅では星子が子供らに囲まれ、わいわいと文字の読み書きを教えていた。
星子は武士の娘として、多少なりとも学を修めている。
そこに目を付けた阿佐達が本を読んでくれとせがみ、次第に自分達でも読めるようになりたいと言い出して、なし崩しに教授する羽目になったのだ。
その脇ではにこやかに様子を見守る五馬の姿があり、授業が一段落したと見るや、星子に労いの言葉をかけた。
「すまぬな、子供らの相手をしてもらって。あまり無理を言うようであれば、断ってくれて構わぬのだぞ」
「いえ。体が無い私にできるのは、このくらいですから。お役に立てれば何よりです」
星子自身、久しぶりに同世代の子らと接する機会を得て、内心楽しんでいたのだ。
「そうか。これまでの我等は、生きるか死ぬか。とてもではないが、きちんとした学びの場を設ける事が叶わなかった。されど、知識は身を助ける。少しなりとて、この子らに学が身に着くのは良いことだ。改めて礼を言う」
その環境が整ったのも、全て白星のお陰だと言い置き、五馬は皆に休憩がてら、茶の準備をするよう指示を出した。
「白星殿も。ずっと根を詰めておられるようだが、ここらで一服してはいかがか」
巻物にかじり付くよう視線を走らせていた白星は、その言葉に反応し、はたと動きを止め、ゆるりと周囲を伺った。
「はて。先刻まで一人だと思うておったが。いつの間にやら賑やかになったものよ。熱中するあまり、まったく気付かなんだ」
五馬の差し出した茶を受け取りながら、苦笑する白星。
「それほどにのめり込むとは。何ぞ面白きことでも発見されたか」
「うむ。実に面白きことよ」
五馬が水を向けると、白星は喜々として話し出した。
「のう、五馬や。
その問いに対し、五馬は茶を淹れていた手を止め、白星へ向き直った。
「もちろんだとも。子供向けの絵草紙も作られているほどだ。知らぬ者の方が少なかろうよ」
「あたしらでさえ知ってるもんな。
五馬に続き、阿佐達子供らもその名を聞いて沸き立った。
八岐大蛇の伝承とは、とある一族の娘を、生贄として喰らい続けた八つ首の大蛇を、天より
世間では大蛇が完全なる悪役であるが、朝敵である土蜘蛛らにとっては、天津に仇為すまつろわぬものの代表格として親近感があるらしい。
「そうか。では、星子は聞き覚えがあるかの」
「うーんと……聞いたこと、ないと思う……」
矛先を向けられた星子は、打って変わって首を捻るばかり。
「本当かよ!? 読み書きはできるくせに、こんな常識は知らないのか?」
信じられぬとばかりに子供らは困惑するが、白星はそれをやんわりと制した。
「やはりの。星子の故郷、須佐の土地の記憶にも、その名は刻まれておらぬ。意図的に、伝承されずにおったのよ」
両者の反応を見て、白星は確信を得た。
片っ端から古書を読みふけった白星は、白鞘が割れた際に
その裏付けを取るべく、敢えてぶつけた質問だったのだ。
「よいか。熊野の御山を守護しておった秘神は、
白星は仮説を正答に近付けるべく、口に出して整理を始める。
「お伽噺では、罠を張って倒した臆病もんだけどな!」
阿佐の威勢のいい野次が飛ぶが、白星は気にせず笑って見せる。
「うむ。実際、奴一人では仕留めきれなかったのだ。書によらば、他の神々と結託し、ようやく打倒が成ったとある。その際に、尾から剣が出て来たともな」
「
「そう、それよ。世間では、三種の神器はもはや失われた事になっておろう」
我が意を得たりと、白星はにやりとしてみせた。
「わしの考えでは、大蛇退治の顛末は、恐らく後付けの作り話よ」
「ええ!? そんな!」
子供達がこぞって悲鳴を上げるが、白星は構わず続ける。
「驚く事ではあるまい。現に天津どもは、史実を己に都合の良いよう書き換えておるからの。熊野の文献も、虚実を織り交ぜて書かれておる。そして、特に重大な事柄を隠すために一計案じ、わざわざ子供にもわかりやすい御伽草子に仕立てたのだと、わしは睨んだ」
「……妾も興味が湧いた。続けられよ」
あまりの衝撃から黙り込んでしまった子供らに代わり、五馬が先を促した。
「大蛇に相当する強大な敵は、確かにおったのだ。そして神々が合力して倒しはしたが、止めを刺すには至らず。世に流布する語り物と、よく似た構図だとは思わぬか」
「……まつろわぬ、
「倒し切れぬ大蛇の八つ首を落とし、土地の各所へ埋めた。ここ、熊野もその一つ。そして、尾から出たのは剣そのものではなく、実際は朽ちぬ大蛇の心臓、
白星はそこで一度話を切り、聴衆を焦らすように茶をすする。
そして皆が身を乗り出して、続きを待ち侘びる姿勢を一望するや、続きを発した。
「……して、三種の神器をもって、八つの首へ封印を施し、終いには神器までも別々の地へ配したのであろう」
「その一つが、須佐の里だったって言うの……?」
星子がようやくにして絞り出した問いに、白星は首肯する。
「うむ。かの地で大蛇の伝承を排したのは、他の地と
白星の仮説を黙して聞いていた五馬は、いつしか興奮からか紅潮し、わななく口元を袖で隠していた。
その視線は真っ直ぐに、無造作に畳へ置かれた白鞘へ注がれている。
「……なれば……貴殿が……」
途切れ途切れの呟きに、白星は鷹揚に頷いた。
「かか。どうやらわしこそが、八岐大蛇なるものぞ」
白星の笑みは、あくまで無邪気なままであった。
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