五十五 攻めるもの
月光の下、白鞘を担ぎ。
正面からの殺気を堂々と受け止める白星は、ざわりと大気が揺らめくのを感じ取った。
風ではない。
足場にしている龍の身が、輪郭を完全に崩して宙に舞い始めたのだ。
白星は足を取られる前に大きく飛び退き、土くれの巨人の手の平へと退避した。
その直後、龍は元の眩い気の塊へと形を戻し、山頂目掛けて流れてゆく。
見る見る内にある一点へと収束し、白星の視界に殺気の主が姿を表した。
それは、白星とそう歳の変わらぬであろう少女に見えた。
一目でそれとわかる巫女装束に身を包み、白星が創りだした切り立った崖を蹴り、宙を駆けるようにして一直線にこちらへ向かって来る。
途中、滞空していた気脈に触れると、瞬時にそれらを吸い込んで、己を取り巻く気を増大させた。
それを見た白星は、少女が熊野の主に間違いない事を確信する。
元は己の支配下にあるものだ。自在に操れて当然である。
少女は回収した気を右手に集中させると、瞬時に天を衝くような長大な剣と成して、間を置かず空中から一息に振り下ろした。
これには白星も全速力で回避に移らざるを得ず。
ただ純然たる気の塊だったものは、巫女に降りた神の手により研ぎ澄まされて、鋭利な凶刃と化していたのだ。
その場に残り、まともに刃を受けた巨人はすっぱりと頭から両断され、粉微塵と粉砕された。
なんという切れ味か。
それだけに留まらず、刃はただでさえ焦土と化していた地にまで達し、亀裂を生んで辺りへ激震を招いた。
白星は辛うじて近場の窪みへ潜り込み、吹き在れる瓦礫混じりの乱風を避ける。
しばらくして揺れが止んだ後、ひょいと目元を窪みから出して辺りを伺うと、地形は再び一変し、大地は二つに割れていた。
凄まじい威力であったが、その分消費も多くあったようで、割れた大地の向こう側に着地した巫女の手から先の大剣は失せており、代わりに蒸気の立ち昇る剣が握られていた。
白星は立ち上がり、新しくできた崖の元まで寄ると、向こう側の巫女を眺め見る。
「大した挨拶よの。ぬしが熊野の主に相違ないか」
答えは分かり切っているが、白星は敢えて問いを投げた。
相手の出方でこちらの対応も決まる。
巫女の意志の有無、神の意志の有無。それらで対策を柔軟に変えて行かねばならぬ。
「……こと、のは……むよう……」
巫女は虚ろな表情で男の声を放ち、剣の切っ先を白星へ向けた。
そこに巫女の意思は微塵も感じられず、神の言葉が全てなのだと理解する。
「かか。さよか」
白星が笑うと同時、巫女が地を蹴り、一瞬で谷を越えて目前へ現れた。
すんでのところで初撃を白鞘で受けるも、がちん、とただ一撃で弾かれ仰け反る白星。
それほどに速く、重い剣であった。
体勢を崩した白星へ、追撃の刃が迫る。
胸を目掛けて鋭い突きが放たれるも、白星の吐いた氷雪で壁が築かれ、一時剣先が止まった。
しかし氷の厚みが足りず、瞬時に煮えたぎる熱湯が一点を溶かし貫いた。
その飛沫が一部白星の足にかかり、じゅわりと蒸気を発して消える。
白星のまとう冷厳な妖気がなければ、たちどころに大やけどを負っていただろう。
一手は逃れたものの、里を出てより一番の手練れとの近接戦闘である。
加えて二連戦ときては、さしもの白星も常の余裕がなくなった。
五芒星は先の攻撃で崩され、派手な術儀はすぐには使えない。
そもそも大規模な術を使ったばかりにして、食後でもある。さすがに動きも鈍ろうというもの。
術儀に頼るにも、手の込んだものは集中を要する。その隙を与えてくれる相手とは、到底思えなかった。
白星はひとまず回避に専念し、相手の剣に慣れる事を選択する。
熊野が神の剣は豪力にして正確無比。
構えから最短距離を飛んで来る斬撃に、白星は受け流すごとに腕が弾けそうな痺れに見舞われた。
足場が悪いのも手伝って、たちまち今までにない疲労が全身にまとわりつく。
何を置いても、相手の持つ灼熱の剣が厄介であった。
振るう度に沸騰した熱湯が飛び散るのだ。剣の間合い以上にそちらへも気を向けねばならない。
多少の飛沫ならば妖気で相殺できようが、まともに浴びれば、白星とてただでは済むまい。
そのためまともに打ち合うのを嫌い、ますます逃げ腰に陥る悪循環となっていた。
幸い、気を抜きさえしなければ、即座に致命傷を喰らう程には、大きく技量に差がある訳ではないと知れた。
剛剣をさばきつつ、仕掛けると見せかけては距離を取る。
離れ際には吹雪を吹きつけ、徐々に相手の気力を削る策を試みた。
雷光のような突きを横目に避けては、顔へ目掛けて一吹きし、視界を奪って死角へ回る。
かと思えば、信じられない角度から振り下ろされた上段斬りを、なんとか白鞘で受け止めては、足元を凍り付かせて離脱してゆく。
劣勢には違いないが、白星は冷静さを欠いてはおらず、それら繊細な攻防を紙一重でこなしてみせる。
白星の強みは、まさにこの根気と集中力であった。
そして長引く戦闘は、取り込んだ気が全身に馴染む時間を与え、白星の眠れる闘志も呼び起こしつつあった。
相手が際どい攻撃を繰り出すごとに、それをしのいだ快感が、腕に走る痺れを上回る。
相手を出し抜き、浅くとは言え一撃を返す度に、してやったりとほくそ笑む。
白星は、自分がまことの戦好きなのだと、この場ではっきりと自覚した。
そうと分かれば、押され死合いもまた楽し。
殺し殺されまた殺し。これぞ戦の真骨頂。
気付けば多少の傷は厭わずに、白星の踏み込みは一足深いものとなっていた。
好敵手に恵まれた歓喜に、一時白星は目的を忘れ、ただ闘いを愉しんだ。
その身体には次第に精彩が戻り、相手も凍傷を重ねた事もあり、攻防は拮抗を始めていた。
しかし相手は奥の手があるやも知れず。
白星も反撃の糸口は依然手探りのままである。
未だ闘いの行方は混迷を極めていた。
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