四十六 相見えるもの

 喉に空気がつかえたような、やや耳障りとも言える重低音。

 しかし確かな理性と品格を感じさせる、なんとも不可思議な響きだった。


「皆もここは引け。これ以上は命取り。話があると言うならば、まずは聞いてみようではないか」


 その声に従い、兵らは白星に向けていた武器を降ろす。


 そうでなくとも、皆体力の限界だったのだろう。

 白星が凍気を解除した途端、自由を得た兵らは一斉にその場にへたり込んだ。


「慈悲に感謝する、客人よ」

「構わぬ。わしも軽率であった。怪しまれても詮無きこと。しかし断言しようぞ。わしもまた、天津を敵と定めておることを」


 一片の迷いなく言い切った白星の誠意が届いたものか。


「敵の敵、であるか。なるほど、話を聞くに値する。手間をかけるが、奥の間まで足労願えるか」


 白星を迎える声に合わせ、兵らが奥の闇へ向かう道を開けた。


「うむ。邪魔させてもらおうぞ」


 白鞘の妖気をすっかり抑え込むと、白星は声に応じ、異形ひしめく道を堂々と通り抜ける。


 その姿を見る周囲の目は、怯えと疑心、そしてくすぶる一握りの敵愾心てきがいしんを灯していた。


 これほどに打ちのめされても、なお消えぬ反骨精神は、見事と言うべきか。

 それとも、それを刷り込まれた境遇を憐れむべきか。


 答えを持ち合わせぬ白星は、ただ対話の場に立つ事を優先するのみ。


 女子供の群れがわずかな悲鳴を漏らして二つに分かれたその先は、完全な暗闇が広がっていた。


 風鳴りの反響から、今通ってきた広場よりも、さらに大きな空間だろうと察する。


 白星が早速にも踏み込むと、足元に異常を感じ取った。


 今まで土と泥だった地面が、何やらべたべたとしたもので覆われていたのだ。


 白鞘の先端でつつき、軽く引っかいてみる事で、白星は得心なった。


 地面だけと言わず、恐らくこの大広間全体に、蜘蛛の糸らしきものが幾重にも張り巡らされているのだろうと。


「足場が悪かろうが、堪えて欲しい。巣作りの最中なのだ」

「かか。構わぬ。随分と大掛かりな住居よの」


 感心した白星の言葉に反応し、暗中に赤く燃えるような複数の球体が、突如として浮かび上がった。


「そなた、闇を見通すのか」

「見えてはおらぬ。感じるだけよ」


 出現した赤い球は、声の主の眼球だった。


 八の字を描くよう、末広がりに四対。しめて八つの赤い目が、縦長の細い瞳孔にて、高所から白星をぎょろりと眺め回す。


「世に聞く武の極致、心眼、というものか。物怖じせぬのも納得がゆく。ますますもって、敵に回したくはないものだ」


 巨大な八つの目がぱちぱちと瞬きをする様は、なんとも奇妙な光景である。

 余人が見れば卒倒しかねぬが、白星には不思議と愛らしい挙動に思えた。


 瞳の色こそ血を思わせるような真紅ではあるが、その眼差しには確かな知性が宿っているのを認めたせいだろう。


「うつくしきものよな。ぬしの瞳は」


 自然、こぼれ落ちた白星の賛辞に、八目やつめが不意を打たれたようにぱちくりとしばたいた。


「急に何を言う。わらわの姿を見て、畏れこそすれ、褒める者などついぞいなかったというに。下手な世辞はやめてもらおう」


 かすかな怒気と自嘲の混じる声の主に向かい、白星は豪放に笑い飛ばした。


「かか。上辺の事など、何とでも言わせておけい。わしなど、本体はこの白鞘よ。人の形ですらないわ。よほど笑いぐさであろうが」


 白鞘を掲げて見せ、続ける。


「わしは、ぬしの瞳を通して感じた、性根の清らかさを褒めたに過ぎぬ。それをも世辞と切り捨てるか」

「なんと……朝敵と迫害されて幾星霜……それな妾をそのように……」


 白星のきっぱりとした物言いを受け、八目にじわりと涙が浮かぶ。そんなところは、確かに人間らしいと言えた。


「あれ、歓喜からの涙など、いつぶりか……妾とした事が、かような無様を晒すとは……」


 一しきりすすり泣く声が響いた後、八目は元の強い意志を取り戻して白星を見詰めた。


「客人の前にて失礼致した。改めて、名乗りを。妾は土蜘蛛と呼ばれて久しい、八十女やそめが一つ、五馬いつまと申す者。強く不可思議な御仁よ、名を聞かせてくれまいか」


 口上と共に、暗中で風が揺れた。恐らくお辞儀でもしてみせたのだろう。


「今は白星と呼ばれておる。やはりぬしらが土蜘蛛と呼ばれる者達であったか。八十女とは、ぬしら土蜘蛛の同盟か」

「そう捉えてもらってよい。我等は女王が立つ群れが多いがために付いた呼び名。かくいう妾も、この群れを率いる女王。ここより北東、五馬の地を治めていた」


 八目を細めながら、五馬はぽつぽつと土蜘蛛について語り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る