幕間 三

三十五 赴

「ふん。恒例の事とは言え、やはりここらの田舎臭さには慣れんな」


 車を降りた鹿島貞頼は、分かり易い程に顔をしかめ、袖で口を覆った。


 周りは森で囲まれた広場で、ともすれば鳥や獣の声が響き、付近の清流のせせらぎが聞こえて来るような、大自然の只中といった場所である。


 そのような神気さえ漂う清浄な場を、派手好きで都会贔屓ひいきな貞頼の感性は受け付けなかった。


「左様で。もっとも、帝都を基準となされては、どこへ行こうと同じ感想になってまいそうですな」


 降り口に控えていた従者の一人が、すかさず相槌を打つ。


「うむ。それはそうよ。帝都ほど雅で絢爛、華美な場所など、この国のどこにもあるまい」

「まったくもって然り。しかし拙者、恥ずかしながら俗物にして。こちらでのにつきましては、割合気に入っておりまする」


 別の従者が媚びるような声を上げると、貞頼はにやりと口角を上げた。


「ああ、うむ。そうさな。あれはあれで悪くない。こんな折りでしかできぬ遊興よ」

「此度も、我等におこぼれを頂戴できますれば、幸いでございまする」

「はは。正直な奴らめ。まあ、せいぜい順番が巡ってくるのを祈っておるがよい」


 愉快そうに笑って歩き出した貞頼は、視界を占める大きな建物を示して告げる。


「あれなるの恩恵に与れますように、とな」



 たった今、貞頼が到着したのは、熊野の大社、その本宮。


 毎年催される神事を滞りなく進めるため、護衛として五百の兵を預かり赴任したのだ。


 自らを天津神の直系であると自負する貞頼は、帝都より外にある寺社の類を軽視する悪癖があった。

 例え、帝すら行幸する由緒正しき大社であっても、である。


 それ故の嘲りの言葉であり、自然を嫌悪する潔癖さにも繋がっていた。


 何しろこの熊野大社は、発祥が古すぎて祭神すらが曖昧である。


 曰く、天照大神あらまてらすおおみかみ素戔嗚尊すさのおのみこと。果ては名も知れぬ他の神であるとも。様々に囁かれるも、正解はなく。

 社殿の随所に三本足の烏、天津神の遣いである八咫烏やたがらすの像が配されている事から、天津の系譜に連なる事だけが断言できた。


 天津の祖は余程の秘密主義だったらしく、真偽を知るのは帝と、その後援である伊勢氏。そして大社に詰める巫女のみという、徹底した秘匿ぶり。


 このように神の縁起を隠蔽する事は、その一端でも漏れてしまえば神性が損なわれてしまうような、緻密で複雑な式が組まれている場合に多く見られる。


 しかしそれを、八咫衆が一つ、鹿島が中将貞頼ですら、祭祀の詳細を知る事が出来ぬ。

 その事実が、余計に腹立たしさに拍車をかけるのだった。



 帝都から南へ遠く離れた熊野へは、徒歩で行くならば早くとも二、三週間はかかる。

 途中山越えの難所が幾つもあるため、馬も気軽には使えない。


 故に中将である貞頼は、天狗衆が担いで空を運ぶ「飛天車ひてんしゃ」という乗り物を駆り、精兵五十のみを伴って、一週間ほど早く到着を果たしていた。


 この飛天車は、鹿島の軍には天狗の数自体が少ない事もあり、とても貴重な移動手段である。

 それをこうして優先的に使用できるという立場は、貞頼の自慢の一つでもあった。


 地上を遅れてやって来る兵達は、道すがらに賊や鬼などを退治しながらの、過酷な工程を辿る事となる。

 こうした周辺の掃除も兼ねた大規模な行軍により、熊野までの街道の安全を確保する意図も込められていた。



 貞頼は個人の武力より、兵を効率よく動かす術に重きを置いている。


 隊を部門別に細かく分け、将校の得手不得手を見抜いて適材適所へ送り込む。


 自らが陣頭に立たずとも、大軍が定められた機能を全うするよう、事前に差配する統率力こそ、貞頼を中将たらしめ、帝の信任を受けて神事の勅を賜る所以ゆえんとなっていた。


 それだけに、最近の浅羽兼続の活躍が気に入らない。


 個の力で多勢を引っ繰り返してしまっては、軍の面目丸潰れである。


 故に、今回の熊野詣でに際して部下達には、近辺の賊狩りを徹底させていた。


 日ノ国の秩序を保っているのは、英雄・浅羽兼続などではなく、鹿島の精兵である事を今一度示すためだ。


 幾度となく小競り合いを繰り返した盗賊や野伏はもちろん、今まではこそこそ隠れ回っているだけだった流浪の民まで、国に従わぬ者は、目に付く限り全て捕らえよと厳命した。

 抵抗するならば、生死を問わず、とも。


 その命令は忠実に果たされているようで、早馬ならぬ早天狗によって、次々と朗報が届いている。


 これならば気分よく神事に集中できるだろうと、ほくそ笑みながら貞頼は本宮の入り口へと向かう。


 そちらには、遠目にもわかる宮司の衣装をまとった者達が、貞頼の来訪を迎えるために列をなしていた。

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