三十一 習うもの
思いがけず、同志と縁を繋いだ翌日。
昼頃になってようやく目を覚まし、裏庭の井戸にて顔を洗ってきた健速が苦笑いと共に二階へ戻って来たところで、中断していた話を再開する事となった。
星子は白星の影に沈んでいる。
未だ姿を取るのでさえ負荷が強かろうに、絶たれたと思われた血族との再会、初の高級甘味の試食と、吉兆とは言え立て続けに大きな感情の波に襲われたのだ。
一時はそのまま成仏しかねぬ勢いで姿が薄れていたが、ふと正気を取り戻すと、恥じ入るように白星の影へと潜り込み、再びの眠りに落ちていた。
しかし此度は失意によるものではなく、希望を得た安心がもたらした健やかな睡眠である。
機があれば、自ずと目覚めるであろうと白星は楽観して放置した。
むしろ、これから話し合う内容を思えば、星子は寝ている方が都合がよいかも知れぬ。
健速とは、里の内外の情報を共有するにあたり、必然と七年前の事件も話題となる。
それを今の星子が冷静に受け止められるかどうかは、まだ怪しいと言わざるを得まい。
「いや、昨晩は面目ない。早速話の続きをしよう」
健速が両袖を抱くようにして、囲炉裏を挟んだ白星の正面へ座ると、
とは言え、地方の農村では須佐の里と生活水準はそう大差ない。
独自の掟があったとて、博打や過ぎた酒、窃盗、刃傷沙汰など、戒めるものはほぼ共通である。
これらの節度を守り、よほど突飛な事を仕出かさねば、そうそう問題とはなるまい。
そもそも白星は情報を得さえすれば、それらの集落へ長居するつもりもなく、野宿の必要すらない。地方での行動は今まで通りでほぼ構わぬだろうと、健速も太鼓判を押した。
次いで懸案だった貨幣制度について。
地方では物々交換がまだ主流ではあるが、街道の敷かれた大きな町では、中央に穴の空いた硬貨である銭や、砕いた銀塊を用いた取引が常となる。
白星は舞いという見世物により先日の対価と代えたが、健速は今後もそれに頼る事へは難色を示した。
この治安が悪い時勢、国を巡る旅人は激減しており、芸人の一座なども同様に衰退した。白拍子や巫女の類は、ほとんどが寺社や身分ある者の管轄下にあるのが現状である。
白星の舞いは、実際金銭が取れる程の雅なるもの。
流れの白拍子がそれ程の才を持つと知れれば、いずれ名が売れ、嫌でも目立つであろう。
それを危惧した健速は、路銀は自分達が都合するとして、隱行に専念するよう白星へ進言した。
幸いにも、昨日の客層には健速以外に目が肥えた者は混ざっていなかった。
健速は先程階下へ降りた際、常連客や奉公人を通じ、「お忍びで近くの寺社へ参拝した、やんごとなき御方の一行よりはぐれた巫女だった」、と白星について吹聴しており、皆を納得させていたのだ。
長年築いた大黒屋の人柄が成せる業か、そこまで鮮やかに手回しされていては、白星としても口裏合わせに反対する理由もなし。
後援者がついた今、危険を侵してまで舞いを披露する必要もなくなり、この件は落着した。
路銀の心配がなくなった事で。
次の議題は、いよいよ一度棚上げしていた里の襲撃犯に鉾が向いた。
「やはりおれとしては、兄者がおって里が落ちたというのが納得いかぬ」
長に対して絶対の信頼を寄せていたのだろう。健速は鼻息荒く腕を組んだ。
「昨日は、詳細不明だと聞いたが。本当に何も手がかりはないと?」
「うむ。襲撃時、起き抜けのわしの知覚範囲は、せいぜいが鎮守の森の境まで。その外は
須佐の術儀こそ結界を元に修めたたものの、森の外で起きた事柄については記憶の混濁が酷く、白星には解明が叶わなかったのだ。
白星は自嘲混じりに話しながら立ち上がると、囲炉裏を迂回して健速の脇へ歩み寄る。
そして抱いていた白鞘の先を健速へと差し向けた。
「なれば、ぬしが直に視るが早い。見たところ、わしの妖気に呑まれておらぬしの。須佐が縁者であり、理を知るぬしであれば、わしと意識を繋いでも己を保てるであろう。外より覗けば、あるいはわしとは違った視点、即ち里で起きた真実を引き出せるやも知れぬ」
「それは。なんとも軽く難題を振ってくれなさる」
健速が一瞬怯んだのも無理からぬ事。
白星の提案を要約すれば、白鞘に蓄積した土地の記憶へ、思念体として飛び込んで情報を探してこい、というものである。
思念を己の器より外へ飛ばす。
その行為は、言ってみれば幽体離脱とほぼ同義。
失敗すれば最悪、器に戻れず消滅を免れぬ。
精神を扱う
「かか。長の弟なれば、その度量しかと見せてみよ」
「里で随一の兄者を引き合いにされても困るのだが」
挑発とも発破とも取れる白星の言葉に、健速は苦笑しつつも、目の光を強めていた。
「しかし、そうか。兵として里の役には立てなかったおれに、
「うむ。それでこそよ。骨は拾ってくれる」
「それなら、砕けても安心だ」
ほんの軽口を交わすと、健速は瞬時に顔を引き締め、半眼で座禅を組むように姿勢を正す。
そして精神の統一なったと見るや、目を強くつぶり白鞘の先端をしかと左手で握り締めた。
たちまちに、触れた手が白鞘の冷気に体温を奪われ青白くなってゆく。
しかし健速はお構いなしに集中し、呪言を唱えつつ右手で五芒の印を切り終え、白鞘へと己の意識を投影していった。
するとその身からふと力が抜け、ぐらりと後方へ傾いたが、予期していた白星によって背後から抱き支えられ、姿勢は保たれる。
思念は上手く白鞘へと移ったものらしい。
内部へ潜った健速が有益な情報を見付け易くするため、かつ、その精神へ命綱を繋ぐ意味合いも込めて、白星自身も記憶へ同調を始め、健速の思念を追跡する。
傍目には二人寄り添うようにして。
静かに、しかし内面では神経を削る、苛烈な道程を辿る精神の戦が始まった。
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