幕間 二

二十三 狗

 賊の拠点への奇襲にて手傷を負った浅羽兼続は、奇跡的な回復を果たしていた。


 欠けた左腕を異端の業にて繋ぎ、新たな武器として使いこなすまでとなり、今や各地で起きる暴動や鬼の討伐に引っ張りだこ。八面六臂はちめんろっぴの活躍を見せるに至っている。


 それにより民の支持を得て、帝より労いの声を賜るなど、没落しつつあった浅羽の家名が、嘘のように息を吹き返し始めた。



 それ事態は良き事である。

 要は家の格を取り戻すが、血族の宿願であったのだから。



 帝都の軍の要、八咫衆は、三つの旧き家から成っている。


 即ち、香取かとり鹿島かしま浅羽あさばが三家。


 民衆より俗に御三家と呼ばれるこれらは、帝都へ詰めて防衛にあたる香取、直轄地を固める鹿島、辺境へ目を置く浅羽、といった具合に割り当てが決まっている。


 中でも遠方の豪族を監視する、間諜かんちょうの任が多くを占める浅羽はいわゆる裏方であり、単純な兵力に劣る事はもちろん、帝や宮中との繋がりも薄く、他の二家より低く見られがちであった。


 現当主、つまり兼続の父、兼成かねなりは非常に気位が高い人物であり、この立場に我慢ならなかった。


 なんとしても己の代で他の二家を出し抜き、帝都での地位向上を果たさんと躍起になっていたところへ、在野にあった法師陰陽師、芦屋道子が協力を申し出た。


 直接登用したのは兼成であり、旧いだけの弱小家門に目を付けた道子の思惑は、兼続の知るところではない。

 互いが交わした約定についても、父は黙したまま。


 そのため始めは、軽薄な言動も相まって、胡散臭い事この上なく思えたものだった。


 しかし道子はどういった訳か、宮中の儀式を取り仕切る陰陽寮へ、強い繋がりを持っていた。


 そしてたちまちに、帝の信任厚い陰陽頭おんみょうのかみ賀茂貴常かもの たかつねの口添えをもって、賊討伐の密勅を賜り、見事に浅羽家の手柄と変えてしまったのだ。


 もはやその手腕には一目置かずにはおれぬ。


 身の弱い長兄に代わり出撃した兼続自身も窮地を救われ、代わりの腕すら与えられた。その感謝へ偽りはない。




 しかし、事の起こりである七年前の襲撃。



 あれは本当に必要であったのか。

 まことの正義に繋がる行為であったのか。


 その疑念は今も燻り、賊の長との短いやりとりと共に、兼続の胸へ訴える。




 ここ数年の国の乱れは、いささか目に余るものがあった。


 これまでは、各地で起こる事件は国司の差配で片付いていた。


 大事と言えば、せいぜいが土地の利権を争う豪族同士のいさかいを仲裁する程度。

 それも八咫衆が筆頭、鹿島の一軍が声をあげるのみで事足りた。



 しかし、道子の言う安部氏が末裔を打ち破った後はどうだ。


 年々と、小規模ながらも一揆や反乱の芽が吹き始め、怪異の類も発生する事多々。


 今しも、帝都の北西に位置する鬼の本拠地、大江山の動きが活発化している。


 昨今では鹿島の兵が足りず、本来斥候の位置にある浅羽家までも、機動力を見込まれ前線へ駆り出される始末。


 それらの激務に忙殺され、兼続の疑念は宙に浮いたまま。


 いつしか兼続は思考を止め、心は荒み、鋭い目付きはさらに険を増した。

 そのやりどころのない苛立ちを、反逆者や鬼相手にぶつけるようになっていた。








 ──ぐちゃり、と。


 肉塊を握り潰した音が耳朶を打つ。


 しかしそれは、本当に己が立てた音なのか。


 兼続には断言できぬほどに、どこか遠くで鳴ったように感じられた。


 視界一杯に、自分の左手が風呂敷のように大きく広がって、獲物を包み込んでいるのを、まるで夢見心地のように眺める。


 指の間に間延びした皮膜のようなものを張り、逃げ場なく覆い尽くしてから、一息に握り込む。


 それが水掻きにも見えなくもない事から、人魚の肉とはあながち嘘でもなかったのだろうか、などと思う合間にも。


 ぐちゅり。

 ばきり。

 めきり、と。


 人程度の大きさのものなど、容易く圧縮して、似たような音を立てて肉塊と変じてゆくのだ。


 兼続には、自分の意思がこれを望んでいるかどうか、確信が持てなかった。

 左の肘より先、人魚の肉とやらを移植した部分の感覚が一切伝わらぬ故に。



 ただ向かって来る者の殺意へ反応するように、気付けば形状を変え、命を刈り取っている。



 恐ろしい事に、この尋常ならざる殺戮を、心のどこかで愉しんでいる自分がいる事を、兼続は完全に否定できなかった。


 剣を振るうでもなく。

 今はなき羽団扇を振るうでもなく。


 間合いに入った敵を勝手に殲滅してゆく、おぞましくも頼もしき左腕。


 攻撃はこの相棒へ任せ、自分は戦場を駆ける事のみ集中すればよい。



 こんな武士の風上にも置けぬ、闘いとも呼べぬ行為に、愉悦を得るなどと。



 動く者のなくなった戦場で、元の形状へ戻り朱に染まった腕を見て、兼続はようやく正気に戻るのだ。


「──これで終いか! もう敵はおらぬのか!」


 そして、勝鬨とも慟哭ともとれぬ激しい咆哮を上げ、己の猛りを鎮めようと試みる。


 勝利なっても、まるで気が晴れぬ。


 近頃では戦の後は毎度この調子であった。



 しばしの時を置いた後。

 右手で額の汗を拭い、息を整えているところへ。


「はっはっは。これはまた。派手に暴れたものよな」


 周囲の血だまりを微塵も気にせず跳ね散らしながら、黄金こがねの胴丸に身を包んだ壮年の武者が、数人の供を連れて寄って来た。

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