二十二 路を拓くもの
かくして賑やかにして充実した日々が流れる事、しばらく。
春もたけなわ。山は彩を濃くする一方で。
白星の努力はついに実を結び、白路の地はかつての隆盛を上回る、神気に満ちた霊的な要塞として再起がなった。
緑と生き物、そして
俗世より隔絶された天然の理想郷。
領域内で生命の円環が正しく廻る限り、気脈は途切れる事なく湧き続け、さらに土地を豊かに肥やしていくだろう。
そして豊かであればあるほど気は強まり、繋いだ白星の力を増してゆく。
須佐の地を覆う氷雪に割いた分を帳消しにして、なお有り余る気を得る事となった。
足がかりとしてこれ以上ない出来に満足し、白星はいよいよ白路の地より発つ事を決めた。
古狼に龍穴の管理を任じ、旅立ちを告げると、群れは総出で送別の列をなした。
「とうとう行かれるのですね。白星様」
岩へ腰かけた白星を囲み、一族を代表して古狼が前へ出る。
「適うならば、我等も同行したくはありますが」
「かか。これより先は、いよいよ人の領域を行くこととなろう。ぬしらを連れては目立ちすぎるでな」
白路の地より北へ進めば、人の拓いた土地に出るという。
そうなれば、どこに敵の目があるか知れぬ。一層隠形には気を遣わねばなるまい。
「まずは敵の正体掴まねば始まらぬ。ぬしらの力を借りるとすらば、その後よ」
しょげたように下を向いた古狼の鼻筋を撫でると、名残惜しむようにその目がしばし閉じられた。
「なに。ぬしらはここで、在るように在ればよい。それこそが地脈を強め、わしの力となるでの」
集った群れの者達へそれぞれ目を合わせながら、白星は笑いかけてみせる。
情に脆い狼達は泣き顔を堪えつつも、主の旅立ちを晴れやかに送るために、努めて明るく振る舞った。
「白星様のために、毎日歌います。次に会う日までに、もっと上手くなっておきますから」
「かか。その時は、いの一番に聞かせよ」
「おれ、ひょうし、きざむ。しらぼしさま、ずっと、おうえんする」
「うむ。ぬしの足踏みは力強い。どこへおっても聞こえようぞ」
「お、おれだって! かりに、まいに、うたに、なんだってできるようになってみせる!」
「ぬしは欲張りよな。だがそれでよい。成せるものあらば、全て成してみせよ。後に悔いなきようにの」
入れ替わり立ち代わりに別れを告げる民へ、それぞれ返しながら頭を撫でてゆく。
その慣れたごわごわとした感触も、しばらく触れ納めとなる。
一抹の寂しさこそあるが、送り出される喜びも白星は感じていた。
今生の別れではなく、再び
戻る拠点を得られた事は、根無し草であった白星にしてみれば
「白星様。いと強き御方。我等を救い、森の復活へ数々の尽力を頂いたこのご恩、決して忘れません。我等白路の一族、末代まで貴方様を奉じ、この地を守護する事をここに誓います」
最後を締める古狼の宣誓に、白路の民は一斉に伏して頭を垂れた。
「おおげさよの。それがぬしららしくもあるか」
白星はにこやかに頷くと、ゆったりとした動作で立ち上がり、白鞘を担いだ。
「では、そろそろ往くとしようぞ。森の境界までは案内してくれるのであろ」
白星の言葉に、若い雄が興奮気味に飛び出した。
「はい! どうぞ、せなかに。ちかみちをいけば、ひとっとびですよ」
「かか。頼もしいの。これぞまことの送り狼よな」
白い毛並みにひらり飛び乗り、首回りの毛を手綱代わりにしかと掴む。
「世話になったの」
「いいえ、こちらこそ。ご武運をお祈り致します」
古狼と別れを交わすと、若い雄は一吼えあげて猛然と駆け出した。
それに応え、群れからも門出の遠吠えが重奏となって森へ響き渡る。
「うむ。力強く、うつくしき歌よ」
目を閉じ、それに聞き入る白星を乗せた白銀の疾風は、起伏に富んだ樹海の地形を難無くすり抜け超えてゆく。
言葉通りに、ものの一時もせぬうちに、木々はまばらとなっていき、徐々に視界が拓けていった。
「つきました、しらぼしさま。おれがいけるのはここまでです」
森と平野の交わるぎりぎりの境にて、若い雄は足を止めた。
白路の縄張りはこれにて途切れ、ここより先は別の土地となる。
「うむ。快適であったわ。駄賃をやろうぞ」
白星は地に降りると、袖より何やら取り出した。
「それは、なんですか」
好奇に光る若い雄の視線の先には、白い紐にくくられた薄青の小物が握られていた。
「手慰みに作ったでな。大したものではあるまいが」
白路の民の抜け落ちた冬毛を束ね、その毛糸から紐を作って輪を結び、溶けずの氷を削った櫛を通したものだった。
「どれ。じっとしておれ」
白星は若干緊張に身を固める若い雄の背中を、櫛で優しく
「これは櫛というてな。こうして身繕いに使うものよ」
「わ。ひんやりして、きもちいい」
一つ梳くごとに銀の毛並みは整い、艶を増して輝いた。
「皆にも同じようにしてやるがよい」
白星は若い雄の首に櫛を下げてやり、最後に頭をふわりと撫でた。
拙い出来だと白星は謙遜したが、しかと縁を結んだ眷属の体毛を依り代に、邪気払いの術式を丹念に編んだものだ。
彼らが大事に扱えば、いずれ祭器と呼べる代物となるだろう。
それもまた信仰に繋がり、民には加護を、白星には糧をもたらす事となる。
「はい! ありがとう、しらぼしさま」
快活な返事に、白星の頬もふと緩む。
が、それもわずかな間。
「うむ。達者での。いずれまた会おうぞ」
「はい。いってらっしゃい! おげんきで!」
はたはたと尻尾を振り、胸に光る氷の櫛を誇らしげにする狼へ微笑み残し、白星は颯爽と外の世界へ踏み出した。
森を抜けた先は、黄と緑が目を惹く菜の花の一大群生地であった。
陽光の元、眩しい程に主張する花々をかき分け、再び隠形まとった白星はゆるゆると歩を進める。
広い野原を横切ると、正面に大きな川が横たわっているのが見えて来た。
ここはまだ人の領域ではないのか、橋や船などは見当たらず。
川を渡るは造作もないが、向こう側にも山また山が続くばかり。
川原は多少の往来があるようで、あるかなしかの砂利が敷かれ、雑草に紛れた
「さて。どちらへ向かったものかの」
白星は楽し気に呟くと、閃いたとばかり、白鞘を地に突き立てた。
「どれ。天運に委ねるか」
支えた手を放し、白鞘が倒れるに任せ、その先を見守った。
からんと乾いた音一つ。川のせせらぎに消えてゆく。
果たして示された先は、白星から見て左手となった。
「うむ。なればいざ」
白鞘を拾い上げ意気揚々。
まだ見ぬものを求め、西へ一路。
再び地脈の流れ追い、大地を踏破する旅が始まった。
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