二十 筋射すもの
白星の剣幕に圧されつつ、古狼は首を左右に振った。
「それが、恥ずかしながら。ここはただでさえ人の往来なき地。我等、人とは知れても、その雌雄の見分けが付くほどの識はなく。面目ありません」
「責めてはおらぬ」
うなだれる古狼を、白星は手で制し、束の間思考を巡らせる。
黒狩衣の女は、この手で完全に息の根を止めた。それは間違いない。
しかしその後、似たような格好の者が里近くの龍穴に現れたという。
どうあっても偶然ではあるまい。
本人でなくとも、他に同格の術者が存在する可能性が濃厚となった。
まさにそれは、出立時に白星が危惧した事態。
そして、隠形を選んだ行動指針が正しかった事をも意味する。
今後も地脈を辿っておれば、あわよくば此度のように、行く先々にて敵の
いずれ
取るべき筋道の確認なった白星からは、もはや憂いは晴れていた。
わからぬ事は、いずれ時が来れば解決しよう。
明快なものから順に片を付けていけばよいのだ。
「とまれ、これで合点なったわ。ぬし程の旧き者がおって、邪気に容易く呑まれたが不可解であったでの。やはりこの件、他人事ではあるまいぞ」
「里を襲いし者と、この地に厄運びし者。それらは袖を連ねると?」
「恐らくはの」
龍穴に善性持つ主が在れば、自然と其処は聖域となるもの。
そうなれば、邪気など本来寄り付かぬはず。
敵がそれを敢えて曲げ、邪気溜まりとした意図は、白星をしても未だ見えなかった。
しかし、己はそれを喰らうが本懐。
一つ所に固まっておれば、都合が良い事この上なし。
行く手にも同様に侵された龍穴あれば、何をおいても取り込むまで。
手付かずであればなおさら、後々利用される恐れを考慮すれば、余さず平らげるべきと見た。
となれば、以前は極論とした全ての地脈を制するが、俄然現実味を帯びるものとなる。
仇討の
それがひいては仇討ちと、その地の者達の救いとの並行なるならば、一挙両得というものだろう。
事実、狼達からの感謝、及び敬意は、白星に喜悦と共に確たる活力を与えていた。
白星に善悪の比重は未だ定まらぬが、他者を助け信仰を得る道もまた、己の利となるをここに知ったのだ。
「かか。これも奇縁よの。もののついでぞ。ぬしらの恨みも背負うてやる」
「ありがたきお言葉、痛み入ります。なればこそ、我等が白星様を崇めるは必定。もはや露ほどの懸念もありません」
敵を同じくすると分かって、狼達の顔より霧が晴れ、期待と信頼満ちた眼差しが白星へ注いだ。
かくして
「うむ。小僧。ぬしのお陰で、光明一筋射したわ。名を聞かせよ」
「え、お、おれ。おれは、その」
白星に問われた若い雄は、困ったように古狼を見た。
「我等は臭いで互いを認識しておりまして、個の名を持たぬのです。一族を指して、
「さよか」
古狼の説明に、白星は納得して頷いた。
一瞬、名を付けてやろうかとの念が
名とは、個体を識別するのみにあらず。器に呪を宿し、時として枷ともなり得るもの。
彼等が祖より脈々と受け継いできた誇り高き名に、安易な手出しは無粋であろう。
「なれば、白路の若者よ。次はわしが一肌脱ぐ番ぞ」
白星は立ち上がり、若い雄の背中をさらり撫でると、狼達の囲みを割って、龍穴の元へと移動した。
「うむ。よき具合に月も出よったわ」
見上げた空は心情を模したように雲が晴れ、月光が淡く少女を照らし出す。
「龍穴と縁繋ぐ余興よ。一つ舞ってくれる」
白鞘をかつんと鳴らし、少女は拍子を刻み始めた。
白路の民が見守る中、ゆるやかに、しかして情熱込めて舞い踊る。
かつり、かつ、かつ。
かつ、かつり。
独特の韻を踏み、袖を振り、足を運んでくるりと回る。
回り跳ねては、白鞘振るい。
つま先滑らせ、かかとを鳴らし。
まるで月光に溶け込む蝶の如く。
白き影を残して流れる、
白星をして、囚われるをよしと言わしめた、うつくしき須佐の舞い。
それを自ら体現する事の、なんと快い事か。
一時白星は、周囲も忘れて舞踊に没頭する。
その面差しに浮かぶ喜悦は、かつて白鞘へ舞いを奉じた幼子が浮かべていたものとまさに同色。
今この時代、この場所で。この舞いを踊るを許されるは白星ただ一つのみ。
その愉悦は輝く艶となり、舞いに妖しい美を添える。
いつしか魅せられた古狼達から、拍子に合わせて掛け声があがっていた。
拍手の代わりに地を踏み鳴らし、大地の太鼓が夜空へ木霊する。
それを受けた白星はことさら興に乗り、陶酔増してふわり舞う。
やがて、熱狂包む朽ちた森に、急激な異変が起こった。
白星を中心として、拍子を刻むごとに広がる波紋。
それに触れた枯れ木と萎れた草花が、にわかに色を取り戻し、
心なしか、周囲の光度が増したかにも思える程の景色の変貌。
まるで、春の訪れを急かして見せたかのような神秘の映像。
瞬く間に緑と花々へ包まれ、古狼達へも歓喜が灯ってゆく。
「奇跡だ」
「御業だ」
口々に言う通り。
白星が舞いながらにして縁を結んだ龍穴より、膨大な気を吸い上げ、森の再生を促す糧へと充てたのだ。
早春の晩に桜花吹き、
舞台整い少女の舞いは、絢爛豪華に咲き誇る。
原始の律動鳴り止まぬ、幻想満ちた月下の祭は、夜が明けるを拒むよう、長く華やかに続いた。
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