十八 従がうもの

 しんしんと降り積もり、倍々と重さを増しゆく雪のように。


 古狼を縛る氷の楔は、周囲に漂う氷霧を際限なく取り込み、見る見る内に厚さを増していた。


 どうあがこうと、こじ割るよりも氷結する速度が上回り、古狼は成す術なきを悟る。



「降参致します。いと強き御方」


 しわがれた、しかして確たる人の言の葉もって、己の敗けを潔く認めた。


 そして老女のような声は、白星の予想以上に流暢に喋り出す。

 

「並びに、不遜にも御力試す儀と相成ったこと、深くお詫び申し上げます。願わくば、どうか私めの首一つで償いとして頂きとう存じます」


 古狼は氷山に埋もれる同胞を見やり、白星へ懇願する。


「かか。礼を知り、身内をかばうか。ぬしは首のみとなっても、さぞうつくしかろうな」


 少女は物騒な物言いに似合わぬ笑みを咲かせ、白鞘を抱えて古狼の目前へ無防備に腰を下ろした。


「しかし生憎と、ぬしの首なぞいらぬ。代わりに、とくと話相手をせよ。旅立ってより、森と山野ばかり。言の葉解する者、ついぞおらんかったしの」


 その言と共に白鞘が一つ鳴り、周囲の氷がさりさりと澄んだ音を立てて薄れてゆく。


 あっさりと呪縛を解かれ、古狼は若干困惑しつつも身を起こす。


 見れば、氷山もどろりと解けて、存在が嘘だったかのように土中へ吸い込まれ果てていた。

 囚われた者達も自由を取り戻し、互いの無事を確かめては喜色に染まり、続々と少女と古狼の元へ集う。


「一度は歯向かった者を、こうも容易く解放なさるとは。なんと寛大な」

「敵意なきをいたぶる趣味は持たぬでな。それとも、次はまとめてかかってきよるか。なれば、今度こそ加減なぞせぬが」


 それも一興と豪語し、やはり笑う少女へ向ける古狼の瞳には、はや崇敬の念が浮かんでいた。


「いいえ、いいえ。もう十分です。貴方様には、我等が束となろうが敵う道理はありません」


 諸手を上げて完全降伏。


 長であろう古狼の言が、群れの総意ということか。

 勝手に少女へ牙剥く者もなく、古狼の後ろへ整然と列をなしていく事から、厳に統率なった群れだと知れる。


 頭垂れた長へ倣い、群れの者達も次々地へと伏してゆく。

 やがて溶けた氷の跡を埋めるように、銀色の敷物が一面に広がった。


「本来ならば、魔として駆逐されていても文句の言えぬ身。それをして、慈悲深くもこうしてお救い頂き、まこと感謝に堪えません」


 古狼の謝辞に合わせ、群れが一斉に頭垂れる。


「しかし、我等白路はくろの一族は、戦士の牙を受け継ぐ者。己より弱きに窮地を救われたとあれば、祖に顔向けなりません。故に、非礼を承知で力を量らせて頂いた次第。貴方様のお手を煩わせた罰、如何様にも賜りたく存じます」


 顔を地にめり込ませるようにして陳謝する古狼へ、白星は鷹揚に頷いた。


「さよか。なれば遠慮はいらぬな。この地が龍穴、丸ごともらい受けようぞ」

「それは願ってもない事。正直申しまして、我等には到底過ぎた代物。突然降って湧いたものの、扱いあぐねた結果がこの始末。どうぞお納め下さい」

「かか。わしと繋いだ以上、邪気など寄った端から吸い尽くしてくれる。脈さえ尋常なれば、龍穴の気を受け、遠からず森も元通り。いやさ、それ以上に豊かとなろう」


 白星が太鼓判を押してみせると、一件落着とばかり、古狼を始め群れからわっと大歓声が沸き上がる。


「重ねて御礼申し上げます。いと強き、偉大なる御方。お名前を、お聞かせ願えましょうか」

「今は白星と呼ばれておる」

「白星様。なんと気高き、清廉なる響き」


 古狼は名を噛み締めるように反芻はんすうすると、次いで高く天を仰いで一吠えあげた。


 いつの間にか沈んでいた日を追いかけるように、よく通る声が山々の彼方まで駆け抜ける。


 すると一斉に、群れ全体より遠吠えの唱和が鳴り始めた。


 それらは、きらめく魂からの原始の叫び。


 正しく生へ戻った歓喜満ち、命を謳歌する者による友愛の奏で。


「かか。勇ましいの」


 自然、白星にも柔和な笑みが浮かぶ。


 古狼はひとしきり吠えた後、白星へ鼻先を差し出した。


「白星様。どうか我等の信奉と忠誠をお受け取り下さい。強く正しき御方に仕えるは、戦士の喜びです」

「かか。好きにせい」


 白星は古狼を一つ撫で、快く承諾してみせた。


「しかし不思議なものよ。四つ足にして、もののふの矜持を持つか。もしや、どこぞの戦神の遣いでもやりおるか」

「かつてはそうあったと伝わっております。その祖も、すでに天に通じて地を去りました。残念ながら、我等の代では、すでに御声みこえ聴くこと叶いません」


 白星の問いに、古狼は目を細める。祖に想い馳せるかのように。


「さよか。存外、わしの起源に関わりよるかと思うたが」

「と、申されますと?」


 古狼に請われ、白星は今までの経緯をぽつぽつと語って聞かせ始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る