十四 活きるもの

 星子の霊体はしばし眠たげな顔を晒して浮遊していたが、白星へ視線を向けると、たちまち刮目して口を開いた。


(母、上?)

「かか。寝ぼけおるか」


 白星に笑われ、ほどなくして星子に正気が戻る。


(似てるけど、少し違う。もしかして、白星、なの?)

「うむ」


 意識と同時に視野も拓けたようで、首肯する白星と泉に映る己を見比べ、星子は一言噛みついた。


(ずるい。あなただけ大きくなって)


 元より身と魂とは成長が同期するものではない。

 七年の歳月を眠りに費やした星子の精神は、その間時を止めていたのだ。


「かか。それなざまでは、いつまで経とうが育たぬぞ」


 見た目相応の膨れ面をする星子の頭へ、白星はあやすように手を伸ばす。


「焦らずともよい。これより色々に見聞なれば、ぬしもいずれ長じよう」


 実際に触れる事はできぬが、多少の慰めとなってか、星子はそれ以上駄々をこねる事はなかった。


 代わりに、己よりも優先すべきを思い出したのだ。


(これから、どうするの。皆の仇、ぜんぶ討てるの?)


 努めて平静に、かつ憎悪の拭いきれぬ問いを星子は口にした。


「今すぐに、とはいかぬであろうな」

(どうして。白星は、あんなにつよいのに)


 首を振る白星へ、つかみかからんばかりににじり寄る。


「わしとて万能にあらず。あの女と対した際に使うたは、須佐が積み上げし地脈を用いた業ぞ。この地より一歩踏み出さば、到底為し得ぬものよ」


 対した白星は、周囲を取り巻く吹雪を示し、丁寧に説明を続けてゆく。


「重ねて今や。これな氷雪の維持に、身の修復、成長やらと。様々に気を使い回しておるしの。恐らくすぐ外では敵が、わしらが動くを待ち構えておろう。仮にあの女と同格の使い手おらば、此度は戦にもなるまいて」

(では、どうするの)


 八方塞がりと受け取り、星子の思念に怒気が混ざるも、白星は焦り一つ見せず。


「なればこそ。まずは外をめぐるのよ」


 己の足で外界の土地を踏み、気を通じてえにしを繋ぐ。

 そうして見聞と共に地脈の支配を広げて行く事が、そのまま自らの力を強めると、白星は確信をもって説いた。


 極論するならば、この国を走る全ての脈を押さえてしまえばよいのだ、と。


「そして、武は言わずもがな。知もまた力なり。わしらはあまりに無知に過ぎる。敵はおろか、己の事すら定かにあらず。世界を知らば、自ずと見えるものも増えようぞ」

(またむずかしいことばかり。それも、ことわり?)

「かか。これは心構えと言ったところかの」


 煙に巻かれたような渋面を作る星子へ、白星は朗らかに笑いかける。


「星子や。激情を忘れよとは言わぬ。しかし囚われすぎらば、今にぬしの魂残らず砕けよう。仇を討つに、ぬしが正気のままで見届けねば、意識を繋いだ意味は無に帰そうぞ」

(……なんだか、ほんとうに父上や母上みたいなことを言う)


 白星のいたわりが通じてか、星子の顔は一時安らぎを浮かべた。


「かか。ぬしらの祖より共に在ったものぞ。あながち遠からずであろ」


 太陽へ諸手を掲げ、とんとんと素足で拍子を踏みながら、白星は泉の前をくるり舞う。


「星子や。そろそろ語らいは終いぞ。里へしばしのいとまを告げよ」


 するとたちまち溢れた泉が収束し、白星の足元へ滑り込んでその身を高みへ持ち上げた。


(なあに、これ。すごい!)

出立しゅったつこそ、はなやかにあれ。このまま外までひとっ飛びよ」


 感嘆にはしゃぐ星子と喜悦浮かべる白星を乗せ、うねる水流は須佐の天を龍が如くに駆け抜ける。


(でも、だいじょうぶ? お外には敵がいるんでしょう?)

「案ずるな。策はある」


 白星はしたり顔のまま、水流の舵を取るように、白鞘をくるりと一つ正面へ回す。


 行く手の吹雪がことごとく道を空け、白星と星子はついに外界との境を目に入れた。


 白銀の世界より一線超えた先は、生命のきらめきに満ちる緑が萌ゆる。


(きれい)

「うむ。うつくしきを感ずる心持ち、自我の存続がため、ゆめ忘るるな」


 ざばざばと、滝のような大音響を背景に。


 かつて里を襲った者どもが侵入を果たした小川へと、洪水を伴って、白鞘を携えた少女達は舞い降りた。



 此度は出口。出発点とせんがため。



 白氷はくひょうの結界より未踏の地へと、初めの一歩を意気揚々と刻み込む。


 ぱしゃん。


 何の事もなく、揃えたつま先が小川のせせらぎを跳ね散らした。


 そして、静寂を破られた森も動ずる事はなく。


 刺客のしの字も見えぬままに。


 白星は悠々と川底を踏み締め、波紋を描いて下り始める。


(敵、いないの?)

「いくつか、見張りらしき気配はあるがの。わしらの姿を捉えておらぬのよ」


 須佐の術儀を修めた白星は、里を覆っていた結界の式を応用し、個の存在を希薄きはくとする隠形おんぎょうの術を編み出していた。


 触れたり話しかけたりなど、こちらから縁を繋がぬ限りは気付かれぬ。


 只今においては、他者から見て、水面へ浮かぶ木の葉も同然と映るのみ。


(よかった。なんだか……安心したら)


 星子の霊体が、急速に輪郭を崩しつつあった。


「その姿を取り続けるには、ぬしはまだ未熟。もうしばし、わしの中へおれ。何ぞ事あらば、起こしてくれよう」

(うん……父上、母上、皆。行って参ります)


 星子は最後まで惜しむように故郷を目へ焼き付け、白星の影の中へと溶け込んだ。


「どれ。せっかくの娑婆しゃばよ。じっくり楽しませてもらおうかの」


 白星は不敵に笑むと、腰に差すには未だ長い白鞘を、杖代わりに突きながら歩を進める。


 片手を背後へ軽く振り、告別と残して。


 再び吹きすさびだした氷雪が見送る白き背中は、一度たりとも振り返らなかった。

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