蟷螂の塔

カピバラ番長

蟷螂の塔


 森のざわめきが聞こえる。

強い風に揺らされて、まるで何かの叫び声のよう。

えぇ。本当はただ枝葉が擦れているだけだって知っている。

この世界に神様はいなくて、悪魔もいない。目を覆いたくなるような化け物だって、きっと存在はしない。

なのにこんな事を考えてしまうのは、この部屋に白金じみた明りしかないから。

ランプもロウソクもなく、マッチの折れ端だってない。あるのは、幾つもの骨だけ。

ここが人里離れた場所にある塔だと気が付いてからどのくらいの時が経ったんだろう。

傍らにいてくれる愛おしい人はなく、自分を飾り付けるための道具だってない。

……いいえ。飾り付ける道具はあったわね。

錆びついた鉄格子から覗ける外の景色。そこから時々、綺麗な花が迷い込んで来る。

それが唯一私に許されたおしゃれの道具。

すり寄ってくる猫のように私の足元へ訪れた花を、頭にのせて薄っすら微笑む。

見せる相手もいないのに。花が来れば飽きもせず、何度でも。

勿論、楽しくなんてない。面白いと思った事もない。

それでも私はだた月を見上げるだけ。

満ち欠けを数えて、物思いに耽るだけ。

この塔からは多分一生出ることはないだろう。

外への興味がないわけじゃない。森の中を歩きたいとさえ思ってる。

でも、外には出たくない。

理由は分からない。

だけど、この塔から……いいえ。この冷え切った部屋から、出たくない。

幸いにも、ここは住むのにそれ程困らない場所。

雨風はしのげるし、空間だって広い。…少し散らかってはいるけれど、端にどかせば三人くらい横になれる。

それに。 

 「……今回は早いのね」

静寂に響く、忍ぶような足音。

聞こえてくるのは、私が背を預けている部屋の扉から。

 「今度は、どんな御馳走かしら」

卑しくも垂れてしまう涎を指先で拭ってじっと待つ。

そう。ここの一番いいところは何もしなくても食事が運ばれてくること。

時間も、周期も、味も、一度だって同じだったことはないけれど、代わりにとっても新鮮でおいしい食べ物が運ばれてくる。

引き締まった肉、香りを添えるソース、どちらをとっても一級品。

出来る事なら飽きるまで食べていたい、そんな食事。

 「……幾つくらいの人かしら」

 ゆっくり、ゆっくりと近づいてくる足音に聞き耳を立てて吟味する。 

これは、そうね。二十代くらいの男の子かしら。

……ふふ、しかも、一人じゃない。もう一人、いるわね。

男の人にぴったり身体を寄せて歩いているみたいだし、女の子かも。

あぁ、いけない。

久しぶりの食事の事を想うと、だらしがなく頬が緩んでしまう。

両手で頬を挟んで上に持ち上げて、二人を怖がらせないようにしないとね。

 『ここ、かな』

 『そのはずだけど…』

 僅かに届く人の声。思った通り、若い男女の二人組。

あぁ。もう来てしまったの?

困ったわ。まだ心の準備ができていないのに。

けど、えぇ。

いいわ。中へいらっしゃい。

扉の鍵は開いている。私ももう、そこには寄りかかってない。

 『……開けるよ』

 『うん……』

錆びついた蝶番の擦れる音が、恐る恐る鳴り響く

大丈夫。怖がる必要なんてないわ。ここには私しかいないもの。何も心配する必要なんてない。

あなた達はただ中に入ってきてくれればそれでいい。

後は、私が全部、シてあげるから。

 「お邪魔、しまーす」

 「ちょ、誰もいないんだからそういうのやめ…」

 「えぇ、いらっしゃい」

鉄格子から降りる光のベールに照らされた二人の顔。

どっちも煤で汚れてて、幽霊を見たような顔をしてる。

 「どうかした?」

立ち上がって二人の元へと歩み寄る。

逆光のせいで少しばかり顔が見えないけれど。

 「……あらあら」

二人が気絶して倒れたのはよくわかった。






 「ホンットにごめんなさい」

 「いいのよ、気にしないで。慣れてるから」

気絶していた女の子ーーカロルは目が覚めると、月明かりに照らされたセミロングの栗毛を揺らし、何度も頭を下げてきた。

彼女が言うには、『見ず知らずの人を見ただけで気絶してしまってごめんなさい』ということらしい。

……本当に、いい子。

 「あの、ところで」

 「うん?」

 「どうして、こんなところに?」

きょろきょろと辺りを見ながらカロルにそんなことを尋ねられる。

 「ここ、森の奥も奥ですよね?明かりもなくて、お店もない。不便じゃありませんか?」

…当たり前な質問に、思わず口が開いてしまった。

そう、そうよね。普通なら誰も寄り付かない場所に住んでいるんだもの。気にならないはずがないわ。

でも、ごめんなさい。

 「ごめんなさい。理由は私にもわからないの」

 「…え?」

一瞬、身体を硬直させた彼女。

勿論、直ぐにその手を握って、誤解を解いてあげたわ。

 「でもほら、こうやって触れるでしょう?だから幽霊じゃない。

……こういうの、記憶喪失って言うのかしらね。ショックのせいで、何もかもを忘れてしまうっていうアレ。

私自身、私の事がよくわからないんだもの。貴女が怯えるのも無理ないわ」

掌から伝わる彼女の震えを優しく握り、少しでも怖くなくなるよう、私の存在を確かめてもらう。

それでも、やっぱり彼女はどこか私を憐れんでいるようだった。

 「ねぇ、カロル?」

 「は、はい」

薄っすらと怯えたような目で私を捉えるカロル。

そんな彼女の腰に、優しく手を回す。

 「え、あの、ちょっと…」

 「大丈夫。落ち着いて」

程よい肉付きの、引き締まった腰からゆっくりとお尻へ指先を滑らせる。

微かに引っかかる布の感触。その度に力を少し入れ直すからか、彼女は隠すようにして身を震わせた。

 「や、やめ……」

 「そういえば、まだ私の名前を教えてなかったわね」

 「そんなの、どうでも…」

太腿とお尻の付け根、その溝をなぞる。

 「んッ…!」

喉の奥から持ち上がるような嬌声。

ほんのりと染みている汗が彼女の体温を教えてくれる。

 「私はエン。

ね?私はこうして貴女と触れ合える。体温だってある。

……決して、誰かに恥ずかしめられた挙句に死んだわけじゃない」

 「それは……」

チラリと、カロルの視線が向かった先。そこには寝ている、まだ名前も知らない男の子。

 「それに、ここだって悪い事ばかりじゃないの。月は綺麗だし、花だって迷い込んでくる。静かで落ち着いていて、確かに何もないけれど、お陰ですごく穏やかに暮らせるのよ?

不便だ、なんて憤りを忘れてしまえるくらい、穏やかに」

相変わらず伸びたままで、彼女の上着を掛けてもらったまま。そんな子に向けられていた顔を、顎に手を添えて私に向け直す。

 「カロル」

 「は、はい……」

恐怖を……不安を堪えるような視線が私を捉える。

 「貴女、彼とこの森に来てから何日くらい経ってるの?」

 「……二週間、くらい」

 「…そう。その間に、何回?」

 「…一度も」

身体を摺り寄せ、互いの体温を触れ合わせる。

少しだけ震えている、カロルは、恥ずかしがるように視線を逸らした。

そんな彼女の瞳に私が映るよう、もう一度顎に手を添えた。

 「……あの」

唇をゆっくり近づける。

 「…ま、まって。ダメ…」

それを、無抵抗とも言えるくらい優しい手つきで、拒まれる。

 「大丈夫。貴女は私に全部任せてくれればいい。

怖い思いも、イヤな出来事も、辛かった旅路も、ぜーんぶ、忘れてしまいましょう?だって、貴女は今日までとても頑張ったんだもの。少しくらい、いい思いしてもいいんじゃない?」

 「…エン、さん」

 「だから、ね?いいでしょう?」

そうして、瞼が静かに閉じられた。微かに震えて、怯えているように。

でも、どこか期待している風でもあった。

この塔に来るまで、きっといろんなことがあったのよね?自分の快楽に身をゆだねた時すら忘れてしまう程に。

えぇ、だから。それでいい。

誰だって安寧の時が欲しい。自分の事だけに耽られる瞬間が欲しい。

だから、えぇ。今だけは、お互いの快楽を貪りましょう。

それを遮るものなんて何もない、この部屋で。

でも、貴女は声を殺すのでしょうね。

彼を起こさないように。気づかれて、目が覚めないように。

けれど、堪えれば堪える程想いは増してしまうもの。

今の貴女がそんなことをしたら、きっと、大変なことになってしまう。

例えば、そう。意識が飛んでしまったり、とか?

でも、いいわよね?最後の晩餐だもの。そのくらい派手にいかないと。

きっと、後悔してしまうから。




                   ーーーー





 「あれ、俺……」

 「あら、目が覚めた?」

 嘘のように静まり返った部屋。

月の明りに照らされた男の子の寝ぼけた眼が次第に私を捉えていく。

 「……あの、貴女は」

 「エン。そう呼んで」

 「えっと、エンさん?その、俺と一緒にいた女の子、知りませんか?」

辺りを見渡し、彼はカロルの事を探し始める。

ふふ、そうよね。やっぱり、気になるわよね。

 「こっちにいるから心配しないで。

それより、貴方はどう?」

 「え?」

予想していない質問だったからか、彼は驚いた様子だった。

 「ふふ。おかしな人ね。貴方、倒れていたのよ?心配するなって言う方が無理じゃない?」

 「た、確かに」

思わず口元を震わせてしまった笑みを隠して再び彼を見る。

 「ねぇ、貴方。お腹は空いていない?」

 「お腹、ですか?」

 「えぇ。お腹。こんな森の奥にまで来たんだもの。食料が尽きてるんじゃない?」

 「それは……」

尋ねると同時、彼のお腹が切なく身をよじる。

 「けど…」

遠慮がちにお腹を抱える彼。

やっぱり、ちょっとだけ困っていたのね。

 「大丈夫、安心して。食べ物ならたくさんあるから。……お野菜はないけどね」

そう言って、手にしていたものを口に運ぶ。

気味の良い、肉のはがれる音が憚りなく響く。

そうしてもう一度鳴る、彼のお腹。

 「じゃ、じゃあ、遠慮なく」

誘惑に誘われて掛けてもらっていた上着をずり落とし、少しだけぐらつきながら立ち上がろうとした時。

 「……?」

彼の手に何かが当たる音がした。

 「…これ」

 「あら、あらあらあらあら。

気が付いちゃったかしら」

 「え…、骨?」

ぴたりと動きを止めて、彼は混乱露わにした。

ダメね。緊張は最悪のスパイスなのに。

 「あ、あの」

 「大丈夫。落ち着いて」

 鉄格子から降り注ぐ月光のベールが彼の前を通り過ぎて行く。

きらり、きらり、と、部屋の中の埃を照らして。

 「あ、……え?」

 「それはカロルじゃないわ」

口端から垂れる雫を指先で拭い、そのまま唇を染め上げる。

丹念に、決して塗り残しが無いように。

 「あ…あぁ……」

 腰を抜かして座り込んでしまう彼。

 「に、逃げ……!!」

その傍らに歩み寄る。

 「あら。恋人を置いてどこに行くつもりなの?」

粘り気のある液体の音が小さく、でも、しっかりと、部屋の中に響く。

困ったわ。いつの間にかこんなにこぼしていたなんて。もったいない。 

 「なんで……開かな……」

どうにか這いずった身体で、必死にドアノブに手を伸ばし、けれど、何度捻っても開くことはない。

けどそんなの当然よね?

 「貴方は、部屋の扉も閉めずに食事をするの?」

ご飯に、逃げられでもしたらかなわないもの。

 「あ…あぁ……やめ…」

全身を震わせて、彼はゆっくりと振り向こうとする。

もう、私のいない空間を。

 「貴方も、食べる?」

ふぅ、と耳元に息を吹きかける。

手にしたカロルの脚を見せてあげながら。

……そうしたら、途端に彼は静かになってしまった。

 「ふふふ、残念。おいしいのに」

あぁ、いけないわ。

こんなにがっついちゃってはしたない。

私だって女の子だもの。もっとお行儀よくしないとダメなのに。

……えぇ、でも。無理、よね。

こんなご馳走を前にして、我慢できるはずがない。

柔らかいお肉、引き締まったお肉。どちらも私の大好物だもの。清楚に、可憐に、淑やかに…なんてできるはずないわ。

ごめんなさい、二人とも。

ちょっと、食べ散らかしちゃうかも。

でも、安心してね。

絶対に残したりなんてしないから。

だって、待ちに待った御馳走なんだもの。

次の食事が来るその日まで、しっかりあなた達を思い出せるように、ちゃんと味わうから。

 「忘れてしまった、あなたの分までね」

カロルの傍で私を見続ける、一つの頭蓋骨。

色はくすんでいて、触れば砕けてしまいそうなそれを手に取る。

 「あなたもきっと、おいしかったのよね?」

そっと触れた唇が、鼻の隣に赤黒い痕を示す。

ふふ。やっぱりはしたない。こんなに口元が歪んでいるなんて、とてもじゃないけど人には見せられない。

 「さ、食事の続きをしましょうか」

骨を放り捨て、小気味いい音が響く中カロルの隣に腰を下ろす。

 「それじゃあ、改めて」

喉の奥を突き刺す香りに笑顔を溢し、彼女の脚を口に運んだ。

 「いただきます」

あぁ。やっぱり。この瞬間がとってもたまらないわ。








end.

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