第230話 正義の最期と最後の正義

「くそぉ、ようやく法王になれたのに」

 一人、神殿でぼやく法王マヌエル。

 思い通りにいかず、悪態をつくだけのマヌエル。

 窮地を脱する知恵もなく、助けが来る程の人望もない。

 操り易さだけで法王にされ、おだてられて利用されていただけの男。


「くそっ、くそ、くそっ。前線はどうなったのだ。誰も報告に来なっ……ぐぅ」

 背中に何かが当たり、そこから焼けるような痛みが全身に広がった。

 あまりの痛みに声も出ない法王が、腰を押さえて倒れる。

 その手があふれる血に濡れる。

 助けを求めるように、倒れたまま手を伸ばす。

「な……なんで……」

 長く苦しむこともなく、あっけなく法王は床に倒れたまま動かなくなった。


 血に濡れたナイフを手にした司祭ジョットが、法王の死体を見下ろしていた。

「ひひっ、ひひゃははっ……私を軽んじるからだ。私の力を見たか」

 奇怪な笑いを漏らしながら、狂気に染まった目が法王を見ていた。

 自分には力がある。特別な力があると思い込み、金だけを騙し取られたジョット。

 誰からも相手にされなくなり、狂った思考は法王暗殺に向かう。

 自分を重用ちょうようしなかった法王が悪い。

 そんな不思議な答えに至った狂人が、誰も居なくなった神殿で嗤っていた。


 人知れず、こっそりと法王が死んでいる頃。

 男にとどめの一撃を放とうとする天使。

 だが、男は止まらない。

 渾身の一撃を躱されても、男は当然のように動き続ける。


 一瞬たりとも止まらず、流れるように攻める。

 さらに踏み込み、男の右足が前に出る。

 その両手に握られていた打刀は既にない。

 いつの間にか刀を手放していた男の左手が後ろに伸びる。


 ごく当たり前のように、はじめからそうであったかのように。

 彼女は、いつもそこに居た。

 リトの背の刀が、男の手に握られる。

 頭を下げたままのリトが、滑るように後退していく。


 男の身長とかわらぬ長さの刀が抜刀される。

 握りしめた野太刀が車輪に回される。

 長い柄を右手が掴み、前に踏み込む勢いのまま野太刀が振られる。

 引き戻された槍が絞り込まれる。


 天使の槍が繰り出される前に、渾身の一刀がはしった。

 一閃

 野太刀が、槍を構えた右腕ごと、天使の身体を胸下で両断した。

 魔物を斬り続け、鍛えられた太刀たち

 その刃に纏わりつく、禍々しい怨念と瘴気が神の奇跡を呑み込む。

 鍛え抜かれた日本刀は、絶対正義の天使さえ切り裂いた。


「ヌぅ……ヒトごとキが……バツを、アタえル」

 六枚の翼は伊達じゃない。

 と、でも言いたげに、バストアップの天使はまだ動く。

 残った左手が男に伸びて、首を掴んで締め上げた。


 男は慌てず騒がず、天使の中指を掴んで折る。

 それでも天使は痛みには怯まない。

「やれやれ……しつこい天使様ですねぇ」

「し、シ……ころ、コロす」

 綺麗な整った顔で、壊れたロボットのような天使は少し怖い。


 左側は大刀だいとうに切り落とされたが、残った右側の三枚の翼が大きくひらく。

 天使が男を掴んだまま、大空へ飛び立とうとしていた。

 翼はあるが、別に翼ではばたいて飛ぶ訳でも無い。

 きっと片側だけでも飛べるのだろう。


 男の右足が、力強く地を蹴る。

 前に出る力を左足が受け止め、上へ上体へと力を流す。

 腰が捻られ、脚から上がった力は、逆巻く渦となり背を駆け昇る。

 腰に溜められ、強く握られたこぶしが放たれる。


 体中から集められた力が拳へ、正拳へ集まり全てを貫く。

 必殺の一撃、中段正拳突きが天使の顎を砕く。

 それでも天使は止まらず、男を掴んだまま飛び立った。

 だが、すぐに力尽きたのか地に墜ちる。

 それでも5mほどは上がったか、そこから落ちて転がる男。


 首が折れ、体の前に頭が垂れ下がる。

 そんな状態でも動く天使が、倒れた男へにじり寄ろうとする。

「はぁ……はぁ……しつこい」

 なんとか上体だけ起こした男は、もう動けそうにない。

 男は天使に右のこぶしを突き出す。

 親指だけを立てると、その親指で地面を指した。


「こロす……コろ、ころス」

「終わりだ」

 男の指示にリトが動く。


 天使の上に天使リトが降って来た。

 男の脇差と一緒に降って来た。

 脇差が天使を貫く。

 天から降りて来た天使が、降って来た天使に、大地へ縫いとめられる。


「ヒト……ゴトきニ」

「天使ごときが、マスターに逆らうな」

 リトが、天使を貫いた脇差を捻る。

 何かを使い切ったのか、大事な何かを貫いたのか。


 天使が動きを止め、その体は天に還るのか、光の粒に変わっていく。

「でかしたリト。はぁ……次から次へとしんどいな」

「えっへへぇ~」

 溜息を吐く男の脇で、頭を撫でられ御機嫌なリトだった。


 もう法国に駒は残っていない。

 残りは邪教徒の教団のみ。

 死と混乱の神を、現世に顕現させようと企む、司教モニカだけだ。


「これだけは譲れない。神をこの世に」

 神殿の地下につくられた祭壇に立つモニカ。

 祭壇を囲むように教団の信者が並ぶ。


「我らの魂を使い、どうか神を現世に」

「世界に救いを」

「平等な死と混乱を」

 次々とモニカに願いを託し、ナイフを自分の胸に突き立てていく。


「門よ開け! 高き次元と低俗な世を繋げ! 神よ! 救いの手を!」

 モニカの祈りに祭壇から何かが外へ飛び出す。

「来たぞ! これが真の平等、これが正義だ!」

 力の奔流が噴き出す祭壇を前に、モニカが半狂乱で叫ぶ。

 噴き出した力の塊は、神殿の背後に聳える山を登っていく。

 そこには教団が見つけたうつわ依代よりしろが待っていた。

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