第221話 満ちる狂気

猊下げいか! どうか出撃の命を!」

 神殿に若い声が響く。

「どうしたのです、司祭ジョット。騒がしいですね」

 東西の戦場へ殆どの人員が出払い、静かな神殿で法王がこたえる。

「私が、このジョットが戦場へ赴き、異端者共に天罰を与えてやります」

「まぁまぁ、落ち着きなさい。何も貴方が出向く事はありませんよ」

「あんなぬるい奴らではいけません! 神の力を見せつけてやりますよ」

「聖女ソフィアも、大司教も司教も聖騎士まで出向いてますから」

「私の力なくては! 神聖なる法国に攻め込むような異端者に、天罰を!」

 もう、何を言っているのか、法王には理解できない。

「分かった、分かりました。しかし、貴方には神殿を護って貰わねば困ります」

「うぐ……そ、そうですか……し、仕方ありませんね」

「はぁ~……」

 大きく溜息を吐く法王。


 急な病と事故で、祖父と両親を、続けてなくした若者。

 若くして家督を継ぎ、祖父と父が貯めた遺産を、急に受け継いだジョット。

 父や祖父のような能力もなく、良く言って凡庸な青年だった。

 だが彼には、他人にはない特殊な力が、一つだけあった。

 自分だけが特別だと、神に選ばれた人間だと、そう思い込む力。

 いつかは特別な力に目覚める、筈だという妄想力。

 努力はしないが、特別に強い承認欲求と自己顕示欲。

 そう、ジョットは性質たちの悪い人間だった。

 受け継いだ遺産を無駄にばら撒き、司祭の地位を手に入れた。

 教会へも多額の寄付を行い、それなりの発言権を持っていた。

 親の残した金の力を、自分の力だと勘違いしたジョット。

 彼を諫めてくれる者は、周りにいなかった。

 何も出来ないのに前に出たがり、他人を立てる事を知らない。

 何もしないのに、自分だけは特別な人間だと思い込んでいる。

 そんな彼には、金目当ての取り巻きしか居なかった。


「最近どうも猊下は、私を軽く見ているのではないか?」

「そうですな。そろそろ法王も交代ですかな」

「おお、今の法王も司教からですからな。司祭から一気に法王もありますよ」

「ん? うん……そうだな。そうか、法王かぁ……」

 法王との無礼な謁見の帰り、金目当ての取り巻きにおだてられるジョット。

 たったそれだけで調子に乗り、その気になってしまう。

 何かが欠落した、幼子のような青年であった。

 野心と呼ぶには幼い、何か異常な光が目に宿っていた。


 東の戦場では、連合軍を足止めするアンデッドの群れ。

 その群れを、浄化しようとする法国の援軍。

 聖女の召喚した魔物達が、戦場で暴れていた。

「おーほっほっほ。楽しい見世物ですこと。精々足掻いて楽しませて下さいな」

 聖女は皆何処か、何かが壊れているようだ。

 ソフィアも楽しげに、戦場を蹂躙する魔物を操っていた。

 その姿を憎々しげに睨むのは司教ラファエル。

 彼は何を想い、戦場に立っているのだろうか。


 帝国の前線部隊は、黒い弾丸の処理に手いっぱいだった。

 何故か前線に高級将校がかたまっている、不思議な部隊ではあった。

 相変わらずの気持ち悪い国だ。

 巨大な鉄の巻貝に立ち向かうのは、王国と評議国の兵だった。

 彼らの武器では、鉄の魔物は倒せない。

 だが戦場に、国を背負った兵士に、どうでもいいモブなど居ない。


 数に物をいわせた評議国軍の特攻が始まる。

 自らの身体を武器に盾に、鉄の貝に半裸の身体が纏わりつく。

 暴れる鉄の鱗に、皮膚は裂け血飛沫があがる。

 それでも彼等は怯まず止まらない。

 数百万の圧倒的な数の暴力が、装備の違いを凌駕する。

 素人混じりの王国軍も、その狂気に呑まれ突撃していった。

 狂った猿の群れ。

 そんな波に呑み込まれ、鉄の貝も抗えずにひっくり返される。

 裏返った貝に、次々と兵が飛び掛かっていく。

 何人切り裂かれようと、仲間と貝に挟まれ圧し潰されようとも止まらない。

 狂人の単純な重み、その体重だけで鉄がひしゃげ、ついに貝が割れる。

 奇声と怒号をあげ、滅多やたらに武器を振るい、突き刺す兵士たち。

 いつしか砕けた鉄の魔物に、剣が槍が、無数に突き立っていた。

「「うぉおおおっ! おおー!」」

 冷めない、醒めない興奮のまま叫び、勝鬨をあげる兵士たち。


 そんな戦場を、呆れ顔で見ている聖女。

「猿ですね……まったく汚らわしい」

「聖女殿、もうすぐ死者の浄化が終わる。下がってはどうか」

 後ろから感情のない顔で、司教ラファエルが声をかける。

「そうですわねぇ。最後に取って置きを出しますわ」

「……そうか。ほどほどにな」

 教会内での地位は、大司教に次ぐ司教と聖女。

 大聖女ロレーナだけは別格だが、ソフィアとラファエルは同格だった。

 どちらも互いのやり方が、気に食わないようであった。

「ふん。これで蹴散らしてやります。来なさいコララノテラスモ」

 聖女ソフィアが取って置きの魔物、気持ち悪い超巨大な虫を呼ぶ。


 アンデッドの群れに、魔界の巨大な虫の群れ。

 狂気に呑まれ、特攻していく兵士たち。

 混乱、狂乱の戦場。

 だが、粛々と戦う戦場というのも、狂気を感じる。

 やはり、戦場というもの自体、狂気に包まれたもの、なのかもしれない。

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