第218話 そして誰も……
従者の奴隷も姿を隠し、壁際まで追い詰められた男。
そこへ笑いながら攻撃を繰り返す吸血鬼。
それでも何故か、吸血鬼の攻撃は男を捉えられない。
「違う……これじゃない……違う……違う」
壁際で足を止めた男が、つぶやきを漏らしながら攻撃を
その目の光りは消えず、何かを狙い待っていた。
「しつこいぞ!」
余裕を見せていた吸血鬼が、また苛立ち叫ぶ。
大きく振りかぶった、渾身の右を突き出した。
「それだ!」
男は、それを待っていた。
突き出される右腕に、男の左手がそっと伸びる。
添えられた男の左手が、捻りながらいなし逸らす。
男のさばきが、吸血鬼の突きを逸らす。
逸れた突きは、男の背後の壁を突き破る。
マッチョな大男の壁ドンに、魔法のナイフが突き出される。
カウンターの右、男の右手のナイフが突き出される。
「甘いわ! これを待っていたぞ」
吸血鬼の罠。
突き出されたナイフに、左手を差し出す様に伸ばす。
吸血鬼の掌に、根元までナイフが突き立つ。
怯まず左手を握り、深く突き刺さったナイフを奪い取る。
「欲しいのならくれてやるよ」
男は、あっさりとナイフから手を離す。
「聖剣の類だろうが、これさえ奪えば抵抗も出来ま……へ?」
懐深く飛び込んだ男が、吸血鬼の腕を抱え込む。
男が抗えたのは、特別な聖剣の力によるもの。
そう考えた吸血鬼は、力の源であるナイフを奪い、油断していた。
吸血鬼に背を向け、その巨体を腰に乗せ跳ね上げる。
一本背負い。
小柄な男が、吸血鬼の巨体を宙に投げる。
だが、投げ捨てる前に、頭を抜いて体を起こす。
投げる途中で男の身体が起きる、当然投げられた体は垂直に落ちる。
柔道では禁止されている行為だが、試合ではなく此処に審判は居ない。
吸血鬼が、頭から地面に突き刺さる。
男の身体が、くるりとまわった。
左の後ろ回し蹴り、突き立った巨体に足刀が突き刺さる。
「ぶぉぐぁあぁっ!」
蹴り飛ばされた大男が無様に、壁の穴から外へ転がっていく。
肉だるまを追って外へ出た男の後ろで、穴の空いた壁が崩れる。
屋根が崩れかかり、穴は瓦礫で埋まった。
教会のこちら側に扉はない。
割れた頭からこぼれる、何かを撒き散らしながらも、吸血鬼が起き上がる。
生まれたての小鹿のように、膝をカクカク震わせる吸血鬼。
「こっ、こっ……こんな……ニンゲン如きがぁあああぁあ!」
男に蹴られ
殺意に染まった男は、黙って駆け寄る。
止まる事を考えていない、駆け抜ける気で吸血鬼に突進する。
体当たりでは、体が丈夫な吸血鬼が勝つ。
貧弱な人間が勝てる筈もない。
そんな当たり前の事を、知っている男は後ろへ右手を伸ばす。
「リトっ!」
当たり前のように、そこに在るのを知っているかのように。
教会からの唯一の出口は、崩れた瓦礫に塞がれてしまった。
逃げだしたのか、その姿はずっと見えないままだった。
それでも男の行動は揺るがない。
いつでも彼女は、男の
教会の二階の窓から、小柄な影が飛び出す。
「あい」
己の身体の倍以上もある、長い刀を差し出す。
回転しながら飛び降りたリトから、男の手へ野太刀が渡される。
疑いもせずに伸ばされた、男の右手が握られる。
軽やかに着地した直後、リトが後ろへ滑るようにさがっていく。
前傾のまま、四つ足で、砂埃を巻き上げ、高速で後退していく。
抜刀された野太刀に、左手を添えて車輪に回される。
「はぁ? なんだそれ……ぁ!」
走り込んで来た男の手に突然、男の身長と変わらない長さの剣が生えた。
吸血鬼の目線では、わけが分からない不思議な現象だった。
割れた頭は塞がっていない。
左手には魔法のナイフが刺さったままで、傷は治らないままだった。
破れたハラワタも、回復にはまだかかる。
満身創痍の不死の王は、目の前の現象が理解できずに、反応が遅れる。
一閃
閃光となった野太刀が、不死者の巨体を両断する。
駆け抜けた男は足を突き出しブレーキをかけるが、上手く止まれず転がっていく。
「ばかな……こんなバカなぁ……ふ、し……ふぁぁ」
脇腹から入った
吸血鬼の身体がずり落ちていく。
不死の体でさえ、回復も追いつかずに朽ちていく。
その体は崩れ黒い灰に、その血は蒸気のようなものを吐きながら消えていく。
吸血鬼は服の残骸だけを残し、刀に着いた血糊まで、全てが消えてしまう。
「こいつも大分、色々斬ってきたからなぁ」
転がっていった男が体を起こし、空にかざした野太刀を見上げてつぶやく。
星明りを受け、野太刀は妖しく光って見えた。
運悪く今夜、この時に、立ち寄った商人と二人組の旅人。
地方で小さな盗みを繰り返した、二人組の盗賊。
今回が最後だと、毎回自分に言い訳をしながら、盗賊に従った鍵師。
神父の蛮行に気付いていながら、止める勇気が持てなかったシスター。
神父になりかわり、教会に潜んでいた吸血鬼。
誰も居なくなった教会を、リトを連れた男が、夜明けと共に離れた。
そして教会には、いくつかの死体だけが残っていた。
その内の幾つかは、呪いを受けて、再び動き出す。
生きる者の居なくなった教会で、次に来る誰かを待って彷徨う。
「……嫌な予感がする」
夜の濁流が嘘の様に、大人しく流れる浅い川を前に、男が立ち止まる。
体中の打ち身に裂傷。
簡単に応急処置をしただけで出発した男が、行く先に何かを感じ取る。
ゆっくりと休ませて貰える筈もなく、たたみかけるように襲い来る刺客。
「なんか来る……たぶん人間二人」
まだ見えないが、リトが気配を感知した。
「休ませてはくれないか。まぁ、人生なんてそんなもんさ」
焦りもせず男は、続く障害を受け入れた。
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