第200話 怠惰の悪魔
「避けたな? 当たれば効果がある訳だ」
男の連撃を、躱して反撃してきた悪魔。
男はそれを、弱みを見せたと捉えた。
話せないのか、話す気が無いのか。
悪魔は口を開かないが、殺意は漏れるどころか溢れ出る。
無言の気合と共に男は一気に踏み込む。
避ける攻撃と、躱す気のない攻撃。
悪魔が躱そうとする攻撃は、当たっては不味い弱点を突くもの。
兵士に囲まれた悪魔の動きに、男はそこを庇う動きに気付いた。
それに気付いたところで、実行するのは簡単ではないが。
力任せに悪魔が腕を振る。
身を沈めて躱した男の刀が、悪魔の腿を、二の腕を浅く切り裂く。
悪魔は避けようともせず、怯みもしない。
振り下ろされる腕を、擦り抜けるように躱した男が刀を突き出す。
悪魔が体を開き、大きく突きを躱す。
やはりそこだけは躱そうとする。
無表情に整っていた女神の顔は、怒りだけしか表現できないかのように、悪魔としか見えないものに歪んでいき、男の口元は緩み、ニヤリと嗤って見える。
力任せな大振りの攻撃ではあるが、一撃でも、かすりでもすれば命はない。
そんな悪魔の攻撃を
一瞬の隙を突き、悪魔が後ろへ跳んで距離をとる。
至近でのせめぎ合いを嫌がったのは、人ではなく悪魔の方だった。
それを許す気もない男が、すかさず距離を詰める。
『ちからがほしいか』
どこからか声がする。
男の頭の中、心に響くように声がする。
『戦士ならば欲しいだろう。人では辿り着けない境地、神の力をくれてやろう』
口も動かず喋ってはいないが、目の前の悪魔の囁きだと確信できる。
その誘惑に男の動きが止まった。
『他者を圧倒できる力だ。全てを
ゆっくりと悪魔が歩み寄り、その手があがっていく。
『さぁ、この手をとれ。さらなる高みへ、さらなる力を授けてやろう』
「命乞いするほど追い詰められたか? 便利な道具で人を堕落させるんだってな」
ベルフェゴールは、人に怠惰を与える悪魔ともいわれていた。
だが、男は戦士でもなければ、力を求めてもいなかった。
『人は、力の誘惑に勝てはしない』
差し出される悪魔の右手。
男の手にした井上真改が跳ね上がる。
悪魔の掌を手首まで、深く真っ二つに切り裂いた。
斬り上げた刀が横に振られる。
悪魔の顔を、その鼻をまっすぐに切り裂く。
「ハッ、もふもふなら、心も揺れたかもしれないがな」
悪魔が大きく口を開け、声のない叫びをあげる。
まるで雄叫びでもあげたかのようだが、声も音も漏れない。
無言で叫んだ悪魔は、切り裂かれた腕を構わず振り回す。
「なんだ怒ったのか? こっちはとっくにキレてんだよ!」
男は退かず前に出る。
身を低く屈めた男の頭を、悪魔の左腕がかすめていく。
悪魔の腕が、風を切る音が耳へとどく。
裂けた右腕が、男の顔へ突き出される。
男は大きく踏み込みながら無理矢理、首を、顔を捻り傾ける。
裂けた手が広がり、その指が男の頬を、耳をかすめ切り裂いていく。
悪魔と違い痛みもあり、不死身でもないが、男は怯みもしない。
深く踏み込んだ男の、渾身の一撃が悪魔の心臓を狙う。
車輪に回される井上真改が、悪魔の胸を切り裂き深く切り込んだ。
「ちっ、かってぇな」
その一撃でも、悪魔の身体は耐える。
深く胸へ食い込んだ井上真改だが、僅かに心臓へは届かなかった。
悪魔の顔が醜く歪む。
勝利を確信して笑ったのだろうか。
刀は深く胸に喰い込み、動かず抜けない。
振りかぶった悪魔の左腕が、男の顔面へ向け突き出される。
腰の脇差も業物ではあるが、この頑丈な悪魔の身体は貫けそうになかった。
それでも、当然のように、男は諦めずに最後まで足掻く。
動かない刀から手を離し、その体を回転させる。
身を捻りながら迫る悪魔の腕を躱し、悪魔に背を向ける。
触れれば人は引き裂かれ、襤褸切れのように飛ばされる。
そんな悪魔の間合いに誰も近寄れず、男一人が決死の間合いに居た。
それでも男は叫ぶ。
日本刀の一撃を耐えるような悪魔を相手に、素手での致命傷は難しい。
それ以上の武器がいる。
ほんの一瞬の油断、瞬き一つが命にかかわる。
そんな敵に背を向け、男は当然のように叫ぶ。
「リト!」
誰も近寄れない死地。
そこでも男の
「あい」
特別な事でもなく、それが当たり前のように。
振り向いた男が手を伸ばすと、屈んだリトがそこに居た。
差し出された柄を男が握る。
一瞬の淀みも遅滞もなく、リトが滑るように、後ろへ移動していく。
柄を握るだけで、ありえない程長い、槍の様な野太刀が抜刀される。
身を捻り回転する男が、悪魔へ向き直った時、抜刀された野太刀が手にあった。
必殺の一撃に、男が選んだのは、平突き。
一本の槍となり、体ごと悪魔の胸へ飛び込んだ。
躱される事を考えない、必殺の一撃。
一突き
人と女神が、『人』という文字を描く。
流石の悪魔も、一回りした男から刀が生えるとは思っていなかった。
魔を払うとされる鍛えた刃が、悪魔の胸に深く沈む。
数々の魔物を、魔獣を魔族を悪魔を切り伏せ、鍛えられた鋼が悪魔を貫く。
野太刀が、悪魔の肉体を、現世に留める核を貫いた。
声の無い叫びをあげ、悪魔ベルフェゴールが天を仰ぐ。
男を悔しそうに、憎らし気にひと睨みして、悪魔は黒い霧となって消えた。
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