第198話 女神と聖女

 一面、見渡す限りに広がる大草原。

 遥か彼方で青い空と交わる草原の緑。

 そんな人も近寄らず、道もない大草原に建つ小さな家。

 二階建てだが、簡素な丸太小屋に暮らす、若い男女。

 良く言えば手作り感のある、可愛らしい白い柵。

 その内側で、長い黒髪の女性が、洗濯物を干していた。

 しなやかな体に薄いワンピース一枚の女性は、スペイン系イタリア人か。

 小屋から若い男性が出て来て、女性に後ろからまとわりつく。

 小柄な男性は東洋系で、日本人のようにも見える。

「ふふっ、どうしたのぉ」

「いいじゃないか。こうしていたいんだ」

 女性を抱きしめながら、唇でうなじをくすぐる男。

 くすぐったそうに笑いながら、男をあやすように洗濯物を干す女。

 二人共、この時が長くは続かない事を知っていた。

 ここもすぐに見つかるだろう。

 それでも今を……この、二人の時間を、精一杯に生きていた。


 そんな幻想に、一瞬気を取られる男。

 もう忘れた筈だったのに。

「あら、お久しぶりですね」

「……はぁ、お久しぶりです」

 夢の女性に瓜二つ、とまではいかないが、似ている。

 雰囲気も、あんな仕事をしていなければ、こんな感じだったろう。

 そう思える不思議な女性だった。


 白いローブの女性は、暢気に男に挨拶する。

 溜息交じりに、男も挨拶を返す。

 彼女は法国の大聖女、神の奇跡をもたらすロレーナだった。

 毎度毎度突然に、突拍子もない登場の仕方をする女性だ。

 神の奇跡とかいうやつなのだろうか。

 神だか悪魔だかが呼び出された、緊迫の瞬間が、一気に弛緩する。

 それでも魔族の軍勢は暴れているし、戦闘は続いている。

 戦闘の響みが、静かに立つ女神に届く。

 チラッと、戦場へ視線を向ける、女神ベルフェゴール。

 戦場へ向かって無造作に、蝿を払うかのように手を振る。

 溢れ出る魔力が放たれ、衝撃波のような奔流が戦場を駆ける。

 南北に魔力が駆け抜ける。

 その衝撃は魔族も人も巻き込み、首長たちの司令部、幔幕を薙ぎ倒す。


「くっ! 魔族まで巻き込むのか」

 これ以上の被害は出させないと、ミハイルが剣を抜き女神へ斬りかかる。

「あら、そのかたへ近寄ると、危ないですよぉ」

 ロレーナがのんびりと声を掛ける。

 彼女は何しにきたのだろうか。

 光速ともいわれるミハイルの白刃が、光芒となり女神の首へ叩きつけられる。

 目にもとまらぬ一撃ではあったが、その剣は女神の首筋で止まっていた。

 当然寸止めした訳でもなく、目に見えない何かに阻まれていた。

 怒りも嘲笑もなく、表情の変わらない女神の左手がゆっくり上がる。

 そっとミハイルの鎧へ、その胸へ充てられた掌から、眩い光が迸った。


「うぐっ!」

 まるで玩具の人形のように、飽きた子供が投げ捨てたように。

 剣の勇者ミハイルの身体が宙を舞う。

 迸る光に弾かれ、男の傍までミハイルが、飛んで戻って来た。

 そのまま彼は転がっていき、倒れたまま動かない。

 死なないまでも、一撃で意識を失っていた。

「そこまでかぁ……これは無理だな」

 転がるミハイルを見て、隙を窺っていた男が仕掛けるのを諦めた。

 男とミハイルに、それほど差はない。

 純粋な剣の技量なら、ミハイルの方が上だろう。

 そのミハイルがこの扱いでは、男でも勝負にはならない。

 意地や根性で突っ込むほど、男は若くなかった。


 突如襲う衝撃に千切れ飛ぶ司令部。

 首長たちの前に腕を組み、立ち塞がる黒衣の男がひとり。

 特別な戦闘能力はないが、王国公爵シモンは怯まない。

 その後ろに控えるセリーヌが、眼鏡をくいっと上げる。

「こんな事もあろうかと、司令部には結界を張っております」

 王国秘蔵のアイテムと『賢者』ナイジェルの魔法による強固な結界。

 戦場の兵士たちはふっとんでいたが、司令部は無事だった。

 ナイジェルが魔力を切らせたのは、この結界を張ったせいだった。


「おぉ、いつの間に……」

「これで、ここは安全ですな」

 結界で守られていたと知った、首長たちが胸を撫でおろす。

 それも一瞬の事、セリーヌの報告に彼等は青くなる。

「今の一撃で結界は消し飛びました。次は防げません」

 さすがは女神様か、一撃でも耐えた結界が凄いのか。

「な、な、なんとぉ、ど、どうするんだ」

「逃げるしかなかろうが」

「まだ兵達が戦っておる。我らが逃げる訳にはいかぬ」

 慌てる首長たち。

 落ち着いて立ち塞がる公爵シモンが、次の策を求める。

「ではどうするセリーヌ」

「次の攻撃は防げませんが、もう一撃は来ません」

 男に丸投げセリーヌは、彼が、どうにかするだろうと確信していた。

 実際はどうにもならないが。


 男の腕に埋まった隕石は、魔法を無効化する。

 だが女神の魔法は、無効化できるレベルを、遥かに超えていた。

 無効化できる対象は、人類の使える魔法だけだった。

「そういえば、何しに来たんです?」

 どうにも出来そうになく、上手い考えも浮かばない、男が聖女に訊ねる。

「あら、丁寧な喋り方のままなんですね。少し、寂しいです」

「元々の言葉は汚いのでね。気を付けてますよ」

「ふふっ……ワタクシにだけ、素で話してくれたら嬉しいのですけれど」

「シャーッ! 用件は何?」

 男の前に立ったリトが、ロレーナにクロスボウを向け威嚇する。


「あらあら。あっ、そうでした。人々が邪神と呼ぶ方でも、他の神様のする事には、あまり干渉できないのですよ。でも、今回は人が死に過ぎたので……ね?」

 すぐそこに神だか、悪魔だかがいるのだが、聖女様はのんびりと話す。

「魂の浄化ですか」

 男は西の帝国で暴れた、ドラゴンの時を思い出した。

 あの時は魂を悪用されないように、天使を召喚して浄化したのだった。

「そう、それですぅ。浄化だけしたら、すぐ帰りますから。ん~っと……」

 仕事を思い出した聖女が、南側の戦場を見渡す。

「思っていたよりも、大分、魂が多いですねぇ。私の力だけでは無理です」

 あっさりと大聖女様が諦めた。

 何しに来たのだろう。

 4人いるという法国の聖女は皆、こんな感じなのだろうか。

 彼女は四天王でも最弱なのだろうか。


 浄化できなければ、押し寄せる魔族は止まらない。

 それどころか、もっと厄介なものも来るかもしれない。

 さらに、無表情な女神も動き出す。

 浄化は出来るのか。

 女神を止める事は出来るのか。

 彼方此方から丸投げされる男は、上手く逃げられるのか。

 再び……いや三度みたび、浄化の光が男を襲うのか。


 次回『奇跡と浄化』

 神の奇跡と浄化の光が襲うのは、悪魔となった女神か、人である筈の男か。

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