第197話 不浄の女神

 戦場に飛び込んで来た、二人の女性。

 一人は、砂漠を越えたところへ、置いて来たジェシカ。

 もう一人はオアシスで、カムラ達と別れたレジーナ。

 面倒な事に二人は戦場近くで合流し、何故か北側へ現れた。

 男にしてみれば、面倒な女が面倒臭そうな女を、連れて戻って来た。

 男はそんな感じで、としたに嫌そうな顔だった。

 そんな男を気にもせず、二人は倒れているメウェンへ駆け寄る。

「酷い……血が、こんなに……」

「早く手当をしないと」

 二人はメウェンに駆け寄り抱き上げる。

 虫の息のメウェンがむせて、ごぼごぼと血を吐く。

 彼女たちは教団とは関係なさそうだが、戦士には見えないメウェンが倒れていたのを見つけ、巻き込まれた者だと思い、何も考えずに飛び込んできたようだ。

「大丈夫ですか?」

「しっかりしてください」


 倒れている人に向かって『大丈夫ですか』は酷いセリフだとは思う。

 大丈夫ではないから倒れているのだろうに。

 倒れているのに『大丈夫』ならば、頭がおかしいのだろう。

「そんな所で横になって、頭がおかしいんですか?」

 倒れている側としては、そう聞こえる『大丈夫ですか?』

 苦しんでいる時に掛けられると、たまらなく腹の立つセリフだ。


「大丈夫ですかー!」

 入院中に血が足りず立てなくて、廊下で倒れていたら、走って来た看護師が叫びました。そのセリフに殺意さえ湧きましたが、血が足りないので怒鳴る元気すらないままでしたが、大丈夫ならば入院もしないし、廊下で寝てたりもしません。

「はっはっはつ! なんで、こんなとこで寝てんだよ」

 と、笑われる方がマシだと思います。


「ぐぶっ……はぁ、はぁ……最後だ……道連れにしてやる」

 血を吐きながら、メウェンの口が小さく動く。

 囁くような、絞り出すような声に、二人の女性が耳を寄せる。

「え? なんて言ったの?」

「何が言いたいの?」

 死にかけのメウェンが、二人の女性の手首を掴む。

 死力を振り絞った、最後の悪足掻き。

 生まれて初めて、命懸けで足掻くメウェンの最期だった。


「我らの命を捧げる! 来い、異界の女神……ペオルの支配者バアルよ!」

 二人の女性を巻き込み、最後の召喚が、異界の女神を呼び寄せる。

 光り輝く柱が三人を包み、その姿が蒸発していく。

 光が消えると、その場には白い衣を纏った妖艶な女性が居た。

 モアブの神、バアル・ペオル。

 そのものではなくとも誰かが、そう信じた存在がそこに在った。

「ペオルって……ベルフェゴールかよ」

 顔を顰める男が、思い出した神の名を吐き捨てる。


 聖書内の記述では、ベルフェゴールは男を魅了する妖艶な美女の姿で現れます。

 好色の罪をもたらす悪魔とされ、さらに占星術では性愛を司る金星の悪魔であり、中世のグリモワールには、発明を手助けする堕天使と紹介されています。

 金星の悪魔からでしょうか、『明けの明星』とも言われる元天使と関係が深かったりもするようです。

 便利な発明品を、人間に与えることで、堕落させるといいます。

 怠惰の悪魔に、ふさわしい力を持つそうです。

 現在一般的に流布する、車輪のついた便器に腰かけ、長い尾と二本の角を持つ悪鬼のイメージは、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』からのようです。

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 この機会に一冊如何でしょうか。

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 便器が描かれた理由は、汚らしい排泄物こそが、ベルフェゴールにふさわしい奉献物だと、ユダヤ教の聖職者ラビが説いたからだといわれます。

 中世ヨーロッパの伝説では、悪魔達の議論に決着をつける為に、ベルフェゴールが「幸福な結婚の実在」を地上に赴いて探す。というものがあります。

 ルシファー(ルシフェル)の命令で探索に出る、というものもあります。

 どちらにせよ、地上における様々な観察と調査の結果、彼(彼女)は幸福な結婚は夢物語に過ぎないことを確認します。

 さらに人間という存在は、仲良く暮らす様にはできておらず、これは神の被造物として、重大な欠陥である。と、ベルフェゴールはしめくくります。

 やはり人間は争わずには生きられないようです。

 元女神の結論ならば、間違いなさそうですね。

 メウェンが命を代償に召喚した存在は、美しい女性の姿で便器はありません。

 それは『ペオル』を支配したという、神と崇められる存在なのでしょうか。


「今度は何なんですか? 知っているのですか?」

 以前、南の国で神とも言える、悪魔を見ているマルコは、何かを感じ取っているようで、じりじりと後退りしながら男に声を掛ける。

「知り合いではありませんが、アレは不味い相手かもしれません。逃げましょうか」

 神だか悪魔だか、人がどうにか出来る存在だとは思えない。

「え……凄い魔力なんだけど……見てるだけで吐きそう」

「アレは、やばそうだなぁ。師匠に任せようか」

「邪魔しないように、離れて観てよっか」

 カムラたち三人は、男がどうにかするだろうと、素早く退避していく。

 悪魔や龍やらを倒した姿を見ている彼等は、男がどうにか出来ると疑いもしない。


「以前の悪魔と同格か、それ以上に見えますが」

 男の脇で剣を構えるミハイル。

「こっちは任せろ」

 素早くセルジュを引き摺って行く、アソンと族長たち。

「そっちは凄そうなのが来たなぁ! まぁ頑張れよぉ~」

 上空から、楽しそうなアマゾンの族長ハティの声がする。

 何故か不思議な事に皆が皆、男がどうにかすると思い込んでいるようだ。

「ちっ、どうなってやがる」

 どうにか逃げ出せないか、辺りを窺う男から舌打ちが漏れる。

 さらに女神と男の間にいかづちが落ちる。

 その光の中に人が立つ。

 白いローブを着た女性が、雷と共に落ちて来た。


 大陸ごと滅ぼしそうな女神。

 数を減らすも、未だ暴れまわる魔族の軍勢。

 人知を超えた存在を前に、丸投げされた逃げたい男。

 さらに混乱をもたらすのか、雷と共に降る女性。

 男は、その刀は、どこまで足掻けるのか。

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