第194話 宝珠

 Moses

 かつて神に弄ばれ、荒野を40年、彷徨って死んだ男がいました。

 みだりに神の名を呼んではならない。

 他の神を信仰してはならない。

 そんな我儘を、押し付けられた憐れな男でした。

 信仰の対象である筈の神。

 神の御業みわざといえば、大量殺戮だけです。

 何万もの、自分を信仰しない者達を殺して、信仰を強要する神です。

 やっている事は悪魔か、禍神まががみか祟り神です。

 そんな暴力に屈したのか、彼は十の戒めを抱えて、聖地を目指します。

 そんな天変地異や祟りや呪いに屈せず、最後まで立ち向かう王様。

 そんな王と兵士達も、海に呑まれてしまいます。

 多くの人々を導き、長く苦しい旅路の果て。

 約束の地カナンへ、人々は辿り着きます。

 彼を残して……

 彼は荒野を流離さすらい、目的地を目前にして力尽きます。

 海を割いて渡った彼は、最後の川を渡る前に倒れます。

 彼は、彼の信仰は、報われたのでしょうか。

 彼は他の神の信徒の殺害と、40年の放浪の末、目的地目前で力尽きる人生。

 神から強要された人生に、彼は満足したのでしょうか。

 苦悩に満ちた彼の一生の意味とは、信仰とは何だったのか。



「あそこに師匠がいるのかなぁ」

「まぁ、いるんじゃないの? こんな騒ぎの中には、大抵いるでしょ」

 初めて見る大軍勢を前に、何も出来ずに見守る少年たち。

 ここへ辿り着く事を、暗殺者を送ってきた誰かが嫌っている。

 それなら嫌がらせでもしてやろうと、戦場へやってきたカムラたちだった。

「なぁ~んか嫌な感じがする。なんだろう? 魔力……みたいな」

「どうしたのさシア」

「お腹痛いのか? その辺で穴掘るか?」

 無言で槍の石突を突き出すシア。

 顔に沈む石突に黙るカムラ。

「魔法使いでもいるのかな?」

 泣き崩れるカムラを放って、トムイがシアに訊ねる。

「う~ん。そういうのとは違うんだよねぇ」

「じゃあ、見に行ってみようよ」

「そうね~。ここで見てても仕方がないしね」

「さぁ、行くよカムラ」


 北軍の後方から、漏れるような魔力の残滓、のようなものを感じるシア。

 三人は、それを追ってみる事にした。

 人の顔の見分けがつく、くらいの距離まで近付いたところで、軍の前方からとよみが起こり、すぐに怒号と雄叫びにかわる。

「始まっちゃった」

「これヤバイんじゃないか?」

「あっ、アレ。あの人が持ってる宝珠。アレから嫌な魔力が流れてる」

 戦場でセルジュを見つけてしまうシア。


「なんだお前たちは」

「何故こんなところに子供がいるんだ」

 数人がカムラたちに気付くが、殆どは前方の戦に集中していた。

「まぁ、よく分からないけど」

「うん。悪い物ならね」

 カムラが盾を構えて突っ込んでいく。

「ぐぁっ」

「な、なんだっ」

「なんだ貴様ら!」


 流石、数百万の軍だ。

 たった三人の子供が脇に居ても、完全に無防備だった。

 まぁ普通は、まさか突っ込んでくる、とも思わないだろう。

 カムラが戦士たちを掻き分け進む。

 その背後を駆け、偉そうな族長たちを、擦り抜けるトムイ。

「ごめんねぇ。よくないものなんだってさぁ」

 のんびりした声のまま、駆け抜けたトムイがナイフを抜く。

 セルジュの持つ宝珠を斬りつけ、上空に弾きあげる。

「爆ぜろ」

 シアの爆裂魔法が、宝珠を微塵に砕く。

「ああっ! このガキどもめ! 何をしたか分かっているのか!」

 仕込みが台無しだと、カムラたちに怒鳴るセルジュ伯爵だった。


「ん? な、なんでこんな事に……」

「くそっ、戦が始まっているぞ」

 族長達の様子がおかしい。

 召喚用だと、セルジュが持っていた宝珠。

 本当の力は『洗脳』だった。

 それは行動を強制出来る程、強力な物ではない。

 代わりに範囲は広く、判断力を鈍らせる。

 セルジュは宝珠を使い、族長たち北の部族を説得していた。

 宝珠が砕け、族長たちが正気に戻っていく。

 しかし、今更戦は止まらない。

「あれ、思ってたよりも、ヤバイものだったみたいね」

「なぁ、この後どうするんだ?」

「帰らせてくれるかなぁ」

 混乱する族長たちと、北の戦士に囲まれるカムラたち。

 そんな状況で笑い声が聞こえる。


「はっはっはっ、まったく君達は……まぁ、お手柄です」

「あー! 師匠!」

「やっぱりいたぁ」

「師匠! リトさん! あの……なんか、壊しちゃいましたぁ」

 笑いながら現れた男とリト。

 何かを見つけたかのように、軍へ向かうカムラ達三人を見つけた男。

 彼等なら何かをやらかす筈だと、北軍へ飛び込んできていた。

「なんだ貴様ら」

 さらに乱入してくる謎の男たちに、混乱している族長が困惑する。

「おじき! 聞いてくれ」

 そこへアソンが飛び込んでくる。

「アソンか!」

「お前、ンクルマのところの……」


 邪教徒の陰謀なのだと、アソンが族長たちを説き伏せる。

「これ以上争ってはいけないんだ。兵を退いてくれ」

 洗脳から溶けた族長たちは、記憶が全て、ない訳でもなかった。

 ずっと夢の中のような、ぼんやりとしたまま自分を、他人を見ているような気分でただただ見ている事しか出来なかった。

 馬の部族の突撃に、軍は前後に両断されてしまう。

 大きな虎たちも獣人も見える。

 包囲された前線は諦めるしかない。

 族長は助けに突撃する事をせず、全軍に撤退を指示する。

「退けぇ! これ以上は戦うな!」

「くそっ! 我らの所為で、なんて数の戦士を無駄に……」

 族長たちは自分たちの責任を認め、今は少しでもお互いの被害を減らそうと動く。

 敵も同じ国の民だった。

 それでも北軍の半分、約百万人の戦士が包囲殲滅されていく。


 南軍の司令部では、やはりセリーヌは魔女なのではないか。

 そんな想いが広がっていた。

 何が起こったのか、分断した北軍を包囲したタイミングで、残りが退却していく。

 誰も理解できない不可思議な光景だった。

「エミール様の言っていた通りでしたね」

「うむ。あの男、いったい何をしたのか……」

 セリーヌもシモンも、エミールのげんを信じ切っていた。

 男が百万の軍を退かせたと、勝手に思い込んでいた。

 実際は逃げようとして、何もしてはいないが。


 逃げていた教団幹部、セルジュも発見した。

 戦も被害は大きいが、他国に広がる前に止められた。

 これで解決、ハッピーエンド。大団円……だろうか。

 そう……この世は、それほど優しくはない。

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