第181話 大人の仕事
「子供の後始末は大人の仕事だろ?」
王国公爵シモンが、男を見てニヤリと嗤う。
「大物が出て来たのぉ。初めて見たわ」
「面倒な事になりましたね」
迂闊に動けなくなった、ヴィルムとカリンが様子を窺う。
「はぁ~……仕方ありませんね。大人の仕事をしましょうか」
大きく息を吐いた男が、踏み出していた左足を引く。
奴隷の幼子が犠牲にならずに済むと、カムラ達もホッと胸をなでおろす。
が……その男は、そこまでまともではなかった。
地面とほぼ平行に、僅かに浮かせた左足を引く男。
すり足にも見えるほど、僅かに浮かせて足を引く。
右足も力強く地を蹴ったりはしなかった。
引いた左足と替わり右足が僅かに浮いて動く。
流れるように、滑るように。
踏ん張りも予備動作もなく、右足が前に滑り出す。
その足が地に着くか着かないか、引いた左足が前に出る。
同じように、僅かに浮かせた足が前に滑る。
さらに左が地面に着く前に、右足が滑るように前へ出る。
ギルドの内外に居た冒険者31人。帝国人と王国人。
ギルドの職員と、騒ぎに集まってきた野次馬たち。
狼狽えるハディと、人質のロープを掴むマルタン。
その衆人監視の中、男の姿が消える。
予想外の動きに、その動きを追えず、消えたように見える。
誰も反応出来ないまま、男が駆け抜けた。
マルタンの脇を駆け抜けた男の手には、ナイフが握られていた。
胸のベルトに刺さっている、ダークを握っていた。
「久しぶりですが上手くいきました」
その動きについていけたのは、ただ一人。
彼女は方法は知らなくても、結果は分かっていた。
男の行動を知っていたかのように、動いていた者が一人。
いや、兎が一匹。
「ひぃ……ぎゃぁあああっ!」
すれ違いざまにロープを握る指を、切り落とされたマルタンが叫ぶ。
手放したロープを掴むリト。
子山羊か仔牛のように、子供達を引いていくリト。
何が起きたのか誰も理解できず、誰も動けない中を、外へ移動するリト。
「すっ……げぇー!」
「ワープした! 消えたよ師匠が消えた」
「え……魔法使えたんですか?」
男が何をしたのか理解できず、騒ぎ出すカムラたち。
「騒ぐほどの事ではありませんよ。魔法ではなく、縮地という技術です」
縮地、瞬脚などと呼ばれる、古武術に伝わる移動技術だった。
大地を強く蹴り進むのではなく、予備動作を見せずに進む技です。
実際に特別速い、というよりも予測が出来ずに、速く見える技です。
頑張って鍛錬すれば、五体満足なら誰にでも出来ます。
大事なのは角度とタイミングです。
同じような理屈で、水の上も駆け抜ける事が、出来るそうです。
水の上は誰にでも、という訳にはいかないかもしれませんが。
縮地は使える人が実在します。
水上を実際に走れる人は、見た事がありません。
もしも成功したら、見てみたいので動画をあげてください。
「さぁ、盾がなくなりましたね」
振り向いて、外に出ていた冒険者達に、男が歩み寄る。
「う、う……うわぁあああっ!」
叫んだ戦士が剣を抜く。
「……で? 彼らは皆殺しですか公爵様」
男がシモンに訊ねると、シモンは後ろの女性に視線を向ける。
「こんな事もあろうかと、連れて来ております」
どんな事を想定していたのかセリーヌの隣に、壮年の戦士が立っていた。
顔に大きな傷跡のあるスキンヘッドの戦士。
全ての支部を統括するギルドマスター、マルクスだった。
誰にも気づかれず、今までどこに居たのか。
その顔は怒りに歪み、体は抑えきれない怒りに震えていた。
「マスター……マ、マルクス! ま、待って、待ってくれ違うんだ」
「ハーディー!」
言い訳をしようと、慌てるハディだったが、マルクスは一言叫び駆け出した。
既に戦士としては引退している筈だが、まるで脚が生えているような、その辺りの冒険者の太腿のような、太い腕を振りかぶるマルクス。
体ごと突っ込んでいったマルクスは、言い訳も聞かずハディを殴り飛ばす。
「ギルドは誘拐組織じゃねぇんだよ! てめぇら何やってやがるんだ!」
ハディに加勢しようとしていた冒険者たちに、マルクスが怒鳴り散らす。
戸惑う戦士たちを蹴散らし、追い散らすマルクスだった。
「すまんかった。帝国にも詫びに行く」
東の町のギルド支部長『天辺ハゲ』のハディと『奴隷商人』マルタンを縛り上げ、その場に腰を下ろして胡坐をかくギルドマスター・マルクス。
帝国から来たヴィルム老と、王国公爵シモンへ頭を下げた。
「まぁ、面倒にならずに助かった」
ヴィルムは楽が出来たと笑っていた。
攫われた子供達はその場から連れて帰るという。
「大人の仕事、後始末は任せるぞ」
「任せてくれ。今度こそ、この命を懸けても騒ぎは起こさせない」
シモンの言葉に、マルクスが応じる。
「落着でしょうかね。無駄に巻き込まれてしまいましたねぇ」
子供達を連れた、ヴィルムとカリンは帝国へ戻る。
「また借りを作ったな英雄殿よ。今は子供達を帰らせるのが先だが、この老いぼれが役にたつなら、いつでも呼んでくれ」
「いやぁ、気を付けて帰ってください」
英雄などと呼ばれ、少し照れながらカムラ達が見送っていた。
余計な事に巻き込まれた男に、マフィア……いや、公爵が声を掛ける。
「追いつけて良かった。情報を掴んで追って来たんだ」
後ろに控えるセリーヌに、顎で指示するシモン。
「逃亡中のセルジュですが、北の部族と接触するのが、目的のようです」
「何をする気なのかは、分からねぇがな」
シモンも苦い顔をする。
王国に残っていたセルジュの手の者を捕らえ、それだけを白状させたようだ。
セリーヌは帝国から案内役として、出向してきたトーマスに近付く。
「南北の部族で、大きな内戦となりそうですよ。誰が望んだ
トーマスの耳元で、囁くように告げる。
セリーヌを睨みつけるトーマス。
それ以上何も言わず、静かに離れるセリーヌだった。
「おい、セリーヌ。喉が渇いたな」
いつの間にか真っ白な丸テーブルに清潔なテーブルクロスがかけられていた。
数枚のクッキーが添えられた紅茶が用意され、イスを引いて待つセリーヌ。
「御用意しておきました。こちらへどうぞ」
当たり前のようにシモンもテーブルに着く。
道の真ん中だが……。
「公爵ってのは……」
呆れた男が溜息を吐いていた。
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