第157話 魔獣解放

 男は貴族の屋敷を知らなかった。

 子爵の屋敷も、ピエールの顔も知らない。

 それでも迷いなく、リトを連れた男は真っ直ぐ進む。

 リトも当然のような顔で、当たり前に男の後ろを行く。


 エミールが慌てて飛び出していった。

 ならばエミールが、貴族の親子の身柄を抑える筈だ。

 王城へ行けば、男に喧嘩を売った相手がいる。

 男はそう考え、城へ向かっていた。

 たった二人で城攻めをしてでも、生かしておく気はなかった。


「来た! 来ました。兎の獣人を連れた男です!」

「来ましたか。無駄に刺激しないで下さい。私が一人で交渉します」

 部下の報告を受けたエミールが、一人、男を城門前で迎える。

 ありったけの兵を搔き集め、城門を固めてはみたが。

 それで防げるとは、エミールは思っていなかった。

「ここまで来て、しくじる訳にはいかない」

 男を宥められなければ国が亡びる。 命を懸けて止めなければならない。

 何故か、そんな悲壮な決意のエミールが一人、男との交渉に立ち向かう。


 声は聞こえても、話の内容までは聞き取れない。

 そんな距離を兵達から離れ、エミールは男と向き合う。

「目的は分かっています。少しだけ時間を下さい」

「邪魔をするのなら……斬る」

「っ……いや、いやいや、諦めろとは言っていません。待って欲しいのです」

「断る。貴族のボンボン如きが調子に乗りすぎたんだ」

 男は止まらず腰の刀に手を掛ける。


「っ! もうすぐ貴族ではなくなります! 息子も引き渡しますから!」

 男の足が止まった。

「爵位を取り上げ、平民にする手続きをしていますし、息子も捕らえてあります」

「どういうつもりです?」

「たった一人で貴族をどうにかされると、国として不味いのですよ」


 ただ単純に、『国が止められない個人』というのが不味いだけなのだ。

 そう、エミールが必死に伝える。

 個人の力で貴族を傷つけられると、国として立ち行かなくなると訴える。

 実際は男一人、国の兵隊総出で、止められない筈もないのだが。

 エミールは男に敵対してはいけないと、はなから思い込んでいる。


 男の体から吹き出し、近付くものを圧し潰す様な、殺気が薄くなった気がする。

「いいでしょう。息子を引き渡してください」

「すぐ! すぐに連れてこさせます」

 エミールは兵達の前に配置した部下達に、強く指示をだす。

 後ろに控える兵達が早まった事をして、男を無駄に刺激しないように。


 経験した事もない緊張に、エミールの喉が引き攣る。

 今にも意識が飛び、倒れそうなエミールに、城内から伝令が走る。

「済みましたか、分かりました。ピエールをこれに」

「余程嬉しい報告のようですね」

 男の言葉にエミールが、緊張のいくらか解けた顔を緩めた。


「国王陛下が子爵ルイから爵位を取り上げました。もう平民です」

 なんとか間に合った。

 気が緩んだエミールの顔から、体中からブワッと汗が噴き出した。

「ピエールを連行しました」

 兵がピエールを連れて来た。

「貰って帰りますよ」

「どうぞどうぞ。煮るなり焼くなり、今晩の一品に加えるなり、お好きにどうぞ」

「う……う、うわぁあああっ!」

 大人しくしていた元ボンボン。ピエールが突然叫びだした。


 ピエールの指輪が妖しく光る。

「あの石、どこかで……」

 男は何処どこか見覚えのある、指輪の石が気になった。

「魔物をぶ気のようですね。魔物を捕らえて閉じ込める魔石です」

 のんびりした声のエミールが、暢気に男に告げた。

 いつだったか、グリフォンを喚び出した石と、効果は似たようなものだった。


「いぃひゃひゃひゃ……捕まってたまるかぁ!」

 壊れたようにわらうピエールが、解放した魔物の背に乗っていた。

 余程、自信がある魔物なのだろう。

 二階建てのアパートくらいある、巨体が街に現れた。


「ノチモイだ!」

「不味いぞ!」

 城門前の兵達が騒ぎ出す。

「有名なのですか?」

 退く気のない男が、エミールに尋ねる。


「見たのは初めてですが、どんな武器も効かないと有名ですね」

 エミールが暢気のんきに答える。

 今までの必死な緊張を忘れ、どこか楽しそうにも見える。

 男も、軍隊だろうと魔物だろうと、邪魔するなら斬り捨てる気でいた。

 身内に、家族に手を出した者を、生かしておく気はない。


「無敵の魔物だぁ!どけどけぇ!」

 硬そうなモンスターの背で、高笑いするピエール。

 毛も鱗もない肌、短く細いしっぽ。

 太く長い首に、強そうな顎と大きな口。

 太く短い四肢をゆっくりと動かし、大通りを進む魔物。


「おおぉ……お肌プルプルになりそう」

 リトが涎を垂らし、前に出る。

「アレを食べる気か?」

 そんなリトに、男も少し呆れ気味だ。

 ピエールの乗る魔物は、屋敷の様な大きさの亀だった。

 その硬い甲羅は、どんな武器も魔法も弾くという。


「あとはお好きにどうぞ。なるべく町は壊さないで下さい」

 さっぱりした顔のエミールが、後は任せると避難する。

 男がアレを倒せないとは、微塵も心配していないエミールだった。

「はぁ……仕方ありませんねぇ……リト」

「あい」

 男が後ろに伸ばした手に、リトの背負う野太刀が握られる。

 滑るようにリトが後ろにさがり、男の背丈程もある野太刀が抜刀される。


「ばぁかめぇ。こいつの甲羅は無敵だ。剣なんかで、傷もつかないぞぉ」

 甲羅の上で、ピエールが浮かれてわらう。

「甲羅は硬そうだけどな、生憎あいにくとそこまで届かねぇよ」

「ふぇ?」

 確かに背の低い男では、背伸びしても甲羅には届かない。

 まっすぐに踏み込んだ男が、低い姿勢から伸び上がるように刀を振るう。


 一閃


 両断しそうな程深く、大きく切り裂かれた亀の首。

 崩れるように倒れる、カメの首から血がほとばしる。

 そこにはリトが……何故か鞘と荷物を離れた場所へ置いて、戻って来ていた。

 リトが亀の血を真正面から浴びる。

 その小さな体が、血の奔流ほんりゅうにのまれた。


「帰るぞリト」

 ピエールを捕まえた男が、呆れて声を掛ける。

 勢いを失くした血の奔流から、満足そうなリトが顔を出す。

「クェ……けぷっ……うぃ~」

 げっぷか、変な音を漏らしながらも、気の抜けた返事をするリトだった。

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