第156話 災害

 殴られ、痛めつけられ続ける、レイネとエルザ二人の獣人。

 二人が犯罪奴隷なのもあるだろうが、我が物顔で暴れる貴族に意見して、自ら面倒に飛び込む程愚かな者は、王都には居なかった。

 街を行く人々は遠巻きに見ているだけで、誰も動きはしない。

 助ける訳でもなく、立ち去るでもなく、見世物の『人間動物園』を見物していた人々は、痛めつけられる獣人を只見ていた。


「ここは子爵領ではなく王都ですから、程々にして貰えませんかね」

 見かねたのか、町の衛兵が声を掛ける。

「ちっ……おい、行くぞ」

 ピエールは興が削がれたのか、つまらなそうに取り巻きを連れて立ち去った。


 王都の衛兵は国王の兵だが、平民でもある。

 貴族相手に強く出られず、貴族も正面から敵対したくはない。

 どちらも強く出られず、半端なまま別れる事になる。

「どこの奴隷だ? 面倒だな……」

 意識を失って倒れる奴隷をどうしたものかと、衛兵が面倒くさそうに見下ろしていると、そこへ通り掛かった獣人が飛び込んできた。


「レイネさん! エルザさんも!」

「なんだ知り合いなのか? 丁度いい、お前そいつらを連れていけ。こんな町中で死なれたら邪魔で仕方ない」

「知り合いです。なんでこんな事に……」

「ピエールだ。子爵の坊ちゃんの気まぐれだよ。じゃあな、後は任せるぞ」

 獣人の死体を片付けずに済んだと、衛兵は足早に立ち去っていった。

「早く叔母さんの家に運ばなきゃ」

 エルザを乗せたレイネを抱き上げると、町外れの家へ兎の獣人は必死に走り出す。


 のんびりお茶を楽しむエミールがくつろぐ家に、羊と猫の獣人を抱いた兎の獣人が飛び込んで来た。

「伯母さん! あっ、貴族の偉い人! ああっ、どうしよう」

 エミールを見て、ここにも貴族が居たと慌てている。

「落ち着いてシリル。二人を倒したの? 強くなったね」

 リトがおかしな事を言い出した。


 リトの姪、シリルが二人を拾った経緯を話す。

「取り敢えずベッドへ。リト、医者を呼んできなさい」

「うぃ~」

「は、はい」

 男の指示でリトが医者を呼びに行き、シリルは奥のベッドへ二人を運ぶ。

 慌ただしく動く中、青ざめたエミールが家を飛び出し、城へ駆け出していた。

 通常有り得ない、必死に全力疾走する、執政の侯爵。

 そんなエミールが駆け込んだ所為で、王城も皆が慌てだし、大騒ぎになった。


「不味い事が起きました。ドラゴン襲来が可愛く思える程です。すぐに動かせる軍はどれだけですか? 騎士団も集めなければいけませんね」

 執務室に入り、慌ただしく兵を集めるエミール。

「戦争でもする気ですか」

「そんなもので済みませんよ! 国が亡びるかもしれません」


 王都の兵を搔き集めても、500程度しかいない。

 王国は各貴族が、農民や奴隷、傭兵を連れて集まって軍と成すので、急な挙兵はできなかった。それも忘れ、一人慌てふためくエミール侯爵。

 ドラゴン騒ぎも、悪魔の時も、これ程慌てはしなかった彼だったので、周りの者も何が起きたのか分からないまま、出来る限りの兵を集めて動き出す。

「王都の兵だけで、どれだけ足止め出来るか……近衛もだそう」


 彼は、エミールは、男を過大評価していた。

 それはもう、信仰や妄想といえる程に。

 迷宮攻略、ドラゴン討伐、各地の魔物討伐に悪魔も討ち取った。

 エミールはそれら全てが男の、彼一人の力だと思い込んでいた。


 西の帝国を滅ぼしたシルバードラゴン。

 南の皇国を滅ぼした悪魔。

 それらを倒したのだから、男一人で国を滅ぼせる戦力だと、エミールはそう信じて疑いもしなかった。


「なんて事をしてくれたんだ、あのバカ子爵親子め。どうする? どうやって国を護る? やっとここまで来たのに……こんな災厄なんて……」

「エミール様、何があったのです」

「災厄です。至急、大至急ルイ子爵と子息を取り押さえて下さい。絶対に何があろうとも、二人を逃がさないで下さい。私は国王陛下のもとへ向かいます」

 執務室から飛び出し、国王へ予定も入れずに会いに行くエミール。


「丈夫な獣人ですな。なんとかなりそうですよ」

 レイネとエルザを看た医者が、治療を終えた。

 二人共、なんとか命を取り留めたようだ。

「シリルさん面倒をかけましたね。ありがとうございました」

「ふぇっ! そ、そんな、以前助けて貰いましたし、伯母さんの知り合いですし」


「あ……ま、ますたぁ……」

 目を覚ましたのか、微かな言葉がレイネの口から洩れる。

「奴隷紋ってのは確か、主人の命令を強制できる筈でしたね。レイネ、エルザ。さっさと傷を治しなさい。今後、許可なく傷つく事は許しません」

 マスターの命令を聞いた、レイネとエルザは深い眠りについた。


「シリルさん。面倒ついでに、戻るまで二人を看ていて貰えますか?」

「は、はい。構いませんが……お出掛けですか?」

「ちょっと、お仕置きに行ってきます」

 出掛けるのを知っていたかのように、既に支度を整え、いつものザックを背負ったリトが、部屋を出る男の後に続く。

「伯母さん……相手は貴族だって……」

「マスターの物を傷つけた。貴族程度に許される事じゃないんだよ?」

 相手が貴族だと心配するシリルだが、公爵の頭すらはたくリトには関係ない。


 リトの中では、国王よりも神よりも、マスターの方が上であった。

 そして男も、この国の民でもなく、王にも貴族にも敬意などはなかった。

「貴族の息子と俺の奴隷……どちらの立場が上か、思い知らせてやる」

 男が殺気を溢れさせ、小さく呟いた。


 勝ち負け関係なく、敵対するのは割に合わない。

 やり合うのは損だと、そう誰にでも思わせ男は生きて来た。

 臆病な彼は、復讐されないように、徹底的に相手を叩く。

 ヤルのなら躊躇も加減もしない。

 いつでも全力で殲滅する。

 それが一人で生き抜くすべでもあった。


 お気に入りのモコモコとモフモフを傷物キズモノにされた怒りが、男にかつてない程の殺気をまとわせる。部屋の中にいるシリルの全身の毛が逆立つ程に。周囲の獣人、野生の獣が恐怖に倒れる程に。

 邪魔する者は軍でも国でも、神でも切り伏せる。

 そんな殺気を撒き散らしながら、死を呼ぶ災厄が王都を行く。

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