第125話 今日のデザート

「すげぇ! 師匠凄ぇ! すげぇな……すげぇ!」

 カムラがすげぇbotになってしまった。

「ドラゴンて、人が倒せるんだねぇ……」

 トムイも、そう呟いて立ち尽くす。

 初めて見たドラゴン。

 初めて見たドラゴンスレイヤー。


「もう限界です。後は頼みますよ。今回はアナタの手柄で処理します」

 前回銀龍退治の功績を、押し付けられていた。

 今回は賢者が倒した事にする番だと伝える。

「仕方ないのぉ……まさか剣でアレを倒せるとはな」

「流石にしんどい。体中がきしむので帰ります」

 賢者に後を任せた男は、リトを連れて王都へ帰った。


 王都に入ると人が増え、商店もポツポツと見えて来る。

 迷宮の影響なのか、飲食店も何件かあった。

 小さな村でも、食事の出来る場所があったり、宿もあったりした。

 そんな喧噪を抜け、王都の外れ、侯爵領の入り口へ歩く。


「お帰りなさいませ。お風呂が沸いています」

 家の入口には羊の獣人、奴隷のレイネが出迎える。

 最近、入浴剤を作るのに夢中になっているらしい。

 リトを連れ風呂に浸かり、刀の手入れをしてぐっすり眠る。


 立ち並ぶ商店というのは、そう古いものではありません。

 中世には飲食店も、殆どなかったようです。

 日本では、商品は売りに来るもの。

 買いに行くものではなかったので、卸問屋のようなものくらいでした。

 宿でも食事は客が、薪代を払って自分で作っていました。

 泊り客が金を追加で払い、自分の食事を作る。

 今では不思議なシステムですね。

 この薪代だけで泊まれる、部屋代なしの安い木賃宿というのもあったようです。

 外で食事が出来るようになるのは、江戸時代の半ば頃でしょうか。

 この世界は文明レベルの割に、通貨があり、街には店が出来ています。

 迷宮から入る、異世界の情報の所為でしょうか。

 異世界の情報は各国為政者の判断で、ある程度世界に流されていました。


 キッチンに立つ男はコーヒーを淹れ、皿に入れて冷ます。

 男の隣で、リトが卵白を混ぜていた。

 つのが立つまでかき混ぜ、泡立てる。

 男は卵黄と砂糖を混ぜる。

 滑らかになると、リトのメレンゲと混ぜる。

 作っておいたマスカルポーネも入れる。

 冷めたコーヒーにビスケットを浸す。

 器に浸したビスケットを敷き、混ぜたものを乗せる。

 冷やして、ココアパウダーをかければ完成だ。

 男は自宅のキッチンで、ティラミスを作っていた。

 ただ混ぜるだけ、という簡単な家庭料理のデザートだった。


 生クリームは牛乳から、クエン酸はレモンから作ります。

 クエン酸でなく、レモン汁のままでも出来ます。

 生クリームの一番簡単な方法は、放置です。

 搾ってきた牛乳を放置すると、クリームが分離して浮いてきます。

 それをすくうだけです。

 別に牛限定ではなく、脂肪分が足りていれば、他の乳でも出来ると思います。

 成分調整された物は、クリーム成分がないので無理です。

 他の方法で作る場合も、普通に店舗で販売している牛乳では出来ません。

 クリーム成分と脂肪分が多いものを選びましょう。

 生クリームにクエン酸を加え、布巾等ですとマスカルポーネチーズです。

 面倒なら、漉さなくても使えます。

 レモン果汁に炭酸カルシウムを加えます。

 クエン酸カルシウムとして沈殿させます。

 濾過したクエン酸カルシウムを、硫酸と反応させてクエン酸を分離します。

 学校の実験で作った人もいるかもしれませんね。

 要するに

 2C₃H₄(OH)(COOH)₃+3CaCO₃→ Ca₃[C₃H₄(OH)(COO)₃]₂+3H₂CO₃

 Ca₃[C₃H₄(OH)(COO)₃]₂+3H₂SO₄→ 2[C₃H₄(OH)(COOH)₃]+3CaSO₄

 という事です。

 硫酸は硫黄や黄鉄鉱を燃やして、酸化させて、水を足すと出来ます。

 酸化は可逆反応なので、200~600度で作業しましょう。

 ご家庭での作業はオススメしません。


 のんびりしていると、エミールが来る。

 次から次へと、問題の起こる国だ。

 部屋に通されたエミールを男が出迎える。

「いやいや、ドラゴンまで出たそうで。助かりましたよ」

「戦争にはならなかったようですね。犯人はみつかりましたか?」

 男爵をそそのかし、呪法を使わせた謎の人物。

 以前の砦の物資横流しも、取引相手が謎のままだった。

「まったく手がかりも何もありません」

 誰かが王国を、混乱させようとしているのだろうか。

 それとも別の目的があるのだろうか。


 エミールに紅茶が出された。

 レイネが白いまきのような物を、皿に乗せ運んで来た。

「日本ではシュトーレンと呼ばれるドイツの菓子です」

 ドイツではシュトレンだった気がする。


「これが菓子なのですか?丸太か何かのようですね」

 エミールは来る度に、男の作った甘いものを食べていた。

 これが楽しみで自ら出向いているのかも知れない。

 薄く切ったものをエミールの皿に乗せる。

「白いのは砂糖ですか……中はドライフルーツですね」

 フルーツとナッツぎっしりの、硬いパンのようなソレを齧る。

 強烈な、といえる程の甘味が口に広がる。


 大きく目を見開き、目じりが溶けた様に下がる。

「甘いでしょう。だらしない顔になってますよ?」

「おや、失礼。堪りませんね」

「お気に召されたなら、帰りに何本か包みましょう」

「おお……ありがとうございます」

「安い賄賂ですねぇ。明日になればティラミスもありますよ」

「それも楽しみですね。明日も来ましょう」


 エミールは、男のデザートに夢中になっていた。

 来訪の目的も忘れ、『あまいもの』にとろけてしまう。

 シュトレンを堪能して、お土産を貰って帰っていった。

 忙しい上級貴族の筈だが、エミールは菓子に満足して帰った。

「してやったり……だな」

 厄介な仕事を持ってくる切れ者を、甘い菓子で返り討ちにした。

 男は満足したが、エミールはどこで気付くのだろう。


 エミールは浮かれて屋敷に戻り、浴室で思い出す。

「何しに行ったんだ!」

 突然の叫びに、入浴の世話をする侍女たちが、驚き目をみはる。

 長閑のどかで穏やかな、王都の一日だった。

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