第124話 狩猟

 後ろ足で立ち上がるブラックドラゴン。

 その高さは3mはありそうだ。

 長い尻尾も同じくらいは、あるように見える。

 男は思った。

 ワニ目インドガビアル科インドガビアル属Gavialis gangeticusくらいか。


 クロコダイルに分類される事もある、ガビアルも6m程になるらしい。

 7mにもなるクロコダイルを、槍一本で狩る民族もいるらしい。

 その身を包む魔力を削り切れば、龍もワニと同じだ。

「……なら、俺に狩れないものでもあるまい」


 大きく左足を前に出し、前傾で右手を後ろへ伸ばす。

 その手に差し出された柄を握る。

 気配を殺していたリトが、いつの間にか男の後ろにいた。

 当然のように刀を渡し、摺り足で後ろに退いていく。

 抜刀された野太刀に左手を添え、男は一息に龍の懐へ飛び込んだ。


「我は求める猛き力。はぐくむもの、豊穣をもたらす大地よ」

 賢者が仕方がない。と、いった顔で呪文を唱えだす。

「この地に立つ者に、雄々しき力を与えよ」

 膝を着き、屈んだ賢者が、地面に息を吹きかける。

 辺りが、大地が光り、すぐに消えた。


「何したんですか?」

 何も起こらず、トムイが心配そうに訊ねる。

 シアは魔力を使い果たして声も出ないようだ。

「増強の範囲魔法だ。範囲内の全ての力が増幅される」

「範囲内……全て……ですか?」

「うむ。使い道のない魔法だな。初めて使ったよ」


 トムイとシアが、残念な人を見る目で賢者を見ている。

「どうしたんだよ。師匠の援護じゃないのか?」

 一人、理解していないカムラに、トムイが答える。

「たぶん……敵味方の区別なく、全てを強化、なんじゃないかな」

 頷く賢者が、何故か得意気だ。

「どうせドラゴンの一撃には耐えられないだろう?」

 ドラゴンごと、男に力がみなぎっていく。


 重い荷物を持ち上げる時、息を止めますか?

 力が入る気がするだけで、実際には余計な力を使うだけです。

 体が本来の力が伝わらなくなります。

 腰を折らずに膝を曲げ、息を吐きながら持ち上げて下さい。

 奥歯を噛みしめなくても、楽に持ち上がります。

 気のせいなので、無理な重量を持ち上げると、後で背中が痛みます。

 怪我をしないように、150kgまでにした方が無難です。

 掛け声も大事です。

 痛みもそうですが、叫んだり大声を出すと、割とごまかせます。

 何事も苦しい時は、叫んで誤魔化しましょう。


 男は裂帛れっぱくの気合と共に、長い太刀たちを振りかぶる。

 大きく右足を踏み込んで、真っ向から野太刀を振り下ろす。

 当然、龍の魔力を纏った鱗に弾かれる。

 それでも振り抜き、返す刀で龍の爪を弾く。


「うぉおおおっ!」

 珍しくさけび声をあげた男の刀が、止まらず龍を襲う。

 迫る爪を斬り上げた刀が、反転して袈裟に振り下ろされる。

 その勢いのまま龍の目の前で背中を見せる。

 男の背に、龍の爪が迫る。


 その一撃を擦り抜けるように躱し、流れる様に一回りした刀がはしる。

 横薙ぎに払われた刀が、生き物の様に跳ね上がる。

 自分の背丈と変わらない刃を、身体全体を使って振り回す。

 まるで踊るように、止まらず斬りつける。


 その男の勢いに龍も押され、至近での接近戦に応じるしかなかった。

 魔法も使えず、飛びあがる間も与えられなかった。

 近すぎて尻尾も振り回せず、牙で噛みつく事も出来ない。

 それでもヒト如き、爪で引き裂くだけで充分な筈だった。


 精霊だろうか、大地から力を感じる。

 いつもより力強く腕を振ると、爪が大気を裂く。

 それでもヒトは爪を払い、躱し、反撃してくる。

 常ならば龍の鱗は、ヒトの攻撃で傷一つ付かない。

 だが、気迫と殺意の籠った一撃は、ヒトのものだと軽視出来るものではなかった。

 その一撃一撃を、魔力を込めて弾く。


 龍は驚愕きょうがくしていた。

 いつも、どんな相手も、一撃でほうむってきた。

 対抗できる存在もなく、龍種は生物の頂点だった。


 何故、この小さな人間は抵抗するのか、出来るのか。

 何故、自分の爪が届かないのか。

 何故、効果もない攻撃を繰り返すのか。

 余計な事に気を取られ、黒龍は気付くのが遅れてしまう。


 自分の魔力が削られ、残りが僅かな事に気がつく。

 それでも、魔力が切れても。

 龍の鱗は鉄よりも硬い。

 ヒトの武器で傷がつくものではない。


 警戒していたつもりでも、龍は知らなかった。

 日本刀を、その男を。

 一瞬も……刹那も、気の緩みを許されない、龍との接近戦。

 男の頭の中は冷たく冴えていた。


 深く懐に飛び込み、絶え間ない攻撃で、龍の選択肢を削る。

 体格差で、上から振り下ろすしかない龍の攻撃を、冷静に見切っていた。

 斬りつけた手応えが変る。

 強い魔力の障壁を感じなかった。

 斬り上げた渾身の一撃が、黒龍の胸を切り裂く。


「ギュガァ! ゴアアアアッ!」

 吠える龍に向かい、男の足が大地を蹴る。

 男の選んだ一撃は平突き!

 横に寝かせた世界最高峰の刃が、幻想世界最強のドラゴンを襲う。

 切り裂かれた鱗の下に、滑り込むように刀が突き上げられる。

 野太刀がブラックドラゴンの胸を、その心臓を貫いた。

 断末魔の悲鳴と共に、ブラックドラゴンが崩れ落ちる。


 男の体中から一気に汗が噴き出す。

 ドッと疲れが出て、意識を失いそうになる。

 極限状態から解放され、立っているだけでやっとだった。

 こんなのを槍一本で狩っている人達はどんな化物だろう。

 男は一時、アフリカに居た頃を思い出す。

「よく生きてたもんだ……」

 ワニ猟師に会わずに助かった。と、心の底から思っていた。

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