第116話 姪っ子

 青く、どこまでも広がる、爽やかな空。

 碧く、地平線まで続く、なだらかな丘陵と草原。

 白く、空に広がり、たなびく薄い雲。

 もうすぐ、遠く地平線へ陽が沈んでいくだろう。


海神わたつみ豊旗雲とよはたぐも入日いりひさし 今夜こよいの……なんだっけな」

 のんびりと空を眺める男は、昔々の天子様がんだ歌を思い出していた。

中大兄皇子なかのおおえのおうじだったか、天智天皇だったか……うろ覚えだな」

 どちらも同じ人物だ。

「急にハンバーグとチーズケーキが食べたくなった。卵あるかなぁ」


 現実逃避してみても、逃げ遅れた状況は改善しない。

 男を楯にするように、お嬢様が後ろに隠れる。

 当然それを追って、盗賊も集まって来る。

「なんだぁ? 邪魔しようってのかぁ?」

 小物っぽい賊が、小物っぽいセリフを吐く。

「どうでしょう? お互いに見なかった事にしませんか? 面倒は御免です」

 男は見逃してやると提案してみる。

「見られたからには、生かしておくわけにもいかねぇなぁ」

「ひぃ……」

 何故か助けて貰えると思い込んでいたお嬢が、男の後ろで小さく悲鳴をあげる。

 泣きそうな顔で男を見つめているが、男は心底、面倒くさそうだ。


「ぎゃあ!」

 馬車の向こうで断末魔があがる。

 残っていた護衛が、殺されたのだろう。

 白い何かが馬車を飛び越え、盗賊も飛び越え、男の前に降り立つ。

「お嬢様! 御無事で?」

「シリル! 無事だったのね」

 どうやら護衛の一人のようだ。


 スラリと細く高い体にウサギの頭が乗っている。

 兎の獣人だった。

 腹がボコボコしているが、乳房が胸でなく、腹にあるのだろう。

 顔がまんま兎なので分かり辛いが、体つきと声から20代後半位の歳だろうか。

 一人でも、お嬢を守って戦う気のようだ。

 獣人も傷を負っているようで、腕や脇腹に血が滲んでいる。

 革の胸当てだけの軽装で、複数に囲まれたら戦い難そうだ。

 右手に短めのレイピア、左手にはマイン・ゴーシュを逆手に構えている。

 盗賊を2人仕留めたようで、残りは6人になっていた。

 一人で相手するには厳しそうだ。


 レイピアは細身の剣です。

 これより太いものはブロードソードと呼ばれました。

 フェンシングを思い浮かべて貰えると近いかもしれません。

 あんなにしなったりは、しませんが。

 一応刃が付いているので、切り裂く事も出来ます。

 戦闘で使うと折れると思いますが。

 基本突く為の剣で、貴族の試合や儀礼用となります。

 鎧の繋ぎ目を突けば戦闘でも使えます。

 人の領域を超えた達人ならば、可能かもしれませんね。

 目標を固定していても無理だと思います。

 実戦向きの武器ではありません。


 マイン・ゴーシュは、楯として使える短剣です。

 英語だとParrying Daggerにあたるものだと思います。

 柄頭から鍔まで伸びる、カップガードがこぶしを護ります。

 フランス語の名前の通り、利き腕とは逆の手で使うナイフです。

 仲間にソードブレイカーがあります。

 受け止めた相手の剣を折る、というコンセプトらしいです。

 実際に折れるのは、構造上弱そうなブレイカー側になります。

 日本刀なら、受け止めた剣を両断できると思います。

 ロマンだけの武器ですね。


「シリル。久しぶり~、元気してた?」

 暢気のんきな声で、兎の獣人に話しかける兎の獣人。

「え? へ? お、おばさん! なんでこんなとこに?」

「いやぁ、奴隷商に捕まっちゃってね」

「ええー! 心配してたんだよぉ。ママだって、ずっと探してたんだからぁ」

 面倒な事に、どうやらリトの知り合いのようだ。

 おばさんと呼んでる。親戚だろうか。


「この人マスター。リトを買った人」

「え……えぇ! おばさんが……奴隷……」

 シリルは現状を忘れる程、ショックだったようだ。

「リト……知り合いかな?」

「妹の娘。シリル」

「へぇ。姪なのかぁ……妹? 姉でなく?」


 リトの歳は幾つくらいなのだろう?

 リトの姪が巻き込まれているなら、助けないわけにもいかないか。

 男は仕方なく、といった感じで剣を抜く。

「シリル、下がってて。そこの2人も、ついでに助けて貰えそうだよ」

「リトの身内なら、仕方ないな。ちょっと退いててくれるかな」


「な、何をやってんだぁ!」

「ふざけやがってぇ!」

 我に返った盗賊が、前に出た男に襲い掛かる。

 先頭の賊に、真っ向から剣が振り下ろされる。

 顔を裂き、胸まで切り裂く。

 即死した盗賊を蹴り飛ばし、無理矢理に剣を引き抜いた。

 血を噴き出し倒れる仲間に、残った盗賊が一瞬怯む。

 男を相手に、ソレは致命的だった。


 首筋を刎ね切り、脇の下、太腿の内側と、急所だけを切り裂いていく。

 盗賊の間を擦り抜け、5人目の鳩尾みぞおちを剣が貫く。

 背中まで貫かれた賊が、倒れる間もなく、最後の一人にダガーが刺さる。

 首に刺さった戦闘用ナイフ、ダガーを男が引き抜く。

 虚ろな目で口を開けたまま、盛大に血を噴き出して、最後の賊が倒れた。

 手足の太い血管を断ち切られた賊は、血を流し過ぎて眠ってしまう。

 そのまま、ゆっくりと死んでいく。


 経験から、心臓が止まると眠くなります。

 全てがどうでも良くなり、ゆっくりと眠りについて、意識が途切れます。

 残念ながら、お花畑や川に出合う事は出来ないままでした。

 起こされた時は、イラっとしました。

 せっかく気持ちよく寝ていたのに、と。

 眠る様に、というよりも、眠りながら静かに死ぬのは一番楽だと思います。

 苦しかったり、痛かったり、もがきながら死ぬのは嫌ですよね。

 彼等は貴族の令嬢を襲ったのに、安らかに眠れて幸せかもしれません。

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