第108話 飛ぶウサギ
トランを刺したサイードは、血の付いたまま剣を鞘に仕舞う。
男の後ろの扉が開き、兵士が部屋に入ってくる。
雪崩れ込んでくる兵士達よりも早く、男は駆けだした。
サイードの脇を擦り抜け、部屋の奥、窓辺へ駆ける。
「リト、ザックを降ろせ。外壁の向こうまで、飛べるか?」
チラと窓の外を確認した男が、リトにおかしな事を訊ねる。
「ん~……とどく。と、思う」
降ろしたザックからマントを取り出し、足に括り付けながらリトが答える。
「よし、時間を稼ぐ。行け」
「あい」
リトは躊躇せず窓から跳び出した。
「アナタを置いて行けない!」 「こんな所からなんて飛べない」
等とは言わない。
何故? とも問わない。
無駄に騒ぎもしない。
余計な事を全て省き、直ぐに行動へ移す。
リトの行動は全て、マスターの為に。
その意に従う事がリトの全てだった。
殺到する兵へ向かって、男が死んだトランの机を蹴り倒す。
怯ませ、勢いを削いだ処へ、背もたれを掴んだ椅子を飛ばす。
手首だけで投げた椅子が、兵士の顔面を直撃する。
「殺さない戦闘ってのは苦手なんだけどな……」
窓の外をチラッと見ると、リトが飛んでいた。
足に付けたマントを両手に広げ、風を受けて滑空していく。
小さな体のリトだから、どうにかなった無茶な行動だった。
それでもかなりのスピードで、外壁の外へ消えていく。
横方向への距離は出せたが、ほぼ落下と変わらない速度で着地する。
ゴロゴロと転がり、落下の衝撃を散らすと、足のマントをナイフで切り捨てる。
リトは止まらず、振り向きもせずに走り出した。
窓に飛び乗った男が部屋を振り返る。
「面倒なんで逃げます。追ってこないで下さいね」
部屋に大きなザックを残し、男は窓から滑る様に落ちていく。
当然だが、男は飛べない。
下の階の窓へ足の爪先を擦り付け、速度を落として窓辺に右手の指を掛ける。
そのまま室内へ戻ろうとすると、突然雨が降って来た。
突然の豪雨。
痛いくらいの勢いで、雨が降り注ぐ。
「やっぱり、ついてないな……」
指が滑り、男が落ちていく。
トランの部屋は砦の6階部分。下まで落ちれば助かりそうにない。
男は体をひねり、下の階、4階の窓へ無理矢理体を捻じ込んだ。
脇腹を窓枠に打ちつけ、部屋の中に落ちて
痛みを堪え、部屋を出た男は階段を降りていく。
しかし、2階で下から兵士が上がって来る。
上からも兵士が降りて来る。
挟まれた男は、仕方なく近くの部屋へ飛び込んだ。
帝国領のカムラ達は砦に近付いていた。
「やっとだねぇ」
「調査するんだっけ?」
「危険な魔物が居ないか、近辺に異常がないかの調査ね」
砦の周囲を歩き、魔獣や魔物、亜人の痕跡を探す。
砦近くの小高い丘に登ると、かなり遠くまで見通せた。
「危険どころか、なぁんにもないなぁ」
「そうね。大丈夫そうだし、砦に行きましょうか」
トムイが遠くを見つめたまま動かない。
「どうした? なんか見えるのか?」
黙って指差すトムイの先を見ると、何か砂ぼこりが舞っているようだ。
かなりの距離があって、はっきりしない。
「なんか、近づいて来てるか?」
シアも舞い上がる砂ぼこりを見つけ、慌てて駆け出した。
「どうしたの? シア。急にどうしたのさ」
「しょんべんか? 漏れそうなのか?」
男2人は、まだ暢気にしていた。
「バカな事大声で言わないで! 砦に急いで知らせなきゃ!」
此方に近付く何かの正体に気付いたシアは、砦に向かって走る。
「なんだよ。アレってヤバイのか?」
「シぃアぁ~! アレって何なのさぁ」
何だか分からないまま、トムイとカムラも走り出す。
「あれは魔獣よ。あんな群れ、聞いた事もない」
魔獣の群れが来る前に、少しでも早く砦に知らせなければ。
3人は砦に向かって、必死に走る。
重い鎧のカムラは、息が乱れ顎が上がる。
砦を囲む堀に跳ね橋が降ろされ、兵士が2人立っていた。
外壁の上にも帝国兵が歩き回っている。
「大変です! 凄い数の群れが……」
息を乱し、慌てるシアを落ち着かせ、トムイが兵士に説明する。
カムラは遠く離れた所でフラフラしていた。
ギルドの依頼で来た事を告げ、書類を渡し、近辺調査の報告をする。
「何! 魔獣の群れだと! 待ってくれ。上官に報告する」
フラフラになりながら、やっと辿り着いたカムラと共に、砦の中へ入れられた。
跳ね橋が上げられ、門が閉められる。
「ご苦労、冒険者。司令官のダイアン・ディートリッヒだ」
歳は30代半ば位だろうか、大きく膨らんだ赤毛で、体格の良い女性だ。
やっと呼吸が落ち着いたシアが、魔獣の群れについて報告する。
司令官ならば、帝国の貴族だろうに、真摯に話を聴いてくれる。
下賤な冒険者を名乗る子供の情報を、真面目に検討する貴族。
先程の群れと同じくらい、シアには珍しいものだった。
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