第102話 襲われた村

 逃げる獲物を捕らえる捕食者は、当然獲物よりも速い。

 長距離を走り続ける持久力が無く、飛び掛かる一瞬に全力を出す。

 初速が速く、短距離を駆け抜ける瞬発力があった。

 尋常ならざる身体能力に加え、魔力を蓄える魔獣の速度は想像を超えていた。

 2mを越える巨体が、有り得ない程の速度で獲物に迫る。

 ヒトクイは突進しながら、左前足を振り上げ、鋭く長い爪が獲物を襲う。


 男はなんとか反応するが、躱しきれなかった。

 右へ体を傾けた男の顔を、爪がかすめていく。

 顔の左側を引き裂かれながら、男は怯まず反撃の剣を振るう。

 喉を切り裂く筈の剣は、針金の様な硬い体毛にはじかれる。

「ちっ……斬れないか」

 長く垂れ下がる毛は硬く、ラメラーアーマーを着ているかのようだ。

 バスタードソードと男の腕では、体毛ごと切り裂く事は出来なかった。

「グォオオオオ!」

 一撃で仕留める心算つもりだったのか、ヒトクイは怒りの咆哮ほうこうをあげる。

 後ろ足で立ち上がり、前足の長い3本の爪を振り回す。

 まともに受け止めたら、剣ごと切り裂かれる。

 男は丁寧に受け流し、払い落とし、反撃の隙を待つ。


 帝国、皇帝居城――執務室。

「任せてよろしいのですか?」

 初老の貴族が問いかける。

「出来ると言うのなら、やらせてみれば良い」

 若い皇帝が答える。

「余り褒められた人物ではありませんが……」

「人として問題があっても、民を纏め導く事は出来るかも知れぬ」

「領主全てが善人で、人格者であるとは言えませんが、奴は問題があり過ぎるかと」

「選民思考の為の独裁ではないのだ。気に入らないからと、排除する訳にはいかぬ」

「では、奴にもチャンスを与えると」

「理不尽なこの世でも、せめてチャンスだけは平等に与えても良いではないか」

「仰せのままに……」


 カムラ達3人が立ち寄った村は、亜人の襲撃にあった処だった。

 なんとか撃退したが、多くの若者が命を落としていた。

 この辺りを治めているのは、元共和国のムラジという男だった。

 戦後、帝国に取り入って、地方領主の座に収まった、評判の悪い男だった。

 貧乏な村に兵を派遣しても、税で回収できないからと、見棄てたという。

 まとまった現金も作れず、ギルドへ依頼もできない。

 次の襲撃があったら、もう村人だけでは防ぎきれそうにない。


「大変じゃん! 助けなきゃ」

「だめよ……簡単に言わないで」

 カムラをシアがいさめる。

 依頼を受け、依頼人と冒険者の保証と斡旋あっせんをする、周旋がギルドだ。

 金が無くても依頼を受けていたら、金を払う人間はいなくなる。

 ギルドを通さず勝手に依頼を受ける事も推奨されていない。

「帝国領なんだし、帝国に助けを呼びに行ったらどうかな?」

 以前会った帝国の軍人を思い出しながら、トムイが声を掛ける。

「あの時の人達なら助けてくれそうだけど、間に合わないでしょ」

 何日もの間、この村が耐えられるとは思えない。

「ここじゃあ防衛戦には向かないし、守るのは無理かもね」

 シアが諦めたように告げる。


「やだ!」

「は?」

「困ってる人を見棄てるなんてヤダ!」

 カムラが子供のように叫ぶ。

「ヤダって……」

「冒険者は自由なんだ。助けるのも自由だ!」

「ふふっ、仕方ないねぇ。シア」

「はぁ~……」

 シアは、我儘な子供のままなカムラと、嬉しそうなトムイに溜息が出る。

「で? どうやって守るのよ」

「わかんない! でも大丈夫さ。シアは頭いいからさ」

 何も考えていなかったカムラは、シアに丸投げだった。

「そんな事だと思ってだけどね……」

 大きく溜息を吐くシア。


 ヒトクイの攻撃をいなしながら、男は目の前の敵に集中する。

 周りの音が消え、視界がせばまる。

 目の前のヒトクイだけ、その振り上げた右腕、その長い爪に集中する。

 振り下ろされる瞬間こそ、反撃の時だった。

 外側は硬くとも、肉球なら刺さりそうだ。

 怯んだ処へナイフでトドメを刺せばいけそうだ。

 目や耳の穴、鼻や尻の穴。

 体毛は硬くても、刺せる場所はいくらでもある。

 そう決めた男が、振り下ろされるヒトクイの爪に、意識を集中する。


「くらえ!」

 脇から叫び声がする。

 隠れて様子を見ていた、冒険者風の若者が飛び出した。

 チャンスと見て手柄だけ持っていこうと、剣を抜いて若者が飛び掛かる。

 熊にも男にも、最悪のタイミングだった。

 さらに飛び掛かったのは、振り上げられた右腕側だった。

 絶妙な位置とタイミングに、男は攻撃できなくなってしまう。


 さらに若者の一撃は、硬い毛にあっさりとはじかれる。

 突き上げようと前傾になっていた男は、退るのが遅れる。

 ヒトクイの爪が男の右胸を切り裂く。

 男の胸から血飛沫が上がり、ヒトクイの左が、若者の首をねる。

 沈みかかる男にも、トドメを刺そうとするヒトクイ。

 嫌がらせに飛び込んで来た若者とは、反対側から飛び出して来る小さな影。

 リトが矢の様に飛び出して来た。


 だが、魔獣はそれにも反応して、掬い上げるように前足を振るう。

 爪が届く寸前、リトの体がピタリと止まる。

 トップスピードからゼロへ。

 一瞬で止まったリトの目の前を、止まれない爪が駆け上がっていく。

 目の前に無防備な腹を見せられ、男がじっとしている筈もない。

 男の左前蹴りが、脇腹に突き刺さり、ヒトクイの巨体が揺らぐ。

 男は怯む事なく死地へ、抱き着きそうな程の勢いで、大きく踏み込む。

 右の縦猿臂たてえんぴ、渾身のひじえぐる様に、ヒトクイの左目に打ち下ろされる。

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