第99話 来客

 王都の家のキッチンで、男が楽し気に何かを作っていた。

 バターに砂糖を入れ混ぜる。

 実は結構、金を持っているので、贅沢で高価な材料もふんだんに使う。

 卵黄を投入し、さらに混ぜる。

 薄力粉、アーモンドパウダー、のようなものを加える。

 フォンセでなくパート・シュクレにするので、よく練るように混ぜる。

 押し付けるように、しっかり練り、混ぜ合わせる。

 無花果イチジクに似た実を見つけ、堪らず作り始めてしまっていた。


 翌日、城帰りのエミールが訪ねて来た。

 今日、父の爵位を継ぎ、正式に侯爵となったエミールだった。

 そんな上級貴族が供も連れず、徒歩で郊外の家にやって来た。

「エミール様、お独りで歩き回るのは如何なものかと……」

 奴隷羊のレイネが、困ったような顔で出迎える。

「すぐそこまで王都ですが、この家から東は我が領地なのですよ」

「はぁ……」

「自分の領地を歩いて何がある訳もありませんよ」

 命を狙われ、つい先日まで、家からも出られなかった侯爵様だが。


 爵位を継いだ報告のついでに、何か問題を持って来ているようだった。

「はぁ……なんにせよ、暫くお待ち戴く事になりますよ?」

「おや、お出掛け中ですか?」

「いえ、刀のお手入れです」

「それでは仕方ありませんね。待たせてもらいます」

 男の趣味の、刀の手入れは長くなる。

 エミールは邪魔する事なく、大人しく待つ事にする。

 王国の上級貴族を、趣味の時間だからと待たせる男と奴隷。

 当たり前のように、大人しく待つエミールにリトが寄って来る。

 刀の手入れ中は、リトも部屋に入れて貰えない。

「エミール。今日は良い物あるよ。レイネ出してあげて」

 向かいのソファに座ったリトが、レイネをキッチンへ向かわせる。

 マスターがいなくて暇なので、エミールを構う事にしたようだ。

 エミールを犯罪奴隷と同じように、呼び捨てているリト。

 彼が、この国で最高位の貴族だと、理解しているのだろうか。


 レイネがトレーを持って戻り、切り分けた焼き菓子をテーブルに出す。

「おや、良い香りですねぇ。そちらは焼き菓子ですか?」

「マスターの手作り。心して食すが良い」

 手伝ってもいないが、リトが胸を張り反り返る。

 昨日練って地下室で一晩寝かせた生地に、果物を敷き詰め焼いた。

「無花果のタルト、というものだそうです」

 ブランデーを垂らした紅茶を、レイネがそっと添える。

「おお、こちらも良い香りですねぇ」

 サクサクとした生地を、たっぷり乗った果実と一緒に口へ運ぶ。

 シュクレの名の通り甘い生地に、果実の甘味とほのかな酸味。

 口の中でホロホロと崩れる生地。

 紅茶で流すとさっぱりとした後にブランデーの香りが残る。

「ほぅ……これは……心の疲れが溶けていくようです」

 城での緊張と心労が、甘味と暖かい紅茶で癒されていく。

「どぉ? どぉ? マスター凄かろ?」

 ぴょんぴょんしながら、リトが自慢する。

「料理が出来るとは聞いていましたが、焼き菓子まで出来るとは……」

 屋敷の料理人にも作らせたい。

 領地で売り出した方がいいだろうか。

 エミールはそんな事を考えながらも、手が止まらなくなる。

「ふっふっふ。マスターの偉大さを、思い知ったか」

 肉食なので食べられないリトは、マスターの凄さを自慢する事で発散していた。


 そんな処へ、珍しく来客が続く。

 エミールの用事以外の客は、来ないハズの家に貴族が来た。

 でっぷりと太った中年の男は、アンドレイと名乗った。

 無駄に派手な馬車を連ねて来て、供を残して家に入り込む。

「リト、とかいう冒険者の家はここだな。呼んで来なさい」

 アンドレイは勝手に上がり込み、エミールのいるリビングへ入る。

 この家に普通の貴族が来たのは初めてで、レイネも対応が遅れてしまう。

 その男の態度は平民に対する、極、普通の貴族の態度だった。

 暫く見ていなかったので、奴隷達には新鮮に映る。

 エミールを気にしながらも、テーブルの椅子に腰をおろす。

 気品があり、服も安くないものを着るエミール。

 アンドレイも、エミールが何者か判断できずにいるようだ。

 まさか貴族が気軽に独りで、タルトを食べているとは思わない。

 しかも最上位の侯爵だとは、気付く筈もないだろう。

 奴隷の獣人の方が偉そうだが、彼の上には王族がいるだけの最上級貴族だ。

 彼より偉いのは公爵と王子殿下、王妃と国王陛下くらいなものだ。

 冒険者では無さそうなので、富裕な商人ではないかと考えた。

「リトに何か用?」

「兎の獣人か、喋る兎とは珍しい。お呼び出しが無ければ、買って帰りたいな」


 兎は通常、声帯が無いので、けない動物です。

 声が出ない代わりに、後ろ足でペタペタドンドンと、地面を蹴ります。

 その音で会話していると、言い張る人もいます。

 普通の兎は肉も食べません。

 肉食の兎は伝承にある、アルミラージくらいです。


「皇国の貴族様が、冒険者にどんな御用です? ここはギルドではありませんよ?」

 紅茶を飲みながら、エミールが笑顔で訊ねる。

「よく分かったな。皇国子爵のアンドレイである。此度は皇女陛下の遣いである」

「私はリトの友人でエミールです。彼女に用事ならギルドにどうぞ」

「喜ぶがよい、皇女陛下のお目通りがかなう。ささっ、すぐに支度をさせよ」

 新鮮な見世物くらいの気分、で眺めていた奴隷達に緊張が走る。

 エミール以外、獣人の3人はいち早く、気配に気付く。


「用があるなら、自分で来い。……と、伝えろ」

「残念、見つかってしまいましたか」

 遊び半分で相手をしようとしていたエミールが、遊びの詮索を諦める。

 お楽しみが終わった男が、リビングに来てしまった。

「あ、あの……も、申し訳ありません。す、すぐに、摘まみ出しますので……」

 オタオタと慌てるレイネを手で制し、男が静かに歩み寄る。

「あの~……できれば……ですが、殺さないで戴けると助かります」

 エミールが控えめに声を掛ける。


 男は黙って、アンドレイの座った椅子を蹴り倒す。

「ぶふぅ! き、貴様! 何をするか!」

 不様に床に倒れた子爵が叫ぶ。

「此処には誰も来ない筈だ。誰に聞いて、此処に来た」

「っ! ……ぅ……」

 男が、倒れた子爵のケツを蹴る。

 爪先がケツノアナを突き上げる。

 抗議の声も出せず、ブヨブヨと床でもがく貴族。

「わ、私は遠慮しときます。洩らした奴は処分しておきますから」

 エミールが慌てて手を振り、男に訴える。

「皇国の子爵だぞ? この国の男爵に聞いて、来てやったのだぞ!」

 流石に子爵か、床でのたうちながらも、まだ偉そうにしている。

「こちらは王国の侯爵、クロカンド卿でございますよ」

 男がおどけて、エミールを紹介する。

「あの男……他国にまで洩らすとなると、処分するしかありませんね」

「ふぇ?」

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