第98話 祭祀

 大広間に一人立つエミール。

 にじみ出る様に音もなく、一人の男が姿を現す。

「誘いに乗ってやったのだ。いつまでも待たせるな」

 エミールの前に、バスタードソードを抜いた男が立つ。

祭祀さいしジョゼフ。これは思ったよりも大物ですね」

 珍しく緊張した声で、エミールが呟く。

「その男の事は調べてある。ここで始末する」

 ジョゼフも腰の剣を抜く。


「じっとしていて下さい。調べたと言ったでしょう」

 気配を殺していたリトの背後に、もう一人が忍び寄っていた。

 リトの首筋に剣を突きつける。

「アレはジュリオ。祭祀を継ぐ者だ」

 ジョゼフが余裕を見せ、連れを紹介する。

 エミールもリトも、余裕を見せて殺さずにいるようだ。

「調べがついているとは驚きました。情報は大事ですからね」

 男の声にはあざけるような響きがあった。

「相手を調べあげ、確実に始末するのが我々の仕事だ」

 まだ余裕を見せるジョゼフ。

 男はそんな相手を見ると、怒らせたくて堪らなくなってしまう。

「では、私の名前と出身もバレてしまったのですね」

 ジョゼフの眉がピクリと動く。

「名もない剣士。それで充分だ」

 本人も知らない名前が、この世界の人間に分かるはずもない。

「ふっ。何も分からなかったと……祭祀とやらもその程度ですか」

「ふん。そんな事で隙など出来ぬぞ」


 剣を構えた二人が、息を合わせたように、同時に駆け出す。

 振り下ろすフォゼフの剣と、胴を抜く男の剣が交差する。

 擦れ違い駆け抜けた二人が振り返る。

「思ったより速いが、それだけだな」

 ジョゼフがニヤリと笑い、男に斬りかかる。

 男は左足さそく退き、体をずらしてかわす。

 振り下ろされた剣が跳ね上がり、男は上体を傾けて躱す。

 反撃の一振りが空を斬る。

「同等以上の腕なら、正統の剣には敵わぬが道理よ」

 ジョゼフは正統を継ぐ、鍛え上げられた剣士だった。

 さらにその剣も、最高峰の魔法と鍛冶で作られ、祝福された専用の剣だった。

 その辺で売られる大量生産とは、当然のことながら出来が違い過ぎる。

 打ち合えば数合で剣を折られるだろう。

 男は打ち合う事も出来ず、最高峰の剣と剣士を相手に、必死に耐える。

 男の剣は届かないが、ジョゼフの剣が降られる度、男の体に傷が増えていく。


「そら、もうすぐだ。しっかり奴が殺される処を見ていろ」

 リトに剣を突きつけるジュリオがわらう。

 頼みの男を殺してから、エミールとリトを殺すつもりのようだ。

 だが、リトは落ち着いていた。

「情報は大事。だから負けるの……残念だね」

「くく……残念だなぁ。お前達のことはしっかり調べてあるんだよ」

「剣士と荷物持ちの獣人……くらいじゃない? どっちもハズレ」

 残念なのはどちらなのか。

 ジュリオは観念した言葉だと捉えたが。

 何かを待っている。

 リトも男も、そんな目をしていた。


「王国の剣士はしぶといな。もう勝ち目がないのは理解していように」

 ジョゼフは一方的に攻めたて続けるが、致命傷を与えられずれてきた。

 裂帛れっぱくの気合を乗せ、必殺の突きが男を襲う。

 鋭さ、速さは変わらないが、ジョゼフの攻撃が雑になってくる。

 男以外は――ジョゼフ本人さえ気づかない程――僅かではあるが。

 躱した突きが引くのに合わせ、男の剣が突き出される。

 男はその剣を手放した。

「っ! 無駄だっ」

 ジョゼフは驚きはしたが、余裕をもって剣を切り払う。

 余裕を見せ、飛んで来た剣を斬り上げて払ってしまった。

 余裕があったのだから身を躱すか、いっそ距離をとれば違ったかもしれない。

 実力が上だというおごりがそうさせたのか。

 男を剣士だと思い込み、剣で戦うものだと信じ切っていた。

 それらが、ジョゼフの判断を曇らせる。

 瞬きを一つする一瞬もない、刹那の判断が生死を分ける。

 ジョゼフの視界から男が消えた。

 ジョゼフの視線が下へ、しゃがみ込んだ男へ向く。


 男の体が深く沈み込む。

 その右手は床を抉り取るかのように低く、硬く握り込まれる。

 インパクトの瞬間、握り込むこぶしとは違う。

 硬く……ただ硬く握り込まれた拳。

 男は経験で知っていた。

 気合を込め、強く硬く握り込んだ拳は、いつでも道を切り開いてきた。

 深く、深く踏み込む。

 男の左足がジョゼフの向こうへ伸びる。

 強く右足が体を突き上げる。

 床を薙ぎ払うかのように、硬く握られた拳が動き出す。

 深く、強く踏み込んだ左足で、床石が砕け散る。

 前へ進む力を受け止めた左足を、うねる力が駆け上がる。

 右の拳が跳ねるように駆け上がる。

 右脚に突き上げられた腰が極まり、背中を力が駆け上がる。

 一瞬、刹那でも、男の姿を見失ったジョゼフの対応は遅れる。

 それでも男の肩へ剣が振り下ろされる。

 捻りが加わりながら、男の拳が突き上げられる。

 駆け上がって来た力が腕を伝い、拳に集約され弾ける。

 渾身の一撃は、アゴを砕くだけでは済まなかった。

 顎が砕け散り、だらしなく垂れ下がる。

 その一撃は顎だけでなく、意識も刈り取っていった。

 ジョゼフが膝から崩れ落ちる。

 だが、男はそれを許さない。

 顎を砕き突き上げた右手が、奥襟を掴んで引き寄せる。

 右足を踏み出し、左の拳が顔へ飛ぶ。

 左の上段正拳突きが、意識のないジョゼフの顔面に突き刺さる。

 一瞬顔が吹き飛んだかと思える程の一撃だったが、男は止まらない。

 左足が高く上がり、首筋に叩きつけられる。

 首がおかしな方向へ曲がり、力の抜けた体が床に叩きつけられる。

 頭があらぬ方向を向いていたが、その瞳だけが男に向けられていた。

 何も映らない瞳だけが、男を見つめ続けていた。

「男の流し目なんて、嬉しくもないな」


 相手を見つめます。

 顔や体を動かし、向きを変えても、瞳だけ動かさず見つめ続けます。

 向きを変えても視線だけ外さないことを、流し目といいます。

 横を向いてから、目を流す訳ではありません。

 動かすのは目ではなく、それ以外の顔と体となります。

 芝居の舞台上から観客の一人を見つめ続ける技です。

 芝居を続けるあいだ目を離さず、一人だけを狙い撃ちで虜にします。

 殺し屋の流し目は遠慮したいものですね。


「なっ……くひゅっ……」

 喉をパックリと切り裂かれたジュリオが倒れる。

 ジョゼフに気を取られた所為もあるだろうが。

 剣を突きつけていた、目の前にいた獣人の気配が消えた。

 見ていた筈の姿を見失う。

 気付く間もなく、ノドを切り裂かれ倒れていた。

 何が起きたのか理解できないジュリオに、リトが顔を近づける。

「残念だったね。マスターは剣士じゃないよ。さようなら」

 リトは顔を踏みつけ、ゆっくりと蟀谷こめかみにナイフを沈める。

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