第84話 帰途

 生贄に3人必要だった。

 山に入ってきた人間を捕まえて、祭壇へ捧げた。

 強いが温厚な、雪山の獣人を狂暴化させ、街を襲う筈だった。

 失敗なのか生贄が足りなかったのか。

 呪法は獣人を暴れさせただけだった。

 命令もきかず、制御もできない。

 そのまま山を越えてこんな所まで来た。

 獣人を追ってきたが、こんな集落でも襲ってくれないものか。

 しかし、たまたま来ていた爺が人々を逃がしてしまった。

 連れていた護衛は殺せたが、まだ足りない。

 もっと殺させなければ。

 あの方の為に。

 人の世に恐怖と混乱を。


「苦労して呪法をかけた獣人を倒しただと? 街で暴れさせる予定だったのに!」

 エフゲニアは半狂乱だ。

 男は雪男との戦闘で疲れていて、面倒くさくなってきた。

 吠えるエフゲニアを殴り倒すと、倉庫にあったロープで縛る。

 折れた歯が頬を突き破り、アゴの骨も折れているようで、血が止まらない。

 少し力が入り過ぎたかもしれないが、男は気にしない。

 別に正義の味方でもないので、説き伏せたりもしない。

 体の後ろで手足を縛り、エビ反りにして引き摺って帰る気だ。

「そのまま連れて帰る気ですか?」

 ロマンが声を掛ける。

「道によってはソリに使えるかもしれませんね」

 暢気のんきに男が答える。

「いやいや。雪山ですよ? 途中で死んでしまいますよ」

「まぁ構わないでしょう。生かしておきたい理由もありませんから」

 男の心の底からどうでもよさそうな顔に、ロマンもそれ以上は口にせず諦めた。

「マスター。コイツも持ってた」

 猟師の体をまさぐっていたリトが、ペンダントを取り出す。

「またソレか……」

 暗殺した侯爵が持っていた、それ以前にもどこかで見た邪教徒のペンダント。

 今更気付いたが、デフォルメされ、記号化された山羊の頭に見えなくもない。

「邪教徒ですか……奴らは世に混乱を撒き散らすのが目的だとか」

 あちこちに情報源のありそうな、オリビエがぼそりと口にする。

「要は嫌がらせ教団ですか。ちっちゃい神ですねぇ」

 邪教徒の嫌がらせは、これで何度目か。

 本拠を見つけた時はみなごろしにしようと、男は密かに心に決めた。


 下山中は血の匂いに惹かれ、腹を空かせた狼や兎が寄って来た。

 引き摺られるエフゲニアが、エサに見えているようだ。

 程よく弱っていて、血を流している。

 しかしリトが睨むと、襲っては来なかった。

 リトのエサでもないのだが。

 未練がましく兎がついて回っていたが、街が見えてくると消えていた。

「アントンの奴。金はあったけど、案外役に立たない男だったなぁ」

 街の入り口でイリーナが思い出したようにぼやく。

「ねぇ。貴方強いしぃ、頼りになりそ……」

「結構。間に合ってます。化粧を落として、麻袋でも被って出直しなさい」

 男に擦り寄って来たイリーナの言葉に被せて、はっきりと誘いを断る。

「なっ、な、なん……っ!」

 イリーナは男の失礼な言葉に、怒りの余り言葉にならないようだ。

 舌打ちだけを残して去って行った。

「ヴィクトルは残念だったけれど……お世話になりました」

 音楽家のモデストが男に礼を伝える。

 友人は助からなかったが、一人だけでも生きて戻れたと。


 その後彼は、画家であった友人ヴィクトルの遺作を集め遺作展を開いた。

 その絵を少しでも長く世に残したいと願った彼は、曲として残す事を思いつく。

 一枚一枚の絵を曲にして、それらを繋ぐ4本のプロムナード

 モデストの作曲したピアノ組曲は、彼の死後、人気が出て大陸中に広まった。

 彼の願い通り、その組曲は世界中で百年後も演奏され、愛され続けた。


 エフゲニアを街の衛兵に引き渡し、オリビエとロマンを連れ港に向かう。

「そういえば、船は沈んでしまいましたね」

「そうでした。ベルントさんの船で来たのですが、海竜に襲われたのです」

 男もロマンも、帰りの船がいないのを、すっかり忘れていた。

「よく生き残ったな。まぁ、仕方ない。知り合いの船に頼んでみようか」

 あきれ顔のオリビエが、港で交渉できる船を探し始める。

「陸路では帰れないのですか?」

 男の疑問にロマンが答える。

「あの川が渡れないので、旧共和国から帝国を通ってぐるっと回る事になります」

 川を越えるので、当然源流の流れる険しい山を登る事にもなる。

 山の東側にも道はあるそうだが、帝国に塞がれて通行できないらしい。

「それもしんどそうですねぇ。仕方ありませんか」

「だいじょぶ。リト泳ぐの得意」

 沈む前提でリトが大丈夫だと言い出す。

「うん。泳ぎたくないんだよ」

「エヘへ」

 男が頭をクシャクシャとすると、褒められてもいないのにリトが喜ぶ。


 保護対象であり、商会の前代表に働かせて、3人はのんびりしていた。

「待たせたな。船が見つかった」

 死ぬまで出会う事がない船乗りの方が圧倒的に多い。

 そんな確率のクラーケンや海竜に、そうそう出会う事もなく。

 帰りの船旅は穏やかだった。

「次は暖かい所がいいなぁ。リト、森の方にでも行くか?」

「うぃ~。あったかい森も好きぃ」

 雪兎だとか言っていた筈だが……。


 廃墟の港町には商会の馬車が待っていた。

「大旦那様! よく御無事で」

 アルブレヒトが泣きながら、跳び付かんばかりに駆け寄る。

「待たせたなアルブレヒト。鼻水を拭きなさい」

 部下に異常なまでに慕われているオリビエだった。

 商会はこんなのばかり集まっているのだろうか。

 少し気持ち悪い。

 馬車の護衛に雇った冒険者達は、商会のキャラベルに乗り込み南へ向かった。

「大旦那様が戻るまでの護衛に雇った人達です」

 南の皇国まで送るのも契約の内らしい。

 いつ帰るか分からないものを待つとは。

 今回のオリビエ一人に幾ら使ったのだろうか。

 それだけ商会にとって必要な人物なのだろう。

 後は馬車でのんびり帰るだけだ。

 馬車で寝ていれば、依頼完了だ。


 以前、ゲリラからの軍部要人救出任務があった。

 何故か使い捨ての傭兵だけで、ジャングルへ向かわされた。

 ゲリラに捕まっていた要人を救出して、脱出するまでは上手くいった。

 しかし軍部は、その要人を内戦の混乱に紛れ暗殺したかった。

 失敗する筈の救出作戦を、成功させてしまった傭兵団。

 追撃のゲリラと暗殺したい正規軍に狙われる事になった。


 面倒くさい記憶が蘇る。

 オリビエを狙う者もいないだろうが、のんびりもしていられない。

 帰りだからと気を抜くと死が待っている。

 男は経験から、先に待ち構える死の匂いを嗅いでいた。

 まだ楽には帰れなさそうだ。

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