第82話 雪男

 人気ひとけのない集落を歩いて回るが、誰も残っていないようだった。

「何処にいったんでしょうねぇ。集落が襲われたのでしょうか」

 オリビエどころか誰も見つからず、ロマンは焦り始める。

「ロマン。助けに来てくれたか、待っていたぞ」

 初老の男性が姿を見せ、ロマンに声を掛ける。

「だ、旦那様! 御無事でっ」

 ロマンが泣きそうな顔で男性に駆け寄る。

 彼がオリビエだろうか、清潔感のある初老の紳士だった。

「良かったぁ。こちらがオリビエ様です。帰りもよろしくお願いします」

 男にオリビエを紹介したロマンは、早速山を降りようとするが止められる。

「取り敢えず隠れていた倉庫へ来てくれ。そこで話そう」


 オリビエに連れられ、大きなコンクリート造りの倉庫に入った。

 中には5人の男女が居た。

 厚い扉を閉めると、オリビエが状況を話し出す。

「集落が襲われてな。何とか住人は逃がしたが、護衛もやられて救助を待っていた」

 この辺りで人を襲うのは、真っ白な狼と兎の魔物くらいしかいなかった。

 しかし雪狼は山中の生き物を群れで襲うが、集落には近付かなかった。

 手のひらサイズの狂暴な肉食の雪兎も、人が大勢いる場所には近付かない。

「雪男が出たんだ。奴が集落に入って来て、暴れ出したんだ」

 それを聴いたロマンが焦って口を挟む。

「そんな、奴はもっと東の山に居た筈じゃ……そんな……」

「この辺りまで来た事はないな。それに、人を襲う事も聞いてないな」

 余り人に近づかなかった魔物が、急に暴れ出したようだ。

「たまたま集落や近くに来ていた人達もいてね。彼等も一緒に取り残されたんだ」


 オリビエが倉庫に残った5人を紹介してくれる。

「彼はアントン。連れの女性はイリーナだ」

「宜しく戦士殿。商人だ」

 歳は30くらいか、痩身でキツネ顔の詐欺師のような見た目の男だ。

 連れている女性は、商人より少し若く見える。

 ぷっくりとした唇の、善く言えばバカっぽい女だ。

「恐らく鉱石を狙った、詐欺師か盗人ぬすっとだろう」

 オリビエが男に囁く。

「あの商会の主の救出なら、軍隊でも来るかと思っていたのにな」

 一緒に助けて貰おうと、期待していたアントンがわらう。

「戦士一人だけって、幼女なんて連れて。奴隷……よね? 見た事ない色だけど」

 見た事のない色の奴隷紋に、戸惑うイリーナ。

 リトが、透き通るような青い奴隷紋を、イリーナの目の前に突き出す。

「リトは奴隷。マスターのもの。マスターはお肉をくれる人」

「わ、分かった、分かったから。何で奴隷紋を見せつけてくるのよ」


「彼らはヴィクトルとモデスト」

 20代後半くらいの青年2人を紹介する。

「宜しく、僕はモデスト。売れない音楽家さ」

 線の細い貧乏貴族のような見た目の青年だ。

「ヴィクトルです。売れない画家です」

 ずんぐりした体格だが、人の良さそうな穏やかな青年だ。

 絵を描きに来て、遊びで付き添ってきた友人モデストと、巻き込まれたそうだ。

「護衛の人達は頑張ってくれましたが、逃げている途中ではぐれてしまいました」

「彼等も無事だといいけどな」

 青年達は、逸れて役に立たなかった護衛まで心配していた。


「彼はエフゲニア。東の山で猟師をしているそうだ」

 最後の5人目は40くらいの中年で、気難しそうな顔をしている。

 彼は鋭い目をチラと向けただけで、髭に囲まれた口は開かなかった。

 面倒くさそうな、おっさんだ。

 男の方が少し年上かもしれないが。


「まさか彼等も連れて行くなんて、言い出しはしませんよね」

「当然一緒に連れて行くさ。見捨てられないだろう」

 男の問いにオリビエが、当たり前のように面倒な事を言い出した。

「依頼主は貴方ではなく、ヴァネッサです。それは出来ませんね」

「なら彼等の分も金を払う。助けてくれ」

 男が断ると、報酬を出すと言い出した。

「今は契約した仕事中です。受けられませんね」

 契約したのはリトなのだが、男はそれも断る。

「おいおい。俺達を見捨てる気か? 戦えないんだぞ」

 アントンが意味の分からない事を言い出した。

「モンスターより、お前を殺す方が楽だろう。助ける価値もないしな」

 腰の剣に手を掛けて、アントンを黙らせる。

「どうしても無理なのか? 一人で逃げる訳にはいかないんだが」

 オリビエがなんとか皆を助けようと交渉するが。

「ここで皆殺しにして、貴方を縛って持って帰ってもいいんですよ」

「う……」

 オリビエも諦めた処で、リトが余計な事を洩らす。

「護りはしないけど、勝手についてくるのは止めない。そういう事」

 何も言わない男に、皆の顔が明るくなる。

「明るい内に山を降りましょう」

 ロマンの言葉に皆が下山の支度をする。


「もう何処かに行ってしまったかも知れませんね」

 ロマンが楽観的なセリフを口にするが、男が静かに否定する。

「いや、集落に近付いた時から気配と視線はあります」

 倉庫から出た一行が、ポツポツと家のある道を歩き出す。

 集落の中でも、雪は膝上まで積もっていた。

 深い所では腰まで来て、歩き辛い。

 一つかどを曲がった処で、大男が立っていた。

 2m……17cmはあるか、アフロのように丸まってモコモコした毛に覆われている。

 腕も脚も真っ白な毛に包まれているが、その先の拳と足は毛が無かった。

 真っ黒だが、人のような手足をしている。

 頭には丸く巻いたつのが2本生えていた。

 鋭い牙が並ぶ、突き出した口のある顔は羊のものだった。

 羊に牙は無いが。

「アイツだ。あの雪男に護衛もやられたんだ」

 オリビエが男に標的だと伝える。

「羊なのに高い山にいるので、『羊の皮を被った山羊』と言われています」

 ロマンが要らない無駄知識を添える。

 討伐依頼ではなかったのだが、どうにかしないと逃げられない。

「どうにかします。戻って隠れて下さい」


 肉食動物は、背を向ける相手はエサだと認識するらしい。

 目を離さずに、後退りしてのがれなければ襲われやすい。

「ひぃっ!」

 アントンは引き攣った悲鳴をあげ、誰よりも早く振り返り駆け出した。

 仕方なく皆も走り出す。

 雪男も背を向け走り出す獲物に反応する。

 目の前の家に飛び込んだアントンが、扉を閉めて鍵を掛ける。

「おい! 何してるんだ、早く開けろ!」

 その扉をヴィクトルが叩きながら叫ぶ。

「構うな。倉庫まで走れ!」

 出て来た倉庫へ、オリビエが走りながら叫ぶ。

「あのクソっ……また自分だけ」

 舌打ちをしたイリーナが、オリビエに続く。

「ヴィクトル! 早く来い!」

 モデストが走りながら友に叫ぶ。

 友の叫びに顔を向けたヴィクトルに、雪男が飛び掛かった。

 黒い拳がヴィクトルの顔面を捉える。

 太い丸太で出来た、家の壁に頭が叩きつけられる。

 雪男は怪力で、そのまま壁の丸太をぶち抜いた。

 上半身が家の中へ突っ込んだヴィクトルは、ピクピクと痙攣している。

 その顔はザクロのように割れていた。

「ヴィクトルぅ!」

 友へ向けたモデストと、倉庫の扉前に立つオリビエが同時に叫ぶ。

「エフゲニア!」

 雪山の集落で、二人の叫び声が重なった。

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