第79話 Bon Voyage
密林の奥に隠れるゲリラを追って、泥水の流れる川を進む。
派手な音を立て、壊れかけの古い船で。
乗っているのは使い捨ての傭兵達。
ゲリラを誘き出すエサ、囮だった。
「まぁ、俺達の仕事は使い捨てだしな」
「Bon Voyage」
「良い旅を……か」
「ここまででも、結構な旅だったけどな」
「ジャーニーの果てのボヤージュだな」
「このボロ船じゃ、流石に今回は無理かなぁ」
「はっはっは。エンジンの付いた棺桶だな」
作戦は成功し、船は300人のゲリラに囲まれる。
アサルトライフルが、船ごと傭兵達を打ち抜いていく。
ゆったり揺れるガレオン船の客室で目を覚ます。
男の隣にはリトが眠っていた。
「ふぅ、懐かしい夢を見た。あの時も一人だけ生き残ったな」
男が体を起こすと、扉をノックする音がする。
「お目覚めですか? もうすぐ朝食ができますよ」
ロマンのようだ。
「分かりました。今いきますよ」
返事を返した男は、リトを揺すってベッドから出る。
「ん~……おにくぅ」
目をこすりながらリトが起きる。
「Bon Voyage……か。毎度沈んだっけな」
食堂へ行って長いテーブルにつく。
大皿に果物が山盛りになっている。
その隣には魚の背びれと頭を落とし、ワタを取って油で揚げたものが積んである。
小皿にとって齧ってみると、柔らかくて小骨も少なく食べやすい。
メバルに似た感じの魚で、ふんわりした白身で旨かった。
衣のない素揚げなので、リトもバリバリと食べている。
魚も肉の
平気そうなので、油も動物性の物なのだろう。
気持ち、臭みがある気もする。
擂り潰した魚を丸めたものが入ったスープもあった。
「んく……はぁ~……やさしい味だぁ」
つみれ汁に近いが、余計なものが入っていなく、シンプルなほんのり塩味だった。
なんか落ち着く。
魚のアラや海藻も入れ、煮込んでから上澄みをすくったようなスープだった。
見た目は雑な漁師飯だが味は深く、手の込んだもののようだ。
食後に甲板に出てまったり陸地を眺めていると、帝国領の筈だが大地が途切れた。
「もう、大陸の端か。皇国に入っていたのですか?」
「あぁ、アレは川ですよ。あの川を越えると皇国です」
ロマンが国境の川だと教えてくれる。
向こう岸が霞んで見えない。
感動して見ていると、ロマンの追加情報がきた。
「あそこには船を飲み込む程、大きなナマズがいるそうです」
水中で魚を相手にしても、勝負にならない。
襲われない事を祈るくらいしかないか。
「危険なのが他にもウヨウヨしてますが、海には出て来ないので大丈夫です」
海にはさらに危ないのがいる、という事なのではなかろうか。
そんな危ない河口を通過していると、船が大きく揺れた。
「うおぉっ! な、なんだぁ」
ロマンが叫んで周りを見回す。
「マスター沈む? 船沈むかなぁ?」
リトはいつの間にか荷物を背負って、逃げる準備を整えていた。
船体に何かが巻き付いた。
人と変わらない大きさの吸盤が甲板に貼り付く。
イカのような触手が3本、船に巻き付いている。
「クラーケンだぁ! 引き込まれるぞぉ!」
船員が叫んでいる。
「チッ……出ないんじゃなかったのかよ」
舌打ちをした男が、リトの背負う刀を握る。
抜刀された野太刀を振りかぶり、触手を断ち切って甲板を駆ける。
船首の触手を両断した男は、メインマストに巻き付く触手も断ち切った。
「クソッ、こんなの斬ったら手入れが大変だな」
ヌルヌルした粘液に包まれた、軟体動物の脚を嫌々切り裂く。
「これで、帰れぇ!」
船尾に巻きつく触手を、最後にしてくれと願い切り落とした。
次の触手は上がって来ないようだ。
静かになり、気配も感じられない。
海のナニカは、諦めて去って行ったようだ。
「うぉおおおおお!」
「すげぇ! 生き残ったぞぉ!」
「クラーケンまで撃退するとは、凄まじいですなぁ」
船員達がはしゃぐ中、船長も呆れ顔で男を称賛する。
あれがクラーケンだとは、確定していないが……
船員達がマストに絡んだ、触手を片付けながら騒いでいる。
そんな騒ぎをよそに、船室に戻った男は、刀の手入れを始める。
「いやぁイカだかタコだか、凄かったですねぇ」
部屋まで付いて来たロマンが、まだ興奮しているようだ。
「タコとイカの違いをご存じですか?」
ロマンを落ち着かせようとしたのか、男が話しかける。
「足の本数が違いますね。タコは8本でイカは10本です」
「骨が有るか無いかです。足の本数は一緒ですよ」
「へ? ……いや、確かに骨は違いますけど、足は一緒なんですか?」
「どちらも足は7本です」
男が真面目に否定するので、ロマンは訳が分からなく混乱している。
「イカには2本長いのが生えていますが、アレは触腕といいます」
「へぇ、足じゃないんですね。でも8本じゃないですか」
「イカもタコも、残り8本のうち1本は生殖器です」
「ええっ! そうなんですかぁ! 気持ち悪い生き物ですねぇ」
イカの生殖は、遺伝子情報の詰まった塊を投げつけておこなう。
その為の交接腕が一本あり、長い触腕が二本ある。
交接腕と生殖器とは少し違うが、触手は7本ではある。
刀のとりあえずの手入れが終わり、落ち着いた甲板に出てみる。
何か気になる。
男は落ち着かない、ザワザワした何かを感じる。
昔、砂漠でキャンプ中に夜襲を受けた事を突然思い出す。
あの時のような、何か来る予感のような危険を感じる。
「リト。泳ぐのに邪魔なら、荷物は捨てても構わないぞ」
「平気。これくらいなら、泳げる」
相変わらず、リトは男の言葉に対して『何で?』がない。
今、泳ぐ話をするのならば、船は沈むのだろう。
リトはすぐに、そう理解して備える。
「案内人かぁ……どうするかな。いないとオリビエの顔も分からんか」
ロマンがいないと、助けるべき相手の顔もわからない。
「どうかしましたか?」
ロマンが様子のおかしい2人に声を掛ける。
「貴方は海で泳げますか? ここから陸までいけそうですか?」
「え、あ、はい。これくらいなら、泳げると思いますよ」
そう答えた時、船の前方で海が盛り上がる。
海中から巨大な何かが飛び出した。
その
「海竜だぁ!」
頭だけでも10メートルは超えてそうだ。
海から突き出た首だけで、この大きなガレオン以上ある。
体が海中にあるのか、蛇の様な体なのか。
見えはしないが、これはどうしようもない相手なのは、理解できた。
船員達が騒ぐ中、男はロマンを掴んで海に飛び込む。
ほぼ同時に海竜が吠え、津波が船を襲う。
抗う間もなく、津波が船を呑み込み、海底に沈める。
何がしたかったのか満足したように、海竜もどこかに去って行った。
船の残骸が穏やかになった海面を漂っていた。
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