第76話 冒険へ

 男が奴隷と家でくつろぐ夜、訪問者があった。

「マスター。エミール様の使者を名乗る方がいらっしゃいました」

 仰向けで、蒼い奴隷紋を見せるエルザを撫でていると、羊のレイネが声を掛ける。

 仕方なく男が玄関へ行くと、二人の見知らぬ男が立っていた。

 若い男と、髭を生やした中年だ。

 兵士には見えないが、腰には剣があった。

 軽装の鎧に、フードのついた外套を着ている。

「何か御用で?」

「すぐに支度しろ。エミール様が御呼びだ」

 中年が不愛想に答える。

「これからですかぁ、どちらへ?」

 面倒くさそうに男が訊ねると、中年が機嫌悪そうに急かす。

「どこでも良い。ついて来れば分かる。早くしろっ!」

 男の腰にあった脇差が閃光となる。

「ぐぁっ! うっ……うぅ……っ」

 反応も出来なかった中年の腕が切り落とされる。

 その痛みに耐えられず、血を噴き出しながら気を失い倒れた。

「ひっ……なっ……」

 楽な仕事だと思ってのんびりしていた若い男は、腰が抜けて立てなくなっていた。

「口の利き方に気を付けろよ。答える気がないのなら死ね」

 二人共、突然斬りつけて来るとは思っていなかったようだ。

 エミールがマルコ意外を遣いに寄越した事はない。

 どうなるか分かっているからだ。

 当然こうなるだろうと、エミールならば分かっている事であった。

「や、やめて……タスケテ……殺さないで」

 涙に鼻水に涎も溢れ出し、若い男は命乞いを始める。

「なら来なければいいだろうに。死にたくなければ全て話すんだな」

 若い男は立ち上がる事も出来ないまま、声も出せないのか激しく頷く。


「マスター顔になんか出来てるよ?」

 翌朝目覚めると、リトが男の顔を覗き込んでいた。

「ん? あぁ、ちょっとほじって出しておくれ」

 顔を触ると、何かプツプツと硬い物がいくつか出来ていた。

 フランベルジュを、うっかり打ち払った時の破片だった。

 細かい破片が顔に刺さり、寝ている間に浮いてきたものだった。

「うぃ~。まかせてぇ」

 リトがナイフでチクチクと破片を取っていく。

 そこへ羊のレイネが来客を告げに来る。

「ひっ……あぁ、おなかがすいたのかと思いました」

 ドアが開いていたので、男に跨り顔にナイフを刺しているリトを見てしまう。

 一瞬固まったレイネだが、すぐに自分を取り戻す。

「誰か来たようだね」

「そうでした。エミール様がお見えです」


「いやいや。ご迷惑をおかけしました」

 翌朝、エミールが家にやって来た。

 昨夜の内にエミールに報せ、二人を引き渡していた。

「粛清を逃れた貴族がいたようです。それに、商人も絡んでました」

「何故うちに?」

「私への嫌がらせで、貴方を狙ったようです。もう少しで落ち着きますから」

 残りの貴族を炙り出す為、わざと男を狙わせた気もするが黙っていた。

「彼らも同じ宗教にはまっているのでしょうか」

 男はクロードの事を思い出して訊ねる。

「そのようですねぇ。王国は宗教には感心のない国で、宗教絡みだと中々……」

 調べは進んでいないようだ。

 あの夜、クロードの寝室で見つけたペンダント。

 何処かで見た気がして持ち帰ったが、邪教徒の持つ物だったらしい。

 そんな物、何処で見たのか思い出せないが。

「面倒な事になってますねぇ。暫く王都を離れますから、その間に片付けて下さい」

「分かりました。ギルドにでも顔を出してはいかがです?」

「依頼でも?」

「バカンスついでの依頼もあるかもしれませんよ?」


 何か嵌められたような、騙されたような気もするが。

 男は早速リトを連れてギルドを覗いてみた。

「何か面白そうな依頼を受けておいで」

「うぃ~」

 リトに依頼を探しに行かせた。

 壁際の椅子に座ってぼんやり周りを眺めてみる。

 冒険者やハンターには、少ないが女性も混じっているようだ。

 男も女も基本、肌が見えないし、髪や顔も殆ど隠している。

 肌が傷だらけになるメリットもないし、男女を明確にする意味もない。

 さらに獣人や一部の亜人まで混ざっているようだ。

 獣人や亜人は、王都に入れない筈だが、ギルドには抜け道もあるのだろう。

 どんな人間なのか、そもそも人間なのか。

 そんな想像をして眺めているのも楽しくなってきた。

「マスター。これオススメされた」

 そこへリトが不穏な言葉と共に戻って来た。

「オススメ? まさかエミール様の手が回っていたりは……考えすぎですかね」

 目的地は南の大河の先、南西の皇国の雪山だった。

 目的は救出依頼となっている。

 報酬は中金貨1枚と小金貨3枚とある。

 どんな大富豪か、頭のおかしい報酬額だった。

 怪し過ぎて誰も受けないようだ。

 約2,700万円とは、そんなに危険な国なのだろうか。

「いった事あるか?」

 男はリトに訊ねてみた。

「ない。雪国って聞いてる。雪凄いって」

 リトは雪が見たいのか、ちょっとはしゃいでいる。

「寒いの平気なのか?」

「全然平気。雪うさぎの獣人だから」

 初耳だが、雪うさぎとはなんだろう。

 雪を固めたうさぎの事ではなさそうだが、そんな兎がいるのだろうか。

 寒さに強い兎なのだろうが、リトは小さな耳しか獣要素がないので心配だ。

 一応小さなしっぽもついてはいる。

 獣人というよりもバニーガールだった。

「まぁいいか。受けておいで」

「うぃ~」


 まさに、お屋敷。

 依頼を受けると、豪邸マンションに案内された。

 客室へ通され、さほど待つ事もなく主人が現れた。

「ようこそおいで下さいました。わざわざすみません」

 歳は30くらいだろうか。

 落ち着いた雰囲気だが、かしこそうな女性だった。

「パラディ商会のヴァネッサです。リト様に受けて戴けて安心しました」

 男はその言葉に嫌な予感がする。

「獣人の幼女なのに、安心ですか?」

「マスター、リトはレディだよ?」

「お二人の事はエミール様からお聞きしておりますので」

 やられた。

 今朝、何かニヤニヤしていたのはコレだったのか。

「マスター? リトはレディだよ?」

 リトが同じセリフを繰り返し、首を傾げて男を見上げる。

 男はエミール経由の依頼だと、今頃気付いた。

「皇国に商用で向かった父から救助依頼が来ました」

「誰か逃げて来たのですか?」

「救助要請が来るだけの魔法のアイテムです。状況はさっぱりわかりません」

 山間やまあいの集落へ向かった筈なので、そこへ行って彼女の父を助けて欲しいという。

「まぁ、いいでしょう。少し油断していたようです。行きましょう」

 エミールにしてやられたが、気持ちを切り替え依頼を受ける。


 夫に先立たれた未亡人ヴァネッサには、一人娘リリーがいるだけだという。

 半ば引退しているが、たまに国外へ取引に行く父、オリビエの救出依頼を受けた。

 滅びた西の帝国にあった、港町まで馬車で運んでくれるという。

 そこに商会の船が待っていて、皇国へ乗せてくれるそうだ。

 港から雪山はすぐ目の前らしいので、片道は寝てるだけで済みそうだった。

 旧帝国の港までは、3日程で着くという。

 港から帆船で皇国へ向かう。

 風次第だが、2~3日で到着する予定らしい。

 そこから歩いて半日もせず、雪山に着くようだ。

 王都から雪山まで、片道七日程の旅になりそうだ。


かすようで申し訳ありませんが早速、明朝出発でもよろしいでしょうか」

 状況も分からない事だし、少しでも早い方がいいだろう。

「一度帰って装備を整えれば、今日すぐにでも出られますよ」

 その言葉にヴァネッサの顔が明るくほころぶ。

「本当ですか、ありがとうございます。では彼を連れて下さい」

 彼女の後ろに立っていた男の一人が、静かに前に出て軽く頭を下げる。

「ロマンと申します。皇国の産まれなので、案内は任せて下さい」

 歳は40くらいか、小柄な中年でがっしりしている。

 モジャモジャの赤い髭と、ツルツルの頭が印象的だ。

 童話や伝承のドワーフを連想する、ずんぐりした男だった。

 男はロマンとリトを連れて、家に戻って装備を整える。

 この世界では初めての海と雪山だ。

 男にも少年の心が残っていたようで、少しワクワクしてきた。

 この世界に安全な航路などある訳もないのだが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る