第75話 貴族暗殺
「侯爵は今夜、郊外の別邸に泊まります。警備も少なくチャンスですが、彼の息子のオーギュストが護衛につくはずです。彼は王国一と言われる剣士です」
エミールが声を潜めて、クロード侯爵の情報を男に伝える。
「そんな強い人がいたら、暗殺なんて出来ませんね」
「彼も仕留めて下さい。マルコも侵入の手伝いをしますし、屋敷には下働きの女を潜入させてあります。彼女が標的の部屋へ案内します」
かなり以前から、暗殺はするつもりだったようだ。
すでに屋敷の中へ、手の者を潜り込ませていた。
「分かりました。今回だけですよ? 仕事の後、始末しようとしないで下さいね」
「貴方をどうにか出来る人間は王国にいませんよ。クロード卿は私利私欲の……」
クロード侯爵がいかに悪い人間なのか、説明しようとするエミールを男が止める。
「別に自分が善人だと思っていませんし、正義の味方だと思ってもいませんよ。金の為に殺すだけです。標的の
悪人だから殺しても構わない。
男はそんな考えは持っていなかった。
善悪は頭になく、ただ金の為に他人を殺す。
正義を振りかざす事もなく、自身の意志もなく人を殺す。
ただのろくでなし、ひとでなしだ。
夜を待ち、マルコと合流してクロードの別邸に近づく。
鍵を持っているという裏口へ回ると、番人が二人立っていた。
「間違いなく親子で中にいます。中で騒ぎがおきるまで待機ですね」
「何か仕込んだのですか」
「中の仲間が騒ぎを起こして、門番もどうにかする予定です」
それ程待つ事もなく、屋敷から黒い煙が上がる。
塀の向こうが騒がしくなった。
裏の扉が開き、門番が誰かと話しているようだ。
門番二人が中に消えていくと、すぐに女が顔を出した。
「彼女です。行きましょう」
「お待たせしました。中の案内は任せて下さい」
「火を点けたのですか。寝込みを襲う訳にもいかなくなりましたね」
マルコは裏門へ残り、男は中へ侵入する。
「煙だけです。火はありませんから、巻き込まれる心配はありませんよ」
屋敷の勝手口から侵入して、キッチンを抜け使用人用の階段で二階へ上がる。
屋敷内には誰も残って居ないようで、すんなりと進めた。
三階への階段まで誰にも会わず進める。
「この上が寝室になっています。終わったら、また裏口まで案内します」
「やはり来たか。侯爵の屋敷に忍び込むとはな」
体格の良い大きな男が、階段の影から出て来た。
「オーギュストです。彼にはバレていたようですね」
「オーギュスト=フィリップ・ロダンである。相手になろう」
思っていたより若く見える、ロダンがゆっくりと剣を抜く。
迷宮からの流出品か、両手用フランベルジュだった。
燃え上がる炎の揺らめきを表した、波打つ様な刀身がフランベルジュと呼ばれる剣で、長い物が多かったようですが、短いレイピアもあったようです。
中世も過ぎた近代、17~18世紀頃に作られたとされています。
曲線の多いその刃は、凄まじい程の切れ味と脆さを持っていました。
さらに傷口は汚く、治り難いという嫌な武器だったそうです。
剣と重い鎧の中世も終わり、時代の主力は銃の時代の剣です。
美術的価値は高くとも、ほぼ使われる事のない武器だったようです。
見た目だけハデな両手剣で、銃相手に戦える訳もありませんが、銃が当たり前になってきた事で、重い鎧も意味がなく減ってきたので、効果があったかもしれません。
産まれるのが千年遅かった剣です。
一説には7世紀頃の物を復元した、美術品だとも言われています。
「折角忍び込んだのに正面からやり合うとは。暗殺して帰りたかったのですが」
仕方なく男も脇差を抜く。
女は参加する気がないようで、邪魔にならない処へ退いた。
「失敗したな。日本家屋じゃなかったんだ」
室内戦に備え、男はうっかり脇差一本で侵入していた。
しかし上級貴族の屋敷は広く、天井もかなり高かった。
両手剣が振り回せる程に。
「暗殺者よ。この王国一の剣が凌げるかな」
大きく振りかぶったロダンが、大きく踏み込み大剣を振り下ろす。
思っていた以上の速度に、男は慌てて刀で振り払う。
フランベルジュを両断した刀が跳ね上がり、ロダンの首筋を刎ね切った。
飛んだ大剣の刃が床に落ちて刺さり、ロダンの首からぱっと血が舞い散る。
ロダンは信じられないといった表情で、折れた剣を見つめたまま倒れる。
「うぉぉ、焦ったぁ。危ないとこだったな今の」
男に冷や汗をかかせる程だったが、剣が折れただけで動きが止まってしまった。
ほんの刹那だったが、実戦経験の差だろうか。
なんとか男が生き残った。
「い、今……何したんですか? オーギュストを一撃とは、噂以上ですね」
潜入していた女は、余裕の勝利だと勘違いして感心していた。
うっかり脇差を使ってなければ、危なかったかもしれない。
特別脆い剣と世界一の日本刀の違いと、実戦の経験の差でなんとかなった。
「ここが侯爵の寝室です」
案内の女は階段を登った部屋の鍵を開け、男を中へ入れる。
「おや、起きていましたか。特に恨みはありませんが、死んで下さい」
諦めたクロード侯爵は、寝間着姿でベッドに腰掛けていた。
「ここまでか。フィリップを倒せる者がいたとはな」
ゆっくり話し込む気は、男にはなかった。
邪魔が入る前にさっさと仕留める。
抵抗する間もなく、息子と同じく首筋を刎ね切った。
「見届けましたね。では、帰りましょうか」
部屋の入口に立つ女が静かに頷く。
「確かに見届けました。お見事です」
「行きますよ、リト」
「え?」
いつも獣人の女の子を連れているので、その子の名を呼んでしまったのか。
そんな事を一瞬考えた女の足元で声がする。
「うぃ~」
「ひっ! ……っ、はっ、え? なっ……いつから」
気配すら感じなかったのに、いつの間にか足元にいる獣人の幼女に、案内に潜入していた女は、息が止まりそうになる。
「リトはいつでもマスターと一緒」
ととと。と、リトがマスターに駆け寄る。
「驚かせましたか? すみませんねぇ」
一言謝るとリトを連れた男は、部屋を出て階段を降りていく。
「どうしました? そろそろ誰か戻ってくるかもしれませんよ」
二人はさっさと裏口へ向かって歩いていってしまう。
「なんなの? この人達何者?」
翌日、クロード侯爵は病死として処理された。
王国の侯爵は一つ減り、3家となる事に決まった。
エミールの裏工作で、全てすんなりと進んでいった。
しかし、どこにでも体制に反発する者はいる。
粛清をすり抜けた下級貴族にも、快く思わない者はいた。
エミールの使う暗殺者の情報を手に入れた、貴族の手が男に無駄に伸びる。
注意書
侯爵親子は王国民なので、フランス人男性の名を使っただけです。
画家のフランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンとは一切関係ありません。
姫様はカミーユですが、クローデルでも恋人だったりもしません。
ロダンにもカラヴァッジオにも思う処はございません。
ファンの方が、気を悪くしたりなさいませんように。
関係ありませんが、ミケランジェロ・ブオナローティはミケランジェロと呼ばれるのに、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオは、何故カラヴァッジオと呼ばれるのでしょうね。
有名な画家の中では唯一、殺人を犯したのがカラヴァッジオです。
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