第69話 龍退治

 泉近くの木陰のハンモックで、体中に包帯を巻かれた男が目覚めた。

 その足にはリトがしがみついて眠っていた。

「んぁ……マスター。おぁよ……怪我、治った?」

「おはよう。リトが巻いたのか? 治ったみたいだな」

 一休みしたくらいで治りはしないが、出血は止まったようだ。

「綺麗に洗って、消毒して、包帯グルグル巻いた。えらい?」

 リトが足にしがみついたまま、なにかを強請ねだるように男を見上げる。

「エライエライ。よくできたな」

「うぇへへへ。ひひっ」

 男が頭を撫でてやると、だらしない顔で笑う。

 リトは消毒の意味を理解している訳ではなかった。

 しかし、男の言葉は彼女にとって世界の全て。

 世界のことわり、宇宙の真理だった。

 どんな事でも、疑いもせず、行動していた。

「お目覚めかな? 丈夫なんだな」

 若い男が立っていた。

 背の高い褐色の肌に黒い短髪、体は細いが妙にしっかりしている。

 20代にも見えるが、実際は老人どころではなさそうだ。

「気を失ったようですね。失礼しました賢者様」

 ナイジェルに挨拶すると、男はハンモックから降りる。

「怪我人だったのを、すっかり忘れていたよ。すまなかったねぇ。すまないついでに何日くらいで動けるかな? 余り余裕はなさそうなのだが」

「リトにちょっと肉を喰わせてやれば、すぐにでも出られますよ」

 想定外の応えに驚いた賢者は、声も出せず、呆れた目で男を見ていた。


「よぉ、エミール。待たせたな」

 夜通し歩き通したカリム様とマルコが王都に戻った。

「カリム様、よくぞお戻りに。彼は家に戻ってますか? 大変な事に……マルコ?」

 マルコの様子がおかしいのに、エミールが気付いた。

「西の銀龍ならば、すでに彼が向かっています」

 床に片膝をついた姿勢で、マルコが報告する。

 カリム様も疲れた、とソファに腰かけ、エミールに言葉を掛ける。

「北の賢者も一緒だ。もう一人……いや、もう一頭か? 凄いぞ。初めて見たわ」

 楽しそうに語るカリム様だったが、エミールはそれどころではない。

 全国民を非難させなければならないと考え、計画を立てていたところだった。

「だ、誰です。もう一人は……」

「金龍です。賢者とドラゴンと彼等が、銀龍退治に向かいました」

 マルコの答えに、エミールは希望と安堵で泣きそうになる。

 エミールは力が抜けて、崩れる様に床へしゃがみ込む。


「硬い鱗ですねぇ。鉄より硬いとは聞きますが、これは噂以上です」

 ドラゴンの掌に乗せてもらい、男とリトは西に向かっていた。

「硬いだけではないからな。魔力で覆われているでなぁ。魔力が切れるまでは、ほぼダメージもないだろう。魔法も物理もはじかれるだけだ」

 賢者が自慢気に語りだす。

「ドラゴン同士の肉弾戦しかない訳ですね。そりゃあ楽しみです」

「楽しそうだな。一部の古代魔法と龍言語魔法でしかダメージはないだろうな」

 ドラゴンの取っ組み合いなど、命を懸けても見られる物ではない。

 男はすっかり物見遊山の観光気分だった。

「そういえば龍言語魔法ってのはどんなのですか?」

 男が賢者に素朴な疑問を投げてみた。

「鉤爪で引っ掻いた傷跡の様な文字を使った魔法だな。上位の龍種が使う魔法で、主にブレス攻撃だな。吐き出す息に自分の属性を乗せるのが基本だ。他にもあるにはあるが、どれも魔力の消費が酷くてなぁ。龍以外で使えるのは、ワシだけだろうなぁ」

 ボッチの引き籠りだからか、すぐ自慢気に語り出す。

 結構愉快なおじいちゃんかも知れない。

「リト。ドラゴンと戦うんだってよ。怖くないか?」

 男が隣のリトに声を掛ける。

「別にぃ? マスター以外はどうでもいい。お肉も食べたし」

 出発前におにくを食べて、腹一杯なリトは御機嫌だった。

「そろそろ降りるぞ」

 金龍が声を掛ける。

 快適な空の旅も終了のようだ。

 高い所が好きではない男は、ただ快適とは言えないものだったりはするが。

 ドラゴンの掌で、魔力の障壁に守られての空の旅は快適だった。

 ……高度さえ気にしなければ。

 滅亡した帝国領に降り立つ。


「あの山に銀龍がいる」

 賢者が雪山を指さす。

 まだかなりの距離があった。

「あれを登る気ですか?」

「奴に降りて来させるさ」

 男の問いに賢者がニヤリと笑い答える。

 懐から禍々しい首飾りを取り出した賢者は、何やら楽しそうだ。

「こいつには古代魔法を詰めておいた。まずは挨拶がわりだ」

 高く掲げた首飾りが砕け散る。

「何も起きませんね」

 やはり耄碌もうろくして失敗したのか。

 賢者は上を指さしている。

 見上げる空には、赤い光が……

 空いっぱいの流星群が、雪山に降り注ぐ。

「とんでもない事する爺さんだな。初手メテオか」

 雪山が消え、クレーターから銀龍が飛び立つ。


 男達の目の前に銀龍が降り立つ。

「ゴガアアアアア!」

「ガゴオオオオオ!」

 二頭のドラゴンが吠え、いきなり接近戦になる。

 問答無用で殴り合う巨大怪獣達。

「おお……迫力だな」

 流石の男もつい見惚みとれてしまう。

 体は金龍の方が一回り大きいようだ。

 しかし、銀龍の方が少し若く力強く見える。

 爺とオッサンの殴り合いみたいな感じだ。


 いつの間にか賢者は大分離れた所に移動して、呪文を唱えていた。

 足元に光る魔法陣が出来ていく。

 さらに緑やら紫やら、色とりどりの魔法陣が積みあがっていく。

 この世界の魔法は、基本長い呪文が必要だった。

 記録装置として呪文を込めた魔法陣を使い、呪文を省略して発動時間を短縮していた。大きく強力な魔法程、魔法陣も大きく、数も増えていく。

「ギャオオオ!」

「グゥオオオ」

 地響きと共に金龍が殴り倒され、銀龍がし掛かる。

 金龍の首に銀龍が噛みついた。

 まだ魔力は残っているようで、牙は鱗を貫けない様だが危なそうだ。

「ちっ、仕方ないか」

 舌打ちをして、男が駆け出す。

 金龍の体を駆け上がり、銀龍の胸が目の前に見える。

 剣は効かない。

 正拳でも無理。貫手ぬきて鶴嘴かくしも指が折れる。

 男が選んだ手の型は熊手。

「これは苦手なんだけどな」

 道場では使う度、床を踏み抜いていた。

 使えるというだけで、使いこなせる技ではなかった。

 実戦で使うのは初めてだ。

 第一、第二関節と折り曲げ、銀龍の鱗に当てる。

 当然熊手でドラゴンを張り倒す事はできない。

 大きく右足を踏み出し、左の手足を後ろへ伸ばす。

 使いこなせていない男は、この姿勢でないとこの技を使えなかった。

 手の型も拳だと力が伝わらず、平手だと指が折れたので熊手になっただけだった。

「床にもダメージがいくが、まぁ大丈夫だろ……せいっ!」

 珍しく声に出し、気合を入れる。

 裂帛れっぱくの気合と共に、左足が地を蹴り前進する力を、右足が蹴り上げる。

 腰を捻り、背を力が駆け上がる。

 全身から集めてきた力が腕に集まる。

 内側に捻じる腕に力が走り、熊手から放たれる。

 貫く力は皮膚を伝わり、相手の体内で爆ぜる。

 流派によるが、男が若い頃に習った技の名は鎧通し。

 硬い鎧をすり抜け、中の体へ衝撃を与える技であった。


「ギュアアアア! グガァアアッ!」

 仰け反り、倒れた銀龍がのたうち回る。

「いやいや。そんなにかぁ?」

「何をしたか知らないが、ダメージが通ったようだな。何百年ぶりかの痛みだろう。滅多に痛みを感じないからな。驚きもあり、痛みに弱いのだ。もっとくれてやれ」

 あまりの痛がり様に驚く男だったが、起き上がる金龍が説明してくれた。

 強すぎてダメージを受けた事がなかった所為だった。

 ダメージよりも驚きが強いようだが、時間を稼ぐには有効だったようだ。

「未熟者なので、そうそう打てるもんでもないんでね」

 男は右手を上げて見せる。

 爪は砕け、指も裂け血塗ちまみれになっていた。


「出来たぞ!」

 積層型魔法陣に包まれ、光の中から賢者が叫ぶ。

 男の体が光り、その光が血塗れの右手に収束する。

 賢者の周りの魔法陣も消えていた。

「その拳で殴れば発動する。ドラゴンでも殺せるぞ」

 賢者が大声で効果と弱点を叫んでくれる。

 アレを殴れと叫ぶ老人。

 飛ばれたら終わりだ。

 男は賢者に魔法を発動させたい衝動に耐え、銀龍に向かう。

賢者アイツは後で殴ろう」


 魔力で鱗を強化して、爪と牙で攻撃し、防御に使う魔力を削りあう。

 魔力が先に尽きた方が切り裂かれて死ぬ。

 ドラゴン同士の戦闘はそんな戦い方だった。

 魔力の消費が多く、燃費の悪い龍言語魔法は、龍同士で使う事はほぼ無かった。

 金龍を時間稼ぎに使うくらいの魔法ならば無視はできない。

 銀龍はそう考え、口を大きく開け、息を吸い込む。

 成龍である銀龍も、人語で会話はできる。

 人に意思を伝える気がないだけなので、賢者の叫びも意味も理解していた。

 あれは警戒するべきだ。

 そう考えた銀龍の口の前の空間に、爪で引っ掻いた様な傷が浮かび上がる。

「不味い。吹雪がくるぞ」

 男を庇って金龍が前に出る。

「くそっ、やっぱりバレてんじゃねぇか」

 男は賢き者に殺意を覚える。

 賢者の眼前にも龍言語が浮かび上がる。

 力強く吐き出した銀龍の息が、吹雪に変わる。

 猛吹雪を金龍が受け止める。

 突然現れた無数の大きな爪が、襲い掛かる銀龍を取り囲む。

 賢者の龍言語魔法が発動して、魔法の龍の爪が銀龍を切り裂いていく。

 魔力を使い果たした賢者が倒れる。

 深くはないが、鱗を裂き、皮膚を裂いた幾つもの傷に、銀龍が怯む。

 その隙に金龍が飛び掛かった。

 最後の力を振り絞り、金龍が銀龍にしがみつく。

 その金龍の肩には男が乗っていた。


「魂ねぇ……千切ってくれてやるよ。砕け散れぇ!」

 血塗れの拳が銀龍に打ち込まれる。

 男の千切れた魂が、魔法で増強され、銀龍の魂へ撃ち込まれる。

 魂の抜ける嫌な感覚に、一瞬で男の顔一杯に、変な汗が噴き出す。

 銀龍の中で何かが砕け飛び散った。


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