第65話 罠、再び
翌朝カリム様一行4人は、ジュール、パブロ、イザベルを連れて北へ進む。
「本当に一晩で腫れが引くとは思いませんでした」
少し呆れたように、マルコが男の足を見つめる。
「すぐに冷やせば一晩で治りますよ。酷い時は少し切って、血を抜くといいです」
「はぁ……そうですか。普通は数日動けないと思いますが……」
TVゲームでも、一晩寝れば全回復するのが普通だった気がする。
ならば気合さえあれば、治せる筈だ。
男は、おかしな理論で傷を治していた。
ずっと一人だった男は、何日もかけて傷を治す余裕はなかった。
動けなければ死ぬだけ。
そんな世界で生き延びて来ていた。
洞窟に着いた途端に、予想出来なかったサプライズが襲う。
「ポール! トマ! アントワーヌ~! どこなの~!」
なんとイザベルが大声で叫びながら、洞窟へ駆け込んでいった。
前回のカリム様のように、神の仕掛けた罠なのか、男の思惑通りにはいかない。
「罠か?」
始めに罠を疑った男は剣を抜き、ジュールとパブロに向け構える。
「ひっ」 「ま、待って……ち、違います」
慌てて二人は前に突き出した手を振り、敵じゃないアピールを必死に繰り返す。
襲われて勝てなかった魔物がいるのに、何故叫びながら駆け出すのか。
仲間を心配する余り、全てを忘れて走り出してしまったのだろうか。
理解できない男は入口で立ち止まったまま、中へ入るのを躊躇してしまう。
「す、すぐ止めますから」
「仲間が心配なだけなんです。彼女も悪気があった訳では……」
ジュールとパブロが彼女を追っていく。
「ぐあっ!」
「うわぁああっ!」
追っていった二人の叫びが聞こえる。
「うん。そりゃあ襲われるだろうな。何がしたいんだ? 台無しだよ。また乱戦か」
このまま帰りたそうな男に、カリム様がためらいがちに声を掛ける。
「今度は本当に大人しくしているつもりだったんだ。まぁ……なんだ」
「そうですね。二度目は生かしておく気はありませんからね」
「すまないんだが、彼等も助けてやって貰えると嬉しいのだが、どうだろう?」
男は大きく溜息を吐くと、剣を仕舞って洞窟に入っていく。
洞窟は天井も低く幅も5mないくらいで、剣を振るには狭かった。
腰のランタンと、マルコの持つ松明を頼りに進む。
通路の中央には水が溜まり、流れているようだ。
曲がりくねってジメジメした洞窟を進むと、分かれ道があった。
二又に分岐した道で、3体の人魚に3人が襲われていた。
前回と同じ場所で襲われ、ジュールとパブロが倒れている。
この3体が侵入者を攻撃する係なのだろうか、他の人魚は出て来ないようだ。
薄いヒレが肩から羽衣の様に、長く揺らめくように流れていた。
人の胸くらいの高さを、人魚がドルフィンキックで泳いでいる。
下半身は魚に見えるが、魚類かどうか分からない。
魚は横に尾を振り泳ぐが、哺乳類のイルカは横向きの尾ヒレを縦に振って泳ぐ。
最近の漫画やイラストのような、膝は無さそうだった。
膝を曲げるような角度で座り、下半身を曲げると魚は中身が出てしまう。
下半身が魚ではなさそうな人魚は、長い髪をなびかせ空中を美しく泳ぐ。
見た目が美しいと人魚、汚いと半魚人と言われる。
もしくは足があるのが半魚人、ないのが人魚とも言われる。
どちらにしても、目の前のは人魚だろう。
腕も細く戦闘に向かなそうだが、その手は異様に大きく人の頭を包み込めそうだ。
その指先には長い爪が、大型の肉食獣のような鋭い爪が生えていた。
新たな侵入者に気付いた人魚が、男にも襲い掛かる。
脇差を抜き打ち、胸から顔へ斬り上げる。
「キュイイイッ!」
人魚が甲高い声をあげ、血を振り撒く。
「ちっ。浅い」
人魚の体はヌルヌルと粘膜に覆われていた。
上段から振り下ろされる脇差に、人魚は右腕を振り上げて応戦しようとする。
あの爪は剣を相手に戦えるという事か。
しかも今までは勝っていたという事だ。
男の左足が突き出され、人魚の腹を蹴る。
バランスを崩した処へ、脇差が振り下ろされる。
「くそっ! だめか……」
首筋を刎ね切るはずだったが、また浅く傷つけただけだった。
浮いているので、蹴りも斬撃も威力が伝わらない。
さらに体を覆う粘膜が攻撃を逸らしてしまう。
「キュアアアアッ!」
人魚が叫びながら右腕を振り上げる。
男を手強い相手とみた、残りの二体もドルフィンキックで向かって来る。
強く地を蹴り大きく踏み出した男は、自分の膝にぶつかりそうな程頭を低く沈めて、薙ぎ払われた鋭い爪を掻い潜り、刀を立てて地を蹴り突き上げる。
「キュィィ……」
人魚の胸を、心臓を、
短く、小さな鳴き声を漏らし、息絶えた人魚に足をかけ刀を引き抜く。
「リト。右だ」
向かって来る2体の人魚へ走りながら、男が短くリトに指示を出す。
「あい。任せて」
短く答えたリトが、闇に溶け駆け出した。
人魚は闇でも見えているようだが、目の前のランタンと松明の灯りに邪魔され、目の前にいた筈のリトに気付かず、2体とも男に向かっていく。
壁を蹴り上がり、低い天井を強く蹴ってリトが降って来る。
人魚の首にナイフが突き刺さり、そのまま地面に縫いつける。
ナイフ一本に体重を乗せ、勢いよく降ってきたリトに首の骨を砕かれる。
地面に縫い付けられた人魚は、地に伏せたまま動かなくなった。
仲間がやられて気が逸れた人魚に、男が襲い掛かる。
暗闇で上半身裸の女性に襲い掛かる男の目は殺意に満ちていた。
男の上体が沈み前方へ倒れ込む。
仲間の人魚がいきなり倒れ、一瞬気が逸れた隙に、目の前の男が消えた。
焦る人魚に上から何かが降って来た。
深めの浴びせ蹴りが、人魚を地面に叩きつけ抑え込む。
人魚の左肩に
地面に足で押さえつけた人魚に刀を突き刺す。
何をされたのか分からないまま、人魚は目の光りを失い、静かになった。
「しんどい。もう……帰りたい」
転がって人魚から離れた男は、仰向けになったまま呟く。
「マスターマスター。リト頑張ったよ。上手くできた」
リトが男に駆け寄って来た。
「おお、よくできたなぁ。えらいぞ」
「うぇへへへ」
頭を撫でてやると、相変わらずの変な顔で笑う。
「おい。あの獣人の
カリム様が唖然として立ち竦む。
「私も聞いていませんが、あの迷宮を生き残ったのですから……」
「エミールが引き込みたがった訳だ。敵にしたくはないな」
「ジュール! パブロ! しっかりしてっ!」
イザベルの叫びで男もカリム様達も、オマケがいたのを思い出した。
横になっていた男も、舌打ちして起き上がる。
「今それで襲われたのに、何故また叫ぶんだ。やはり罠なのか?」
正直どうでもよくなっていたが、仕方なく倒れた二人を見に行く。
「他の奴らが集まってくるから、叫ばないで。静かに手当てしようか」
マルコが慌ててイザベルに駆け寄る。
「ううっ。大丈夫だ……生きてるよ」
パブロが絞り出すような声で応える。
傷は浅くないが、パブロの方はすぐに死ぬ事はなさそうだ。
ジュールは深く顔と腹を切り裂かれ、ほぼ即死のようだった。
「騒がないで。生き残った彼を助けるのが先でしょう?」
マルコが必死にイザベルを大人しくさせている。
男がイザベルを斬るのではないかと、心配しているマルコだった。
リトは使ったナイフと男の刀を洗って拭っていた。
魚はあまり好きではなかったか、人魚の死体には興味ないようだ。
美女の死体を貪り喰らう、兎耳の幼女という場面は見なくて済みそうだ。
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