第58話 実験成果

 辺境伯の元へ西の帝国軍進軍の報が入る。

 帝王ニクラスが治める西の帝国は人口約800万人

 軍人は3万を超えていた。

 伯爵の兵2千ではどうにもならない兵力差だった。

「来たか……」

 伯爵は覚悟を決めるが、報告には続きがあった。

 帝国の進路は北。

 評議国との国境に広がる山脈へ向かっていた。

「どういうことだ? 評議国へ攻め入るのか?」

 誰も理解できない、不可解な行軍だった。


 所長室を出たカムラ達の前に、片足を引き摺る女性職員が姿を見せる。

 歳は40前後だろうか、編み込んだ髪で褐色の肌をしている。

「ウルワシーか? 無事だったのか、よかった。一緒に……っ!」

 所長が声をかけると顔を上げ、ゆっくり足を引き摺り歩み寄る。

「なんだこりゃあ。彼女はいつも、あんな感じで?」

「そんな訳ないでしょ。どう見たってアレは……」

 カムラにトムイがつっこむが、その言葉は途中で途切れる。

 女性の目は虚ろで、どこを見ているのかわからない。

 何よりも左足の太腿は、何かにかじり取られたかのようにえぐれ、千切れかけているし、首筋から胸まで引き裂かれ、大きな爪痕が残っていた。

 どう見ても、生きているようには見えない。

 生前の麗しのウルワシーの美しさはなかった。

「リビングデッドだ。彼女を眠らせてやってくれ。頭を潰せば動かなくなる」

 突然ウルワシーの頭が破裂し、彼女は倒れ動かなくなった。

「ふぅ。あまり気持ちいいもんではないかな。トムイの武器じゃ無理ね。カムラ、働きなさいよ。魔力には限界があるんだからね」

 爆裂魔法で頭を吹き飛ばしたシアが、カムラの尻を叩く。

 シアが使えるのは爆裂魔法だ。

 全力でも数人が怪我をする程度の、小規模な爆発を起こせるだけの魔法だった。

 規模を小さくして、相手に抵抗されなければ、人の頭を吹き飛ばすくらい出来た。

 しかし、威力や範囲を強化すると、魔力の消費が激しく連発はできない。


 死体だからか、気配が感じられない。

 曲がり角や物陰にジッとしていられると反応が遅れる。

 何故か噛みつこうとするだけなので、なんとか対処出来ていた。

 一階に降りた処で若い女性職員が立っていた。

 廊下に突っ立っている時点でヒトではない。

 当然のように動く死体だが、所長がフラフラと近付いていく。

「あぁ……クララ……君まで……」

 近付いたエジーにクララが噛みつく。

 カムラが女を蹴飛ばし、トムイがエジーを引きはがす。

 肩を喰い千切られ血が噴き出すが、エジー所長はクララへ手を伸ばす。

 そこへゾンビのような唸り声をあげながら、元所員達が集まって来る。

「どこに、こんなにいたんだよ」


 不条理はいつでも畳みかける。

 弱い者はその濁流に飲まれ、さらなる理不尽に巻き込まれていく。

 それが嫌なら戦うしか、自分の力で抗うしかない。


 地下への階段から、大きな人影が飛び出して来る。

 顔はただれた様に崩れ、皮も剥がれかけて、髪は殆ど残っていない。

 裸の体は紫のような深い緑のような、気持ち悪い色でウジュウジュと蠢いている。

 類天疱瘡るいてんぽうそうにでもかかったかのように、体中に赤くなった血疱や、膿の溜まった膿疱が皮膚を埋め尽くすように出来ていた。

 腐りかけているような体にも糜爛びらんが見える。

 廊下が薄暗くて、はっきりとは視認できないのが、せめてもの救いだった。

 両手の指先には大きく伸びた鉤爪が生えている。

 ウルワシーはコイツにやられたようだ。

 職員をゾンビのようにした元凶だろうか。

 カムラが地を這うように、素早く飛び出す。

 振り下ろされる爪を掻い潜り、大きく伸び上がると、カトラスを肩に叩きつける。

 カムラの使い方はグレートソードだった。

 だがカトラスは切り裂く武器で、叩き潰すものではなかった。

 深く肩に食い込んだ剣が折れる。

「カムラ、トムイ。こっちに早く」

 後ろでドアを開けたシアが叫ぶ。

 転がる様に後ろへ退避したカムラは、トムイと共にエジーを連れシアの元へ。

 3人は所長を引き摺り中に避難して、机や棚をドア前に積み、バリケードを作る。

 リビングデッド達がドアを叩いているが、暫くは持ちそうだ。

「なんだよアレ。こんなの聞いてないぞ」

 珍しくトムイが荒れている。

「ああ……武器がなくなった」

 カムラが落ち込んでいる。

 予備の武器を持っていなかったようだ。

 街の中で掃除や手伝い、近くの村への配達や、森での採取など。

 ほぼ労働者ワーカーの仕事をこなしてきた3人だった。

 彼等は追い詰められる危機を乗り越えた事がなかった。

 始末しやすいように、そういう経験のない冒険者を雇ったのだった。

 しかし依頼したダビド達も、この状況は予想していなかった。


「ごふっ……うぅ……もぅ、私もダメだ。じきに奴らのように徘徊するだろう」

「気をしっかり持って。諦めないでっ」

 血を吐くエジーにシアが声をかける。

「無理だよ。私達がそう作ったのだから……」

「アレはなんなの?」

「アレはウィルスを投与した実験体。コイストイスノイス……略してコトノと名付けられた……一つの完成体だ」

 見た目は汚いが、可愛らしい響きの名前だった。

 意味は『狂戦士』だが。

 エジー所長は何があったのか語ってくれた。


 共和国の議員ダビドとイルサンが、隠れてその研究をさせていた。

 迷宮に召喚された異世界人の知識。

 この世界では役に立たない、特殊な魔法を使える人間を集め、研究所を建てた。

 世界を滅ぼす可能性すら持つ、異世界の兵器、ウィルスの研究を進めていた。

 人を魔物に変えるウィルス。

 狂戦士のように人を襲う魔物。

 その魔物に殺されると、ゾンビのように動き出し人を襲いだす。

 動く死体に襲われた人も、ゾンビのように動き出す。

 勝手に広がっていく生物兵器の研究と人体実験を繰り返していた。

 しかし、同じ議員にも派閥がある。

 敵対勢力が、この戦乱に乗じて成果を盗みに入った。

 それに抵抗した結果、研究中のウィルスが漏れ出す生物災害バイオハザードが発生した。地下に居た数人の研究員と、侵入した工作員がウィルスに侵され、狂戦士コトノになり、他の研究員、職員が襲われ、研究所は壊滅した。


 カムラ達にはよく分からなかったが、外のアレが研究の成果らしい。

「私も奴らのようになる。早く頭を潰してくれ」

 全てを話したエジーが、力を振り絞り懇願する。

 ドアの前に奴らが集まっているようだ。

 ドアを叩く音が大きくなっている。

 もうすぐバリケードも破られるだろう。

 シアの魔法で自爆するくらいしか思い浮かばない。


 突如、破壊音が響き天井が落ちて来た。

 天井裏から人が落ちて来た。

 カムラとトムイがシアの前で身構える。

「参った。まさか床が抜けるとは……いや、天井か」

「けほっ、こほっ……凄いホコリ」

 奴らではない、人間のようだ。

「あ、あの、あなた達は……」

 何があったのか理解できず、立ち尽くす2人の後ろから、シアが声をかける。

「話は聞かせて貰いました。まぁ、取り敢えず此処からでましょうか」

 カムラ達3人を天井裏から隣の部屋へ行かせる。

「森に彷徨い出たコトノちゃんは始末しました。残りも研究所ごと燃やします」

 男は所長に告げ安心させると、頭を踏み潰し脱出した。


 こっそり部屋を出て、研究所を抜けるとマルコとアディが待っていた。

「生き残りは彼らだけのようです。地下は上手くいきましたか?」

 マルコ達は地下に火薬を仕掛けに行っていた。

「ばっちりです。地下は酷いものでしたよ」

「実験に使われた人達が、斬り刻まれて山積みになってたよ」

 地下に仕掛けた火薬と魔法の道具が爆ぜ、炎が研究所内を走る。

 劫火ごうかが全てを飲み込み、焼き尽くす。

 外で仕留めた狂戦士も焼いて始末した。

 外へ逃げ出すものがないか、鎮火まで警戒してから森を出た。


 目的の研究所が無くなった今、帝国はどう動くのだろう。

 アディが掴んでいることだし、ギルドの情報は他にも漏れているだろう。

 この3人の冒険者も狙われそうだ。

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