第5話 初めての奴隷
「では、ここに血を垂らして下さい」
男は、リトという小さなウサギの耳が生えた少女を選んだ。
いきなりがっつり獣人というのも、普通の人間を買うのも抵抗があり、扱いやすそうだし、値段も格別に安かったので選んだ。
こちらの世界では、子供の奴隷は面倒で売れにくいらしい。
奴隷は使い捨て感覚なので育てる気がなく、すぐに使える大人の方が売れるらしい。少女の左手の甲には、魔法陣のような奇妙な紋様が、白く描かれていた。
奴隷を従属させる為の魔法らしい。
準備はしてあり、主人となる者が血を垂らすだけで契約が成立するそうだ。
男が血を垂らすと奴隷紋が赤紫に輝く。
「これで奴隷はあなたの物です。扱いに慣れたら、またお越し下さい」
小さな兎耳以外は人間との違いは見当たらない。
見た目は5~6才に見えるが、成人しているのでこれ以上成長しないらしい。
それも売れ残っていた原因の一つらしく、餌代だけ無駄にかかるので、処分を考えていたらしく、中銀貨二枚で売ってくれた。
「まずは洗って、服だな。子供服なんてあるかな」
少女は麻袋に穴を開けただけの様な物を着ていた。風呂も入っていないのだろう。
道具屋に立ち寄り、奴隷を買った報告をして服を頼んだ。
小林は奴隷を見て、必死に笑いを堪えながらも用意してくれると言った。
迷宮の入り口脇に行き、水場で少女をざっと洗う。
「まぁ、こんなもんか。後は帰ってシャワーだな。この服に愛着はあるのか?」
少女が横に首を振ると、男はボロボロの麻袋を崖下へ抛り捨てた。
「部屋に戻って、綺麗に洗ってから服を買って、飯か。行ったり来たりだな」
まっぱの少女を連れて部屋に戻ると、シャワーで綺麗に洗い上げる。
「向こうの世界なら通報されるな」
少女はされるがまま、大人しく従っていた。
奴隷紋も赤くならないので、特別嫌がってはいないようだ。
綺麗になった少女を抱き上げると、道具屋へ戻った。
「待ってましたよ。綺麗になりましたね」
やはり子供服は無いので、作る事になるという。
「裁縫職人を呼んでおきました。タリーさんです」
「まぁカワイイうさぎちゃんねぇ~。うんとカワイイのを着せてあげるわぁ」
痩身長躯で手足も長く、顔も長い。髭の剃り跡が青く残る、日本人男性がいた。
タリー?
「よ、よろしく……」
少女のサイズを測っている間に、忘れていた自分の着替えを何枚か購入しておく。
Tシャツとトランクスがあったので、一枚大きなTシャツも買っておいた。
「お・ま・た・せ~。急いで作るから、明日の夕方には一枚は仕上げておくわぁ」
「よ、よろしく」
タリーはクネクネしながら帰っていった。
「ははは。腕は確かですよ」
買っておいた大きいTシャツを少女に着せると、膝辺りまで折り返して端を縛る。
「とりあえず今日はコレでいいだろ。腹減ったか? 飯を喰おう。履物も明日だな」
「奴隷や獣人をよく思わない人達もいますので、酒場では気を付けて下さい」
「わかりました、ありがとう。まぁ気持ちは解らなくもないし」
男は、裸足の少女を肩に担いで座らせると酒場へ戻った。
「おい! おっさん! アレくらい俺だって倒せたんだ! いい気になるなよ!!」
酒場に入ったところで、突然酔った少年に絡まれた。
やたらとナイフをアチコチに装備している、元気な短髪の少年だ。
怒鳴り散らしているが、何を怒っているのかさっぱりだ。
「やめないか翔悟」
やたらと澄んだ目をした少年が止めに入る。
「ちっ……。負けねぇかんな!」
翔悟と呼ばれた酔っ払いは、舌打ちをして出て行った。
訳が分からず突っ立っていた男に、少年が話しかけてきた。
「申し訳ありませんでした。僕は
そこへさらに二人の少年少女が寄ってきた。
「
ヒロと名乗った少年が二人を紹介する。
最前線のパーティーの一つ、少年少女の六人組のリーダーと仲間だった。
「アイツは、おじさんが倒したバグベアをずっと狙ってたから」
あまり戦闘には向かなそうな、充という少年が言った。
「それは知らずに……すまなかったね。他にはバグベアっていないのかい?」
「いるけど、あの個体が特別強かっただけなんだ。他のじゃ気が済まないかな」
「ごめんなさい。ちょっと飲みすぎちゃったみたいで」
女の子もすまなそうに頭を下げた。
「いや……気にしてはいないから。特別な奴だったんだね」
「ん~……やっぱり変な人だね」
充は男に違和感を覚えた。
「何を言ってるんだ充まで。失礼じゃないか」
「おじさんはバグベアって亜人を知っていたの? ベアってつくせいか、普通は熊みたいなモンスターだと思っているもんだけど」
バグベアは一応人型ではあるが、大柄で体格もよく、全身毛むくじゃらなので、ほぼ見た目は熊とかわらない。
「ああ、なんでだろうね。何かで読んだ事があった気がするけれど」
充は眼を輝かせる。
「やっと見つけたぁ! こんな世界に飛ばされて来たのにファンタジー作品に興味のない奴ばっっかりだったんだ! 話が噛み合わなくてイライラしてたんだよ!」
「いやいや。落ち着きなって」 「充、会ったばかりで失礼だよ」
二人が止めに入るが、充は興奮して止まらなくなっている。
「お、オークって見た? ココのは豚面じゃないんだよ」
「いや、たぶん見てないと思うけど。豚? そもそも、おじさんはファンタジーとか余り詳しくないよ? 本を読むのは好きだったけど、オークとバグベアの違いも判らないくらいだし。どっちも好戦的な亜人だったかなぁ……くらいだよ?」
男もなんとか宥めようとするが、充はさらに身を乗り出し、今にも抱き着きそうなくらい鼻息荒く興奮していく。
「おお! 昔のコンピュータゲームのキャラデザをした漫画家が猪みたいなオークを描いたせいで日本では豚面のオークが流行っちゃったんだ。日本だけなんだ。オーガは? オーガ! 聞いたことある? 人を食べるんだって」
「シャルルの猫の話かい? なんか大きなおっさんだっけ?」
「それも知ってるんだ! ここにはエルフもいないよ? 知ってた? 耳が長い奴!綺麗な見た目のエルフ! 背が高いの!」
息継ぎもろくにせず早口で話し、少年の興奮は加速していく。
「いや、ごめんよ。だから詳しくないんだって。耳が長いのかい? ジェフ・ゴールドブラムくらい長いかい? エルフってのはアレだろ?
男は知らないアピールで落ち着かせようとするが、まるで効果はないようだ。
「その通りです! ジェフなんとかってモンスターは知らないけどホブゴブリンと一緒でジョン・ロナルド・ロウエルなんとかって作家だか学者だかが書いたエルフ……」
悪さをするのがゴブリン。
家事を手伝ったりする、優しい妖精がホブゴブリンでした。
指輪の話で、凶暴で大柄なホブゴブリンが描かれて、世間に受け入れられたので、ホブゴブリンは大きな、ほぼゴブリンになりました。
エルフも元は妖精だったり精霊だったりしました。
姿も小人だったり、ゴブリンやグレムリンのようだったりしました。
ホブゴブリンと同じくジョンの書いた作品で、人間の味方をする耳の長い一族として広まりました。ロナルド・ロウエルは凄い人です。
伝承にある、子供を攫ったり食べてしまう大男に、シャルルさんがオーガという名をつけました。猫が長靴を履いている話で世界中に広まり、オーガというモンスターは、いつの間にか昔から居たかのように、認知されました。
シャルルさんやジョンさんに訴えられないように、この作品ではオーガもエルフも登場しません。
「はいはい。その辺にしときな。すみませんね。連れて帰ります」
「まって。まだ…おじさん。妖精は? フェアリーとピクシーどっちが好き?」
ヒロが無理矢理抑えて酒場から連れ出した。
人と変わらない大きさがフェアリーで、手のひらサイズがピクシーと呼ばれる。
「パッと見で分かるピクシーが見てみたいかなぁ。あぁ……さよなら少年」
「ホントにごめんなさいでした。変な人の集まりじゃありませんから」
少女も後を追っていく。肩に座った幼女には、誰も触れなかった。
「なんか疲れた……飯にするか」
カウンター席に少女を降ろすと、後ろの席から男が声を掛ける。
「あ~あ~獣臭ぇなぁ。飯が不味くならぁ。奴隷なんか連れてくんなよおっさん」
テーブル席に三人で飲み食いしている男達が絡んできた。
「しっかり洗って来たのですが。すみませんねぇ。すぐに臭いを消しますから」
絡んできた男に謝りながら近づくと、ニヤニヤ笑っている顔面に拳を打ち下ろす。
「ぶゅっ……!!」
鼻が潰れ、骨が砕けて血と共に飛び散った。
「これで臭いも気にならないでしょう」
「何しやがる!」
隣に座っていた男がナイフを抜き、テーブルに飛び乗った。
その膝を横から払うように、猿臂が砕く。
膝が横に折れたナイフ男は、膝から色々飛び散らかしながら、テーブルから転がり落ちた。
「足一本くらで、ちょっと煩いですよ」
泣き喚きながら転げまわる男の顔に、踵を落とし黙らせた。
「て、てめぇ。こ、こんな事して……どうなるか分かってんのか」
「いえ。分かりません。どうなるのですか?」
男はのんびりと答える。表情もなく、思考が読めず気持ち悪い。
「覚えてやがれ。ただじゃすまさねぇからな」
「自分で何を言っているか理解してますか?」
男は呆れ顔で答える。
「生かしておけば仕返しに来ると宣言されては、逃がす訳にいきませんね」
「なっ……待てっ!」
男の左膝が上がっていき、内側に捻られ下を向く。
右足が爪先を軸に廻り、腰が回り膝が伸びる。
一気に足が振り下ろされ、座っていた男の頭を薙いで、振り抜かれた。
「さてと、残りも
辺りに血が飛び散り、座っていた男は床板をぶち抜いて埋まっていた。
その下で顔がどんな事になっているのか。
「その辺で勘弁してやってくれないか」
誰も声を出せず、動けない中で、背の高い男が一人、声を掛けてくる。
「あなたもお仲間ですか?」
他の仲間が動き出さないか警戒しながら、声を掛けて来た男へ向きを変える。
「いや、名前も知らねぇ」
「騒がせてすみませんね。奴隷を連れて入れないと、聞いていなかったので」
場合によっては酒場の全員を相手にする気か、丁寧な言葉の割にその目は殺意に満ちている。背の高い男も怯まずに目を合わせ答える。
「いや、そんな決まりはねぇよ。俺は健太と呼ばれてる。そいつらには俺から言って聞かせるんで、今日のとこは引いちゃあ貰えねぇかな」
静まり返った酒場で二人の視線が絡みあう。
ふっ、と力を抜き、三人の体をまさぐった男は健太に向き直る。
「今回はあなたの顔を立てましょう。三人共生きてます。後は任せますよ」
「あぁ。三人はあずかる」
健太に任せた男は三人から奪った、金の入った袋をカウンターに置くと席に着く。
「騒がせました。これで弁償しますよ」
健太の後ろに体格のいい男が二人寄って来る。
「いいんですか」
「こっちからは手を出すな。あの匂いは知っている」
「アンタの嗅覚は信じてる。従うさ」
二人とも信頼しているのか、健太の決定に逆らう気はないようだ。
「同業ですか?」
「いや……違うだろうな。この臭いを二人知ってる。一人は殺人鬼だ。死なねぇように腹を切って、
「何が食べたい? なんでも出てくるぞ?」
男は全て健太に任せて、忘れたように少女に尋ねた。
「リトのせいで……」
少女は自分の所為で騒ぎになったと気にしていた。
「リトはもう俺の物だ。それにケチをつけるのは許さない。それだけの事だ」
棄てられるか、怒られるか、とビクビクしていた少女は驚いた顔で見上げている。
「さぁ飯だ。やっぱりニンジンか?」
「にく……」
ぼそっと少女がおかしなことを言った。男が聞き直すと
「にく……食べたい」
一瞬声が出ない程驚いた男は、酒場のマスターに訊ねる。
「食べられるの? こっちのウサギって肉食ですか?」
源三も驚いていた。
「い、いや……どうだろう? 他の兎の獣人は野菜だけしか喰わないぞ」
食べさせて大丈夫なものなのか。
「にく……ダメ?」
「いや……ダメじゃないけどな。オヤジさんどうしよう」
男は判断できず源三に振る。
「小間切れとか挽き肉ならどうかな?」
「そう……ですね。ハンバーグとか?」
そこへ少女のさらに混乱させる一言が放たれる。
「野菜はダメ。食べると死ぬ」
二人のおっさんが慌てて少女を見る。どこまで本当なのか遊ばれてるのか。
「生姜焼きとか……どうかな? 様子見で」
「生姜もダメじゃないか? わからんけども」
男は悩んだ結果、面倒くさくなった。
「ステーキで。間とってミディアムでお願いします」
「……あいよ」
源三も諦めたのか注文を受けた。
焼きあがったステーキを出すと、少女は涎を溢れさせ、目を輝かせている。
「食べな。でも……死ぬなよ」
少女はフォークは使ったが、肉に豪快にかぶりつく。
「ん~まぁ~! んまっ! んんっ!」
「分かったから、落ち着いて食べなさい」
鼻息を荒げ、フンフンいいながら少女は、満足そうな笑みを浮かべている。
「大丈夫そうだな」 「平気なのか?」
二人のおっさんはビクビクしていた。
「もうちょい生の方がいいかも」
怖いセリフを漏らしつつ、少女は肉を貪り食っていた。
男は自分の食事も忘れていた。
いつの間にか奴隷紋は、青く輝いていた。
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