応援コメント

22-3 鏡写し」への応援コメント


  • 編集済

    ドッペルにしろカズマにしろ予断と決めつけで物事を測ると
    こうなる、というオンパレードですね。
    無意識にしろ、「相手を哀れむ」というのは失礼なこと。
    自分で決めた事ならなおさらですね。

    幸不幸をテーマの一つにしている本作ですが、それとは別にドッペル周りの
    人々の「死生観」に興味が湧きました。
    ドッペル自体は知的な治療を出発点として、亜流としては記憶の保存による
    不死まで目指していたと思われる節が窺えますので。
    なんとなくあの俗物副社長辺りはそんな思い込みを持っていそうな……

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    この場面「カズマ」たちはカッコいい姿ではないですね。決意したことでも揺れ動く不完全さも、人間らしさ(若者らしさ)の一つかなと思ったりしております。

    死生観ですか! はじめて思い至りました。おっしゃるように、捉え方に違いがありそうですね...

    「記憶の保存による不死」様々なSFで取り上げられる重要なテーマですよね...!
    私の想像ですが、この話の現時点では、例え不死を目指しているキャラクターがいても、先のことまで具体的に計画立てて「生きていく」覚悟のできている人はいないな...と思ってしまってます...