決着

17-1 ブランケット

 カズマが、最上階のオフィスを出て行ったドッペルを見送って十数分が経った。


 依然と目眩がしている。殴られた顔も晴れていて痛い。

 それ以上に不安に駆られていた。


 モモウラ教授(ドッペルゲンガー)は拳銃をまだ所持していただろう。ドッペルは怪我をしていないか……。


 今はドッペルを信じて待つしかない。


 そして、扉の向こうから唐突に声がした。走ってきたのか息が弾んでいるようだ。


「カズマ! 俺だよ、ドッペルだよ! もう全部終わったから!」


 それを聞いた瞬間にカズマは扉を開け放っていた。


 ガンッ。


「いだっ!」


 あ、やべ、と思ったのがちょっと遅かった。

 開いた扉がドッペルの額に直撃したらしい。


「ごっ、ごめん、ドッペル。大丈夫か⁉」


「大丈夫、大丈夫……」


 額を押さえて立ち上がったドッペルに、他に怪我がないことを確認した。


「すまん……」


「いいよー! むしろ気合入ったし!」


 恒例になってきている訳分からんポーズを取るドッペルを見ているうちに、視界が滲んできた。


 慌てて口元を押さえて、横を向いた。


「カ、カズマ⁉ 大丈夫っ? ちょっ、何で泣くの⁉ ごめん、俺なんかした⁉」


「いや違う……。何か安心して……ちょっと……」


「ハンカチ! ハンカチは……ない、けどバスタオルはある! はいっ」


「……何でバスタオルが、ここにあるんだよ……。ハンカチより絶対レアだろ……」


 カズマは何とか声を出すが、涙声になってしまった。


「うう……」


 見るとドッペルの目にも涙が浮かんでいた。


「カズマぁ。ううー」


「何でお前が泣くんだ……?」


 そのまま抱き着いてこようとするドッペルをそれは流石に押し止めた。


「何で止めるの⁉ え、今って感動の再会じゃないの⁉」


 ドッペルが手をバタバタ振って抗議した。


「いや、俺多分……三日くらい風呂入ってないし、薬とか使われて汗びっしょりだぞ」


「それでもいいよぉ」


「良くない。俺が良くない」


 結局、気恥ずかしくなって涙も引っ込んだ。


「よっしゃあ! さっさと退散するぞー!」


 ドッペルが元気よく拳を振り上げたのに、珍しくカズマも「おう!」と答えていた。


 一瞬ドッペルはきょとんとして、すぐにニッと笑った。


 中層ビルの窓から柔らかい午後の光が差していた。



 いまだもぬけの殻の、研究所。


 ヨモギとレンゲが非常食を配っている間に、スミレは父の容体が安定しているか様子を見た。


 先程『廃棄処分』を行い、父(オリジナル)ともう一人のモモウラ教授(ドッペルゲンガー)とのつながりを断ち切った。

 これで人格と記憶が元の状態に戻るはずだ。


 研究所に残っている食料はあまりない。

 警察の立ち入り調査もあるだろうが、それはソラが何かしら操作し先延ばしにするだろう。


 それでも父が目覚めたらこの研究所を出なければ。


 その時スミレの携帯端末が震えた。画面には「カズマ」と表示されていた。


「カズマ君、無事⁉」


 飛びつくほどの勢いで通話に出た。

 カズマの友人のジロウやダイヤが、はっとスミレに注目した。


『スミレさん。取り敢えず俺もドッペルも、ドッペルゲンガーのモモウラ教授も無事だ。俺たちは近くの高校に避難してる。教授は例のビルの三階で気絶してるって』


 カズマの声に疲れは濃いが意識は正常のようだ。

 ガサガサと通話を替わる気配がした。


『もしもし、スミレさん? ドッペルだよ。直接会話するのって初めてかなぁ、まあいっか。俺が分かってること言うよ。

 企業の社長は足を撃たれて病院に行ったらしい。明日辺りにはマスコミに押しかけられそうだよ。近いうちにドッペルゲンガー製造計画が完全に世間に露見することになると思う。

 ビルのセキュリティをぶっ壊してきたから、何も知らずに働いてた人たちには申し訳ないけど、今なら自由に出入りできる。だから、』


「……今のうちに“モモウラ教授”を連れ出すって?」


 スミレの問い掛けに『うん』とドッペルが答えた。


『それとカズマが怪我してるんだ。ダイヤたちに迎えに来て欲しいって伝えて』


「分かったわ。……ねえ、……ごめんなさい」


 スミレが不意に口にした消えるような謝罪に、ドッペルは息を吸うほどの間の後。


『何のこと? 俺、スミレさんが協力してくれて感謝しかないよ!』


 屈託ない声音だった。


 敵わない、と思った。何にかはまだ言えない。


 スミレはそっとレンゲに耳打ちした。


「あの人は――あなたが“パパ”と呼ぶ人は、無事みたいよ」


 レンゲは震えて、涙を堪えるように固く目を閉じた。


「ありがとう、お姉ちゃん……」


 レンゲは霧が晴れたように澄んだ瞳と大人びた表情をしていた。





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