16-1 ドッペルの父

 ようやく中層ビルの六階まで到着した。


 ドッペルはふくらはぎに疲労を感じ始めて、足をぶらぶら振った。水泳前に準備運動してる人みたいな感じだ。

 息が切れてきたので、流石に一分だけ休憩を取ろうと決めた。


 と、そこで、六階の通路を警備員服の男たちがうろついているのを発見した。


 このままだと見つかるのは時間の問題だ。


 カズマと同じ顔の人間だと気付かれれば拘束されるだろう。ここで挟み撃ちにされれば逃げられない。それならば……。


 ドッペルは階段をするりと抜け出た。


「ちょっと君、関係者か確認させてもらえ……」


 通路で目敏く話し掛けてきた警備員が言い終える前に、ドッペルは駆け出した。


「おい! 待て!」


 逃げるドッペルに気付いたそばからバタバタと警備員が追いかけてきた。うわ、増えてる増えてる。


 廊下を曲がった時、スーツ姿の中年女性と鉢合わせしかけた。


「ごめん、ちょっと俺と来て!」


 女性に驚く間も与えず、ドッペルは彼女の腕を取って走った。


 ドッペルは咄嗟に資料室に飛び込んだ。


 資料室の四隅は床材が剥げて、下のコンクリートが覗けるほど老朽化が激しい。

 スライドできる閉架式の棚が並んでいる。


「こっちに逃げたぞ!」


 すぐに男たちの声と足音が追いついてきた。


 資料室に五、六人が立ち入り徘徊を始めた。

 コツコツ、と革靴が床を叩く。


 警備員たちは棚の間を死角を無くすように歩き回った。


 足音が一つ遠ざかれば一つ近付く。


 ドッペルは身動きせず、息を殺していた。


 やがて、


「……ここには来てないな。他を探すぞ」


 男たちの気配が遠のくと、ふう、と息を吐いた。


 周囲を窺ってから、ちょっと小太りの中年女性を支えて降ろした。


 彼らはドッペルたちがあの短時間で人ひとり分の幅しかない棚に上っているとは思わなかったようだ。


「……はあ~。見つかるかと思った。ジェンガしてる時の三倍緊張した~」


 ドッペルは呑気に伸びをして、女性を振り返った。


 女性は憤怒で顔を赤くして叫んだ。


「ど、どういうつもり⁉ 私をどうするの⁉」


「あなたは企業の副社長ですよね?」


 先程の邂逅の一瞬。

 ドッペルはそれに気付き、一秒で思考を巡らせて、こうして彼女と話す機会を画策し実行したのだ。


 彼女はドッペルゲンガー製造計画に出資していた企業の責任者の一人だった。

 つまり研究所と企業の内部事情に詳しい人間をこの数分だけ差し押さえたことになる。


「まさか私を誘拐して金でもとろうって言うの⁉」


 そう喚きながら一向に逃げる気配がないのは、彼女もまた研究所――つまりはモモウラ教授を裏切った立場。

 さっきの警備員たちに見つかる訳にはいかないからだ。


「いや? ただ企業側はどうするつもりなのかなって思って。警察の調査を受け入れる気ならこんなビルに逃げ込んでないでしょ?」


 企業の副社長がぎくりと肩を跳ねさせた。


「あ、あんたには関係ないでしょ! ちょっと! 誰か、誰か来て! 部外者がいるの!」


 なりふり構わず叫び出した女性。発見されれば都合が悪いのは彼女も同じだろうに。


 ドッペルは彼女を異様なほど静かに見据えた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る