第5話 あの人は?
失恋をすると髪を切る。
私は今までその無意味そうに思える行動に疑問を感じていた。髪を切った所で哀しみは癒えないだろうと思っていたから。
だけれど、実際純也にフラれて、なんとなく髪を切る人の気持ちが解ったような気がした。
決して失恋が理由じゃなくて今までの生活から心機一転、心を入れ替えるという意味で髪を切るのも良いのでは無いかと思えた。恋に浮かれている場合ではない。受験勉強に注力する為に気分を変えたかったのかも知れない。
美容院に行く前に後戻り出来ない様、背水の陣の如く、背中まであった髪を左側だけ頬の辺りでバサリと切った。切った髪が床に落ち、最後にもう一度だけ純也の為に涙を流した。
その後私は、純也を忘れるが如く死に物狂いで勉強をし、念願の第一志望の横浜にある大学に合格する事が出来た。
風の噂では純也は神戸の大学へ進学したそうだ。それを聞いた時スマホのマップアプリで神戸を調べてしまった。なんで純也の行く先なんかを調べているんだと自分自身にツッコミを入れたのだけれど。
横浜と神戸。日本を代表するお洒落な港町。私の住む岐阜から正反対の方向に2人は離れてしまった。結局、私達は離れる運命だったのだろうか。
純也にフラれた事で私自身も変わった。
特に男性に対する見方だ。見た目重視、カッコいいが正義だった私の男性価値観はあの一件で180度変わった。180は言い過ぎた。120度くらいにしておこう。多少は見た目も大事、うん。
いつかある人が言った。
ゆらゆら揺らぐ男は必ず不倫する。不倫じゃなくて浮気だろうとその時は思ったけれど。
世の中には最後に自分に戻って来るならば1回くらいの浮気ならば許すという女性もいるらしい。本当だろうかと思う。私だったら無理だなあ。
相手の事が大好きならば余計に許せないし、悲しみも大きいと思う。世の中の男が全部そうだとは言い切れないけれど、男とはゆらゆら靡くものならば私は恋なんてしない。もう傷付きたくないもん。
付き合う前にそういう男性かどうか判断出来ればいいけれど、なんだかんだでそういう物は付き合ってから判明していくものなんだろう。じゃあ恋愛なんて必要ない。私が傷付かなければいい。私は自分が一番かわいいのだ。
考えてみれば、純也は私以外に好きな人がいた訳だけれど、付き合っている間に浮気はしなかったし、正直に気持ちを伝えてくれて、深入りする前に私を捨ててくれた。いや、待てよ、付き合っている時に他に好きな人がいればそれは既に浮気と言えるのでは……
まあでも、あのまま納得いかずにズルズルと純也に縋りついていたら、もしかしたらもっと傷付いたのかも知れない。
たまたま純也を吹っ切るきっかけを作ってくれた人も居た訳だけれど。
その後、純也は結局元カノと復縁する事は叶わず、かと言って私に復縁を迫る訳でもなく、本当にただの同級生の一人になった。
勿論、以前の様に話す事などなかったのだけれど、時間薬とは良く言った物で、ひと月もすれば私の心の傷も癒えて大学受験の為の勉強にも影響は無かった。
さて、大学と言う物は、随分と自由なのだと思い知らされる。時間割も高校と比べたら本当に自由が利く。
シラバスを確認して履修登録をする。なるべく出席点の多い科目を選んだ。毎日真面目に学校へ通う事が私の取柄なのだ。第二言語は単位が取りやすいと噂のスペイン語にした。
本当はバイトもしたいけれど、ど田舎から横浜にやってきて上手く職場で立ち回る自信もないし、お母さんも無理してバイトしなくても良いと言ってくれた。午前中の講義も結構入れてある。
1年次はとにかく単位取得を最優先する。
入学式も無事終わり、サークルの勧誘も上手くかわしていよいよ晴れて大学生になった。
憧れだった横浜で私は自分を磨くのだ。独りでも生きて行ける様に。
隔週であるゼミで友達も出来た。
朱美さんと話す時だけは、私は地元の言葉で話せた。訛りを出さない様にずっと敬語では息が詰まるし、彼女の存在は見知らぬ土地で一人で暮らす私にはとても頼もしく思えた。
コッチに来るまで本当に意識していなかったのだけれど、岐阜の言葉は明らかに標準語では無かった。当たり前だけれど。パッと口から出そうになり慌てて敬語に変換する事が会話を非常にぎこちなくさせた。
いっそコテコテの関西弁ならば気にせずに話せたのだろうにと思う。とにかく奇妙なお国の言葉がたまらなく恥ずかしかった。
それ以外にも小グループで一緒になった、
小平君はいかにも今時のお洒落な大学生といった爽やかな男の子で、イケメンの部類に入ると思う。初日からいきなり慣れ慣れしく私の事を「
悪い気はしないけれど、今の私には警戒対象でしかない。
佐久間君は少し小柄で少しふくよかな真面目そうな男の子だ。話し方も柔らかく物腰も低くすごく印象の良い男の子だった。
さてさて、奇跡という言葉を聞いた事はあるけれど、自分自身経験した事は無いし、宝くじの1等が当選するくらい私には縁の無かった物だけれど、そんな奇跡と呼ばれる物が私に降りかかるとは思ってもいなかった。
大学にも馴染んで来たある日の事。節約のため毎日おにぎりを持参して機会があればキャンパス内で朱美さんと昼食を共にする事が日常になっていたのだけれど、ついに気が緩んで朝寝坊をしてしまったのだ。おにぎりを握る時間も無い程ギリギリで講義に出席し、2コマある講義を終えて昼食の時間になったのだけれど、おにぎりを持参していない私は仕方なく学食で昼食を済ます事にした。
なけなしのお小遣いから贅沢な学食の費用を捻出する事に、出費の痛手とお母さんに対する罪悪感を感じながら学食へ向かったのだ。
一番安いきつねうどんのトレーを持って席を探している時だった。私は隅っこテーブルに一人で座り、黙々と唐揚げ定食を頬張っている学生に目が釘付けになった。
もうすぐ初夏というのにヨレヨレの真っ黒な背広を着て、神経質そうな表情で無心に定食を食べている。
夏の思い出。私にって忘れてしまいたいその日に、嵐の様に現れて私をほんの少し癒してくれた人。
その人がいるのだ。
あの時と雰囲気は変わっていない。
私は彼に気付かれないようこっそり彼の正面に回り込み表情を確認する。
黒く長い前髪の隙間から覗く銀縁眼鏡。レンズの奥にある一重の切れ長の目。吸い込まれそうな漆黒の瞳。
ひと夏の日の思い出になってしまっていたその人が今、目の前で唐揚げを一心不乱に食べている。
彼の正面の席は空いているようだ。逡巡した後、私はその席へむかった。
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