第8話 騎虎
赤い煙が宵闇にとけるまで立ち尽くしていた。
さすがにマリーが完全に暗くなる前に松明を用意したが、すぐに移動しようとは言わなかった。
「少し休んでから行くか」
「うん……なんか疲れちゃった」
マリーは松明を地面に置いて、近場に落ちている小枝を焼べた。自然と俺たちは火の周りに座り込んだ。
さっきから一言もしゃべらないミランダをちらりと見ると、強く握った両手を額に当てて目を瞑っていた。祈りの姿勢に見えたが、塔の前で見たものとは違う気がした。
「ミランダ、辛かったら公国に帰ってもいいんだぞ」
薄暗くてあまりよく見えないが、顔色は良くなさそうだ。俺の言葉にミランダは首を横に振り、そしてゆっくり息を吸って、吐いた。
「今までずっと見ていなかったのです。いえ、見ないようにしていたのです。この魔王討伐に参加した時からずっと」
未だかつてなかった。ミランダが吃ることなく言葉を紡げたことに俺とマリーは驚いたが、遮ることなく黙って聞いた。
「魔王による直接の被害は最初の聖堂教会のみ。その他の被害は魔王復活に便乗した野盗や悪徳商人、違法召喚師──魔王やモンスターよりも人間が一番の加害者ではありませんか!」
ミランダの白い手に爪がくいこむ。力が入りすぎて震えている。
「人間が一番の加害者であり被害者です。でもそれは魔王が復活する前でもあったことなのに。それに気がついていたのに、見ないように視線をそらしていたのです。今日、城下町で何も知らない民を見るまでは!」
ここまで感情を表に出すことは初めてだ。前の俺だったら驚いて動揺したかもしれない。だが今は冷静にミランダの感情を受け止められる。
血が出る前にミランダの腕をつかんで、両手を離すよう促した。
「す、すみません……取り乱してしまいました」
「いや、気持ちはわかるさ」
離した手はうっすら赤くなって、ミランダのものではないように見えた。
公国は帝国に近い土地にも関わらず、自然と鉱石に恵まれている。特に召喚師が触媒に使う石の純度は随一と言われる。
もちろん召喚師としての素質も関係するが、ミランダは選抜されるだけあって公国一の召喚師だろう。
だがミランダは戦わせるべきではなかった。
召喚師として有能でも、他人の痛みを自分のことのように受け止めてしまう繊細な心が足枷となっている。
これから王国に起きることを考えると、心が痛いのだろう。自分も加担したことなら尚更。
失敗のリスクを減らそうと一緒に行動せず、ミランダだけ先に行かせておくべきだっただろうか。いや、過ぎたことだ。
「ねぇ、ねぇ、聞いてくれる?」
この場の空気には似合わない明るい声に、俺とミランダは思わず顔をあげた。
俺たちの目の前には、暗がりでもわかるくらい満面の笑みをうかべたマリーが立っていた。彼女は興奮気味に言った。
「あたしね、ミランダの本当の気持ちが聞けて嬉しい。ずっといい子ちゃんで自分より周りを気にして、自分のことを二の次にして実力も自覚していないのにはイライラしてたんだけど」
ミランダの手を優しく掴みながら、マリーは続けた。
「ミランダも気づいていたの、すっごく嬉しいの! そうよ、魔王復活なんて、治安や情勢の悪化を可視化させるためだけのきっかけに過ぎなかったのよ。帝国が軍事国家として機能しているのは魔王やモンスター対策じゃない。愚かなヒトを制裁するためよ!」
俺とミランダはポカンと口をあけて言葉が出なかった。マリーに圧倒されたのかもしれないな。
「わかっているなら話は早いわ。安心して、ミランダ。皇帝は勇者や国王と違って善悪の判断がきちんとできるのよ」
そうマリーが言ったそばから、地響きがした。
帝国軍が王国に進軍する音だ。
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