第22話 落ちた先は

 太宰は横浜の街をふらついていた。

 余りにも焦る敦と谷崎を落ち着かせる口実で、「芽吹ちゃんを探してくるよ」なんて云って、堂々と仕事をさぼっているのだ。


「さてと、この辺りだったかな」


 仕事はさぼるが、ちゃんと云い出した事は成し遂げる。

 太宰は道すがらにあるであろう蝋燭を探した。


「リンの異能空間から出るためには、蝋燭を見つけなくてはいけない。異国の異能者の異能が空間と扉を繋げる様に、あの子の異能は蝋燭と繋がる」


 太宰は道の向こうまで行くと、小さな仏具店を見つけた。

 大小さまざまな蝋燭が立ち並ぶ中、店の奥で一つだけ、火を灯す蝋燭があった。

 ゆらゆらと揺れる火を見つめ、太宰は店に入った。


 店の奥では、リンが床に座り込んでいた。

 ぼろぼろと涙を零して、声を押し殺す。


「やぁ。久しぶり。元気だったかな?」


 太宰がリンに声をかけると、リンは驚いたような顔をした。そして「最悪」と云った。


「何でここに居るの。裏切者の太宰さん」

「おや、随分と恨まれてるようだね。君こそどうして此処に居るのかな?」

「はっ。知ってるくせに。どうしてボクに云わせようとするのさ」


 太宰は火の揺れる蝋燭をじっと見つめて手を伸ばす。

 リンはそれを、剣を向けて制止する。


「やめて。ボクの獲物なの」

「異空間に居ないから、てっきり監禁しているのかと」

「違うよ。衰弱死を待ってるの。だいぶ傷をつけたから、異能を奪うために、死ぬの待ってるんだ」

「うん、そうか」




「じゃあ、どうして泣いているんだい?」




 太宰の質問に、リンは乱暴に顔を擦って笑う。

 リンは剣を下ろさずに立ち上がる。太宰はリンと少し距離を取った。


「これまでの苦労が報われるのが嬉しいからだよ。これでボクも、首領ボスに貢献出来る。ボクもようやく、お褒めいただけるんだ。邪魔しないでよね」


 リンの強がりが、太宰に通じる筈が無い。

 太宰はまた蝋燭を見ると、リンに云った。


「推理しようか」

「推理? 太宰さんが勘ぐってる様なことは一つも――」



「芽吹ちゃんは今、君が知らなかった異空間の底に落ちた」



 太宰の推理にリンは目を見開く。

 どうして、なんて陳腐な言葉も出ない内に、太宰は推理を続ける。


「そこに落ちたから、本来なら助からない」

「そ、んな……」

「絶望して出て来たが、自分に芽吹ちゃんの異能が付与されていないことに気が付いた」

「やめて。……お願いだから」

「芽吹ちゃんの異能が付与されていないという事は、まだ彼女は生きている。でも、自分じゃ芽吹ちゃんを助けられない。だから自力で出てくるのを待ってるってところかな」

「うるさい! 黙れ!」


 リンは声を荒げた。剣先が細やかに震えている。

 太宰を睨んでいるが、殺意も圧も無い。太宰は剣の先を指で優しく触れると、ゆっくり力をかけて下ろさせた。

 リンははぁ、と息をつく。


「……自分の異能に、あんなものがあるなんて知らなかった。知っていたら、きっと使いこなして、褒められていたかもしれないのに」

「使いこなしたところで、君に愛情が向くことはないよ」

「分かってるよ。……分かってたんだよ、本当はね。でも、やめ時が分からなかったんだ」


 うっすらとは分かっていたし、自分が求めるものが手に入ることが無いのも察していた。

 このまま寂しい思いをして一生を終えるのだと、頭では理解していた。けれど心は、胸の中の幼い子供は一度きりを望んでいた。


 たった一度だけ、それだけでいい。


 一粒の猪口冷糖チョコレートを味わうように、リンはそれを噛み締めたかった。


「……異能が無ければ、きっと未来は違った。ボクにも、誰かに愛される未来があった筈なんだ。奪った異能が使えても、ボク自身が強くても、異能空間でなければ意味が無い。……異能が無ければ、普通の子であったなら、ボクは愛されたかな?」


 リンの零した弱音は、芽吹の葛藤と同じだった。太宰は「さぁね」としか云わない。

 誰にも分からない若しもなんて、話すだけ無駄だ。


「君がこの先、誰かに認められようと、そうでなかろうと、君自身が満たされるかは別問題だ。君が本気で望むなら、誰か一人は手を貸してくれるだろう」


 太宰の言葉に、リンは乾いた笑いを零す。


「そんなの、自分一人しか居ないじゃない。笑えるよ。結局ボクは、死んでも一人ぼっちじゃないか」


 壊れた玩具の様に笑うリンに、太宰は「本当にそうだろうか」と微笑みかけた。



「君の後ろにいる彼女は、その一人だと思うのだけど?」



 リンは振り向いた。何とも云えない表情で、その彼女を出迎えた。


 ***


 暗くて、冷たい。


 ほのかに香る死臭と、鼻を衝く腐敗臭と鉄錆の匂いに吐き気がした。


 オレは微睡む間もなく起き上がり、込み上げてきた吐き気に抗えずに胃を空にする。


 酸っぱい口の中に、更に吐き気が込み上げるが、もう吐き出す物は無い。ぐっと堪えて起き上がった。


「リンに怒られんなぁ。人の異能空間で吐いたとか、初めてすぎんかね。異能があったことを知った時より、驚いとんのじゃが」


 オレは周りを確認する。

 真っ暗なのは変わりない。だが、さっきまでしなかった匂いが充満している。僅かに音が聞こえて、一人だけではないのだと安心した。


 オレは鼻を塞いで目を凝らす。

 近くに生きた人間がいるなら、どうにか脱出する方法を考えられるかも。だが、ここは死んだ人間が回収される空間だ。生きた人間なんかいるだろうか。


 けれど、確かに音がするのだ。

 何かを食べる音が、歯ごたえのあるものを食べた時にする音が。


 オレはその音を辿った。

 近づく度に恐怖で身がすくむ。音が大きくなる度に背筋が凍りついて鳥肌が立つ。


 近づくことを本能的に恐れる体に鞭を打って、遂に音の主を見つけた。



 見上げるほどに大きな体。

 真っ暗な空間に似つかわしくない白い獣が、人間だったものを無心で食っていた。

 服も、装飾品アクセサリーも、構わず食い尽くすそれに、オレは後悔した。


 ――そりゃ、歯ごたえのある音がするだろうよ。死体食ってんだもん。


 ――そりゃ、見てもないのにビビるだろうよ。自分もああなるんだもん。


 オレがうんうんと頷いていると、白い獣がこちらを向いた。

 赤い双眸がオレを捉えると、口が裂けんばかりに笑う。



「獣も笑ったりするんねぇ」



 オレが後ずさりすると、獣は雄叫びを上げてオレに向かって突進してくる。


「生きたご飯食えるんなら、そら笑うか。毎日腐ったご飯ばっか食っとうまんなぁ!」


 獣に共感を示して、オレは走った。

 あちこちに死体が落ちているため、避けて走ると距離が稼げない。

 それに比べて、獣は構わず死体を踏みつける。骨が変な方向に曲がっても、内臓が口から飛び出しても、奴は気にしない。


「どうせ自分で片付けんだろうがね。アンタが踏みつけとんのは、元々人間だったんだぜ! ちっとは敬意を払いよ!」


 オレがそう云ったところで、獣が聞く筈もない。

 黒い爪が乱暴に振り回され、オレの背中に襲い掛かる。


 オレは異能で幽体化して避けるが、違和感があった。


 背中が痛い。今避けたはずだ。なのにどうして背中が涼しい?

 オレは背中に手を伸ばした。

 手についたものを目で確認すれば、べったりと血が付いていた。


「何で!?」


 それしか感想が出てこない。

 けれど手についた血は本物で、背中の痛みもこれが現実だと警鐘を鳴らす。


 異能はちゃんと発動した。避けられたし、自分でもその感覚があった。

 なのにどうして傷が出来た?



「真逆、オレの異能は効かない?」



 死者を食う獣に、死に近しい異能は無効化されるのか?

 リンはこんな強い異能を持ちながら、気づかずにオレの異能を欲しがったのか?


「とんだ宝の持ち腐れじゃねぇか!」


 オレは飛び跳ね、転がり、伏せてと獣の猛攻を避け続ける。


 どうにかこの空間から逃げなくては。

 リンの空間のどこかに蝋燭がある。それを掴めば此処を出られる。でもそれはこの地下空間ではなく、上の空間での話だ。

 此処に落ちたからには、もう助かる手立てはないのでは?


 オレは不覚にもそう考えた。

 一度でも考えると、体が勝手に諦める。動きが遅くなって、疲れが出る。


「うわぁ!」


 獣の一撃を横腹に受けて、オレは吹き飛んだ。

 地面を滑り、肺の空気を全て押し出して、痛みが走るろっ骨を押さえて息を吸った。


 息を整える暇もなく。獣はオレに襲い掛かる。

 それらを避けながら、もう抵抗を止めようか、なんて恐ろしい考えがちらついて、オレは足が震えた。


 生きたまま食われるのは嫌だ。此処から脱出する方法はない。


 異能が効かない。今の自分は大きな敵を前に、余りにも非力だ。

 抵抗しても、その場限りの命が数秒長引くだけで、死ぬことに変わりない。


 だったら、潔く死んだ方が――……



(……ふざけんでくれ)



 ようやく息ができたのに。

 生きることを知ったのに。


「この程度のことで死ぬとか、阿呆らし過ぎて閻魔様にも話せんよ」


 オレは、一つの希望にかけてみることにした。


 獣と戦えるだけの力はない。

 残念だが、自分の異能はどう考えても攻撃向きではない。



 オレに出来るのは、全力で逃げることだ。



 オレは、獣に背中を向けて走り出した。

 死体を飛び越え、真っ直ぐかけて距離を稼ぐ。

 死体を踏みそうになると、異能で体を透けさせて踏まないようにする。それでも間に合わなくて踏んだ時は、心の中で手を合わせる。


 ようやく十分な距離を取って獣に向かい合うと、奴はオレに向かって勢いよく突っ込んできた。

 オレはその場から動かずに、獣を引き付ける。


「いいぞ、そのままこっちゃ来い」


 獣が十メートルにまで近づいてくる。


「まだ遠い。まだ遠いけぇ」


 獣が五メートル先にいる。


「あぁ逃げ出したい」


 目と鼻の先に迫った。

 獣が爪を振り上げる。高く上がった爪が鈍く光った。



 ――今だ。




 爪が地面を抉る様に振り下ろされたタイミングで、オレは異能で幽体化し、跳ねて攻撃を避ける。服に爪が引っかかったが怪我はしなかった。


 そのまま獣の腕に着地して、体を駆け上がる。

 奴の頭を踏みつけて、さらに跳躍を重ねる。


 ふわりと浮かび上がった体が、見えない天井をすり抜けた。


 体が暗闇から引き出されたところで、異能を解く。

 さっきまでリンと対峙していた空間に戻り、オレは小躍りして喜んだ。



「やっぱりいけると思ったんよなぁ。今まで孤児院の扉をすり抜けとったし」



 でもまだ油断は出来ない。

 あの獣がこちらにまで進出してきたら、今度こそオレに勝ち目はない。


「早いとこ、此処を出んとなぁ」


 オレが呟いた後で、空間の奥が橙色に輝いた。

 それは淡くも、暖かい光だった。

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